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昔語り : あるインターナショナルスクールの子供達

その朝はどんよりと曇っており、雪でも降りそうなくらいの寒さだった。
カーテンを開けるとようやく朝日が昇ってくるのがわかる。

昭和61年。一月のロンドンの朝は気の滅入るものだった。まだ朝も明けきらないうちから起き出し、朝食をとる。出かける支度、といっても筆箱と小さいノートとお財布、そしては母が作ってくれたお弁当を入れるだけだ。
 
「じゃあ行ってきます」
「気をつけてね」
「うん」
 
そう言って母が送り出してくれた。

その日は語学学校の初登校の日だった。寒くないよう、綿入りの黒いロングコートを着て、寒空の中最寄り駅まで歩いた。徒歩十分の所にあるその駅は、一旦入ってしまえば、人いきれですこし暖かい。私は昨日買った定期券で改札をくぐると、プラットフォームまでのエスカレーターを降りて行った。

第二次世界大戦中は防空壕の役割を果たしていたと言うそのエスカレーターは相当に深く、こらえ性の無い私は左の歩いて良い側を使ってエスカレーターを駆け下りた。

インターナショナルスクールには,ランゲージ・ユニットと呼ばれる語学学校が付いている。通常の英語の授業に付いて行かれる様になるため,英語に不安がある生徒はまずここのクラスで英語の勉強を始める。

言葉に問題が無くなってきたら、徐々に数学や体育のクラスなど英語をあまり使わない科目から通常のレッスンを受けるようにしていく、という流れになっていた。

時はバブルの最中で、海外進出をした日本企業は多く、家族を帯同してこの国にやってくる日本人家庭は年々増えていた。そしてこのランゲージ・ユニットにやってくる日本人の生徒は大勢いた。

私が今日からお世話になるのは進学して本科に入るための語学クラスだ。最短で三か月。三か月経ってもレベルが上がらないといつまでたっても本科に進めない。いつまでかかるのかは自分次第。自分は日本の中学の途中までしか英語教育を受けていない。果たしてそんなレベルで付いて行けるのかは皆目不明だった。

地下鉄に乗って数駅。深いプラットフォームから上がって外に出る。目印の文房具屋さんの看板の下には「語学学校」と書かれた看板が出ていた。

ドアを開け、細くて狭い螺旋階段を上がり、またドアを開けると急に明るい世界が飛び込んできた。

真っ白な壁にオレンジ色の薄い絨毯の敷かれた廊下が左右に伸び、右側はどうやらカフェテリアの様になっている様だ。

約束の09:30に少し早く来てしまったせいか、廊下には人の気配がなかった。もしかして教室に誰かいるかもしれないと思って教室の入り口にあった小さな窓から中を覗こうとした瞬間、後ろから呼び止められた。

「Hello! Are you the new student?」

50がらみの黒い巻き毛の優しそうな女性が後ろに立っていた。

はい、と答えると

「Come along to the staff room and make yourself comfortable. You are Anna, right?」

イエスというと、

「The lesson starts at 9:30. You still have a few more minutes to go. I will show you to the class when ready.」

という答えが返ってきた。

そのうち、どやどやとした大きな足音と、ノンストップのおしゃべりが聞こえてきた。

そしてスタッフルームの前を通り過ぎる時に、その子たちは大きな声で挨拶をしていった。

「Moring, Mrs. Pat !」 「How are you today?」

そのまま、さっき私が覗こうとしていた教室に入っていった。女の子と男の子が数名ずつ。背の低い子もいれば背の高い子もいる。

時間が来て、私はその教室に通された。中には行って見て少し驚いた。

12歳から15歳までが同じクラスになるそうで、中には本当に幼くまだ子供と言っていいくらいの生徒から、自分と同じ14歳くらいの子もいる。私は空いている席に促されて座った。チャイムの音と共に先生が現れ、円陣を描いた机のホワイトボード側の席に座った。
 
「So, you are Anna, then?」

イエスと言うと、

「Could you introduce yourself to the class, please?」と言われた。
 
日本の中学では会話のレッスンなどしたことも無い。
焦ってもごもごと言い淀んでいると、先生がピシっと言った。
 
「Anna, while you’re at this class, do not worry about pronunciation. I have experience of teaching Japanese students, and they all care about pronunciation too much. Please speak up, and I will try and understand you」
 
ここまで聞いて私は安心した。I will try and understand you。先生が生徒を理解しようとしてくれる。日本に居た時に学校で教わっていたJETプログラムで来ていたアメリカ人英語教師たちの事がすぐ頭に浮かんだ。自分の成績を上げるために発音の悪い生徒がいると制服の上からつねって見えない所に青痣を付ける陰険な人達。発音が悪ければ耳も傾けないJETとは真逆の発想をもったこの先生には、目から鱗が落ちたような気がした。

つたないながらも、何とか自分の名前と日本では山の近くに住んでいたこと、兄弟がいること、今回イギリスに来たのが初めてで、飛行機に乗ったのも初めてだったと伝えた。

クラスの仲間は皆気さくで、すぐに仲間に入れてくれた。まだ少し幼い面影の残るクラスメイト達は中東出身者が主で、その他日本、アフリカのアンゴラ、インドネシア、南米のブラジルから来た生徒たちもいた。

「You said you’re from Japan ? I’m from Iran」

隣に座っていた子が話しかけてきた。

「イラン?」

「That’s right, Iran. Iranian people love Japan, you know」

「ワイ?」

「Because of OSHIN !!」

周囲の子達からも歓声が上がった。
 
「You know, Oshin has stopped Iran and Iraq war!]

