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chasing pavements.

言葉を綴るごとに心のちょっとした隙間から弱音がポロポロとごぼれ落ち、それを人間味として処理するのか否かをぼんやり考えている、人によってはそれがSOSに見えたりアピールやポーズにも捉えられると思うと安易に喋るべきではないのかもしれない、1番厄介で鬱陶しいのは他人に自分を決めつけられることだ、しかし他人から見えたものが全てでもあると思う、あなたと私次第で全部うそ、全部ほんとになる。
つまるところ評価なんてものはまやかしで自分自身の気持ちよさがすべてだと思う。

この世界は言葉にしなければ伝わらないものが多すぎて嫌になる、本当の想いはATフィールドに守られた心の障壁から染み出して人に伝わるはずだ、そんな体育会系の思想もあるにはあるがやはり喋らなきゃわからんよなーとも思う、というか言葉というのはシンプルで手っ取り早く合理的な方法なのだ、好きな人には好きと言えば良い、態度で示すなんて回りくどいことは非合理的。
言葉を使えるなら使ったほうが良い、そしてその使い方を学ぶべきだ。(と自分に言い聞かせているところである。)
でも私たちの世界は非効率的で無駄な所作に溢れていてそれが美しかったりするから最短距離で走れるやつか1番というわけでもない、これは救いであり趣ってやつだ。
種の繁栄が生物の使命ならばなぜ神は男と女を作ったのか、単体で妊娠して子供を産めたら永遠に人間の営みは終わらないのにと思うがだからこそ良いのだと思う、非効率的で不完全なシステムこそゲームを面白くさせる。
そんな世界の秘密や救いがあっても相変わらず私は生きてるのがやっとで、死にたくなって辛くて吐いて、わかっていても体は動かない。
なにもかも贅沢だけど満たされない。
人生のさまざまな分岐を考えると途方もないぐらいに未来は明るい、そして暗くもある。
何かを選ぶと選んだ道以外は消えていく。
無数の言えなかった言葉が後悔となって今も胸の中に突っ掛かっている、誰にでもあるのだろうけど誰にでも乗り越えられるものでもない。

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上記は去年の鬱々した時に書いていた文章。
相変わらず気持ちの起伏が大きく、よく今ままで生きてきたと褒めてあげたいぐらいだ。(今はわりと元気!)
今年は一人の時間を楽しみつつ、色んな友達に会いたいと思う、お互いにいつ会えなくなるのかわからないからね。
仲良い人にブロックされちゃったり疎遠になったり、色々あるけど私のことが人生にいらないと思ったらそれで良い、寂しいけどあなた達の幸せを想っています。
着る服ないけどそろそろ8月の予定もちらほら埋まっている、さてなにしようかねー!

















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