あび子

佇立瞑目!

あび子

佇立瞑目!

最近の記事

酔いどれ

娯楽及びサブカルチャーに傾倒した生活を送ってきたので人に会った時に高確率で「最近何を聴いてる」だとかおすすめを聞かれる、そんなときに限って特に何も観たり聴いたりしていない「凪」の状態だったりする、若い頃のようにひたすらに新しいものを追いかけたり古いものを掘り続ける体力も情熱もなく、ただ強い風が一瞬吹き抜けるのを待っている、その強い風を推進力にどうにかサブカル大海原を漂流しているのが今の私。 だから人に薦められるだけの新しいものなんて持っていなくて蓄積されたストックの中から捻り

    • この砂漠で生きている

      先輩の新譜を頂いたのでメモとして書いたものを残しておきます、あくまでメモです、人に読ませることを考えていません、聴くときの参考には全くなりませんので悪しからず。 1 ゴーストタウンレコード cero「水平線のバラッド」のようなシンプルな構成にいやらしいコードの配列でガクッとくる、サンダーキャットも少し感じる 2 この砂漠が生まれた日 ピーターガブリエル、ぶっといシンセベース感にデイブフリッドマンを感じずにはいられない、後半のノイジーなギターは90年代オルタナを通ってきた加

      • 感染

        コロナ保険に入っていた時にはかからずなぜか今ごろになってコロナに感染した、タイミングの悪さもさることながら今年に入ってから良いことがない、足の指を強打して恐らくヒビが入っているし、生活や趣味の諸々でお金が線香花火のように強く儚く散った、そして感染である。 年が明けた瞬間に近所の神社に行き「お金持ちになれますように」と願ったことが神様の癪に触ったのだろうか江戸アケミは「セコク生きてちょーだい」と歌っている、自分の力で稼がず他力本願に身を任せても良いじゃないか、真面目な人間が損を

        • 素晴らしき哉、人生

          クラシックを語るときにオリジネーター、先駆者であるかないかだけが着目されがちだがそこを抜きにして現代でも通じるだけの普遍性がある作品がクラシックとして残る。 ポピュリズム、アメリカの夢見た理想的家庭を描きながらのストーリーはきっと当時の世相だと思うのだけど時代性は呼応する、「リリィシュシュのすべて」もそうだが時代とリンクして大きな共感が生まれる、説得力と物語の分厚さみたいなものはここから来る。 この映画は一人の人生を天使の視点を借りて幼少から追うのだがこれがまた感情移入しまく

          無気力

          去年から週一で書こうと思っていたのにもう8月です、忙しかったわけでもなくシンプルに怠惰による怠惰の日々。 昔から夏休みの宿題なんて手を付けず、全てのことをギリギリで行う男、ああ嫌だわ.…全て計画通りに吉良吉影のように生きたかった。 新しいことも何一つ始めていない、変わり映えのない毎日はなんて退屈だろう、いまからこんな調子では老後が思いやられる、唯一の「新しい」は若い感覚について行こうとTikTokを始めたことだが揺れる乳を眺めているだけの非生産な日々が始まった、私はティックト

          膀胱のソサエティ

          体の小ささと膀胱のキャパが比例しているのか、もしくは体質なのか知らないが酒を飲むとトイレが近くなる、飲酒をすれば誰もがそうなると思うのだが私は明らかに打席に立つ回数が多い、所要時間も短く、トイレに何をしに行っているのか疑問に思われることもしばし、友人たちと所要時間の短さを利用したタイムトライアルなんかもやったことがある「店内は走ってはいけない」「ベルトを緩めておくのもなし」「階級別のハンデ」などのレギュレーションを詰めオリンピック競技にしようと騒いでいた、みな知能は低めである

          膀胱のソサエティ

          地下室の喧騒

          後悔や未練があると成仏できないらしい、私も善く死ぬためにそう言った邪念のようなものを取っ払ったり精算したいと人並みに思う、しかし生きていると次々にやりたいことが増えていく、人間の欲は深い、きっと山積みになった出来なかったことを後悔しながら死んでいくのだろう。 それらが未練として私を地上に縛り付けて死後も霊として彷徨い続けると思うと少しワクワクする、霊になったら何をしてやろうか。 Filmarksに保存してある観たい映画は600本を超えた、読みたい本や聴きたい音楽、行きたい場

          地下室の喧騒

          肝臓さん

          GWからずっと酒浸りになっている、飲む友人や場所があることはありがたいことなのだがいかんせん肝臓がよろしくない、健康診断の再検査を叩きつけられている身なので好き勝手に酒を飲んでいる場合ではない、私は本来ならお茶を飲むべき人間なのだ。 ダメと分かっていてもやってしまうのが人間の業の深さ、アダムとイブだって目の前にあった果実に手を伸ばした、いや.…イブが手に取った果実をアダムに分け与えたことで2人は楽園を追放されるって話だけどこれは自分の快楽のためではなく友愛のためだから欲をコン