「ジョーク!?」

「No, I'm not joking. When Oshin was broadcasted on TV, all the fight stopped at once and everyone – even the soldiers stopped fighting! We had at least twice a day without missiles shooting up above our heads !」
 
テレビドラマの「おしん」。子供の頃に再放送も含めて何回も見たドラマ。海外でも有名になっていると聞いた事はあったが、まさかこんなところで聞くことになるとは思ってもいなかった。

休み時間や昼食時間もクラスの人達と過ごしていてふとあることに気が付いたのだ。

中東出身で同じ言葉を話す人たちは、全員英語で話し続けていた。私が席を外したときだけ母国語で話し始めるが、私やポルトガル語を話す子達が入ってくると、途端に英語に切り替える。

なんてありがたいんだろう。

これでみんなの母国語で話されていれば完全に置いてけぼりになるが、彼らは違った。自分たちの母国語であるペルシャ語が分からない人がいれば、必ず自分たち同士でも英語で話していた。

一番小さい子は12歳。その子達に会わせて授業が進んだが、どれも日常生活で使えそうな言葉ばかり。時々「自己表現」のクラスで、俳優さん達が行うボイストレーニングや発生方法、早口言葉や単語を一音一音はっきりと話すトレーニングまであり、遊びを交えながらも授業が進んでいった。

その日丸一日、英語を浴びるほど聞いた私は、夕方になって軽い発熱が出た。
いわゆる知恵熱と言うものだろう。

一週間、文法やディスカッション、レポート書きなど様々な授業があった。英会話の授業は特に設けていないようで、会話はすべてディスカッションや、二組に分かれて行う討論などで喋ったもの勝ちという具合に毎日が進んでいった。

クラスの大半が12歳位だと気が付いたのは何時頃だったろうか。

たった二歳しか変わらないので子供扱いをするのはやめた。分からない言葉があれば皆でどんな意味か確かめる。上手く言葉で言い表せない子がいても、辛抱強く言葉がでるのを待った。

語学学校での生活は約半年。その年の九月から本科のクラスに移ることになった。

その前の学期から、数学や体育など言葉に重点を置かない科目は本科の授業に出させてもらっていたので、何人かの子達はすでに顔見知りになっていた。

本科の授業は厳しい。というよりも同級生が休み時間に話している言葉が全く分からなかった。授業で先生方が話している内容は何とかついていけても、休み時間に周囲が話していることは始めのうちはさっぱり分からなかった。

本科は、語学学校とは別の場所にあり、授業と授業の間はスクールバスで移動する。

この移動が楽しみの一つになった。バスの運転手は二人いて、イギリス人のマークさんとジャマイカ出身のジョセフさん。マークさんは奥様が日本人で、ジョセフさんは音楽の道を志し、二人共にバス送迎の度に楽しい話をしてくれた。

ロンドンが移民の街だからだろうか。学校の中も様々な人種がいた。しかしそれがネックになって「違う人種と勉強するのはいや」という子たちは、早々に転校していくのが常だった。

4年生にはほぼすべての人種がいたと言っていい程、みんなのバックグラウンドが違っていた。でも人種が違うから付き合いたくない、という人は見当たらなかった。アフリカ出身の子。中東の様々な国から来た子。インドや東南アジアから来た子。そして中国や日本などの東洋から来た子。付き合わない子がいるとしても、性格的に合わないからと言う理由だった。

日本から来た男の子は、私と関わり合いになろうとはしなかった。

一言もしゃべらないし、完全に無視されていたので、接点を持つことは無かった。

小さな学校だったが、私たちの学年は総勢20名ほどがひしめく大所帯だった。

ランゲージ・ユニットの使う教室は、通常クラスで使う理系科目の教室の傍にあった。

ある日、一時間目の化学の授業で教室に行く途中、その子に話しかけられた。

「ねえ、日本人?」
 
おや、日本語だと思って「うん」と言うと,「ランゲージ・ユニットはどこ?」と聞かれた。

多分ランゲージ・ユニットの初日なんだろうな、と思い、先生の居る職員室の場所を教えると、

「ふーん、ありがとう」とぶっきらぼうに言ってその場を立ち去ってしまった。

カーラーでしっかりと固めたのか、くるりと外側に丸まった前髪と、紺色のかっちりとしたスーツだけが印象に残った。私服の学校だっただけに、スーツを着ている子は珍しく、また特徴のある変わった前髪のカールも珍しいものだった。