          肝臓さん

          残ってる

          吉澤嘉代子は「風邪をひきそうな空、一夜にして街は季節を超えたらしい」と歌ったけどまさにそれよ、おい夏どこへ行った? 汗と涙がなによりも嫌いなので涼しいのは大いに嬉しいが挨拶すらなくいなくなるのは寂しく思う、夏が去って行く前に心の準備をしておきたかった、突然いなくなるなんてずるいやつだな。 そんなセンチを嘲笑うようにやってくる残暑! 返せ!センチを返せ! 舐めやがって、人間様を馬鹿にするんじゃあない!と思いつつも人間様ほどくだらないもんもないなーと達観ぶってみたり、ワハハハ。

          残ってる

          7月

          フジロックと共に7月が終わった、フジロックは私にとって7月を乗り切り8月を迎えるための儀式みたいなものだ、これがない夏は桜のない春、クリスマスのない12月のようで味気ない。 そして夏はここからがむしろ本番でしばらく鬱陶しい暑さは続く、考えるだけでうんざりだ。(夏にまつわるあれやこれは好き) ここ最近ライブに行くたびに友人から「あびこくんが結婚したら一緒にライブ行けなくなるね」と言われる、そんなことないのにと思いながら友人が結婚した時のことを思い出した、そう言えば私もおんなじ

          chasing pavements.

          言葉を綴るごとに心のちょっとした隙間から弱音がポロポロとごぼれ落ち、それを人間味として処理するのか否かをぼんやり考えている、人によってはそれがSOSに見えたりアピールやポーズにも捉えられると思うと安易に喋るべきではないのかもしれない、1番厄介で鬱陶しいのは他人に自分を決めつけられることだ、しかし他人から見えたものが全てでもあると思う、あなたと私次第で全部うそ、全部ほんとになる。 つまるところ評価なんてものはまやかしで自分自身の気持ちよさがすべてだと思う。 この世界は言葉にし

          chasing pavements.

          sweet home

          この前の話。 ULTRAのライブを終え新代田フィーバーからそそくさと出る、なにせ21時30分の電車に乗らなければ前橋には帰れないのだ、こんなリミットがありながらいつも都内までライブを観に行っている自分の行動力をこの時ばかりは尊敬する。 道中で友人と何を話ししていたかは覚えていないがきっとライブのことを思い出したり、整理する時間に使ってあんまり話をしていなかったと思う、熊谷で友人が降り、そこから先の前橋まで1人でスマホをいじったり眠ったりして過ごした、なんか面白いこと起こらない

          ヘルマン

          この3ヶ月は収入より支出が多い、プロレタリアート最下層である私にとっては大問題なのだが死なば諸共、ええいままよ、スチャラカチャカポコだ。 どこかの富豪が「君のような気持ちの良い男がまだ日本にいたなんて!私の財産は君のような人間に託したい!」とか言って金くれねえかな、なんてどうしよもないこと考えるぐらいの余裕はまだ残っている。 お金はあるに越したことはないがなくてもなんとなく生きていけるだろう、私は野良犬でありたい、どんな環境でもしぶとく生きる、しかし意識の高い野良犬でもありた

          ヘルマン

          悪夢

          昨日、飲みすぎたのか悪夢を見た。 「太るから」という女子みたいな理由で(いまどきこの言い回しは怒られるだろうか)晩酌を久しく辞めていたのだがついつい魔が刺して手を出してしまった、これが浮気と同じ原理ならきっと浮気というものはなくならないだろうと思うがたぶん違う。 夢の話 なんでもない日曜の昼下がりに山の向こうから地鳴りが響き渡る、「ゴオオオオ」と太く鈍い音が空気を振動させ、あらゆる匂いを押し流し強風となって吹き荒れた、窓を閉め外の荒れ具合を眺めていると空が曇り出し嵐のように

          3月

          忘れられないもんがあって、布団に入って目を瞑ると胸の奥が鈍く痛みだし涙が溢れ、この世界からそっと消えてしまいたくなる、きっとそんな夜が人それぞれにあると思う。 どうやって乗り越えるのかなんてわかっていても身も心も動かないこともある、良いことで上書きすれば忘れることも美談にすることもできるがみんながみんなそうやって幸せに向かって歩き出すことはできない。 私のような暗い人間は取り返しのつかないことをして上書きするか忘れたふりをして誤魔化して生きるしかない、背負いきれない十字架の重

          1月

          新年になったが抱負なんて掲げられるような状態ではなく、どうやって消えていこうかなんてことを考えている。 SNSに残された言葉や写真を見返して思い出してくれる人もいるだろうけどそういった痕跡のようなものなど未練にしかならないのでいっそ清々しく全て消してしまうのが美しいのではないかと思う。 みんなの心からすっぽり私だけ消えてしまいたい。 鬱々したことを言っているがなんとか快方へ向かうように努力はしている、そのためには自分が大切にしてきたものを折り曲げなきゃならないこともある、私は