月日が流れ、一学期の試験後のクリスマスパーティも終わり、短い冬休みの後、もう一人の日本人の子がクラスにやって来た。

Keiという名前で,半年ほど前にランゲージ・ユニットで一瞬出合った女の子だった。日本では高校一年生まで行って、折角入学した高校を辞めて転校してきたそうだ。初めて出会った日と同じくくるりと外巻きにした特徴のある前髪と、紺色のかっちりとしたスーツに見覚えがあった。

高校レベルの英語ができるという事で入って来たKeiも、もう一人の日本人の生徒同様に日本人とかかわりあいたくない.と言っていた。

半年の間で何があったのかは分からない。確かに日本人とはかかわり合いになりたく無いのは明白で、同じクラスになっても挨拶もしなければ目も会わさない。
 
しかし、Keiは変わっていた。
 
日本語を話すのが嫌なのかと思い、いつも教室の隅にぽつんと座っているKeiを引っ張り出しては、クラスメイトとのおしゃべりに巻き込む。しかし、その度に「何言ってるか本当に分かるの」と日本語で聞かれる。

日本人に関わり合いになりたくないと言いながら、分からない単語があるとすぐにこちらに日本語で意味を聞いてくる。その間、周囲の日本語の解らない人は置いてけぼりだ。こちらが答えても「ありがとう」の一言も無い。

日本人とは関わりあいたくないが、分からない単語は日本語で聞いても良いという態度をKeiは崩さなかった。

授業中も「まだクラスに入りたてだから」と、Keiと隣同士で座る様に先生から指示されることもあった。しかし授業中、先生が説明していて集中しなければいけない時に限って「ねえ、本当に先生の言っている事、解る?」と聞いてくる。静かにしてくれるよう頼まなければならなかった。

また、他愛のないおしゃべりで私がKeiの知らない単語を使うと、「何でそんな単語知ってるの」「どうしてそんな単語を知ってるの」と日本語で話しかけてくる。
 
私は混乱した。
 
結局、Keiが日本人と関わり合いになりたくない、とはどういうことなのかが分からなかった。授業中や休み時間などは別々の友達と喋っていたのだが、何か分からない単語が出て来ると、こっちにその意味を日本語で聞いてくる。それもかなりの頻度でだ。

日本人と関わり合いになりたくないのならすべて自分でどうにかする。そう言った気概は感じられなかった。このままずるずると辞書代わりにされるのは、周囲の日本語が分からない同級生にも失礼だ。

ある日,生物のクラスの復習で私が先生にあてられて、植物の光合成について話さなければならなかったことがあった。
 
“Photosynthesis is a process of converting the light energy into chemical energy through respiration. The plants have stomas on their back of leaves, and they inhale carbon dioxide, and exhale oxygen”
 
復習はしていたので光合成には二酸化炭素と酸素の呼吸(Respiration)が必要だ,と理解はしていたのでつたない英語で言ってみたところ,「その通り」と先生に言われた。

すると離れた所に座っていたKeiが、質問をした。

“What’s inhale?”

クラスの全員がこちらを見て、私が訳すのを待っている。

授業中、しかも日本人が二人しかいないクラスでの質問だったので,英語で答えた。

“It means to breath in the air”

するとKeiはもう一つ質問をしてきた。

“What about the other one ? Ex何とか?“

“ Ex WHAT ??”
 
私は思わず言った。「何とか」などと言ったら日本語が分からない人は話に着いていけなくなる。

ここまで聞いて、周囲のクラスメイトが文句を言い始めた。
 
「This is not Language Unit. You shouldn’t be asking such questions」
「Didn’t you revise the lesson at all ?」
 
するとKeiはこう続けた。

“Parol and Raza said her English is not good, and I agree with them. I think she is speaking wrong”

同級生のうち,数名がその子には私の英語が上手くないという事を話していたようだ。その為、こちらの英語がおかしいから間違った事を言っている、そして‘inhale’や‘exhale’生物用語であるか確かめたかったらしい。

私は,私の英語が上手くないと言っているというParolという子に話を振ってみた。

「So, how do you explain photosynthesis and respiration? Considering that your English is good, you can explain that, can’t you?」

しかしParolはしばらく下を向いて“I‘m Sorry, I can’t”と言うだけだった。

もう一人のRazaという子にも話を振ってみた。

「How about you, Raza ? According to Kei your English is good. I’m sure you can explain photosynthesis and respiration?」

Razaも下を向いてしまい,小さな声で“I’m sorry, I can’t”と言うだけだった。

どちらも答えられないので,私はKeiに聞いてみた。

「How about you, Kei? I know your question is on ‘inhale’ and ‘exhale’, but how do you describe photosynthesis and respiration in our own words? I’d like to know how you would describe it since my explanation might be wrong?」
 
Keiは下を向いたまま黙ってしまった。Keiの事である。ここではI‘m sorryが無かった。

自分が辞書代わりに使われるのが納得がいかなくなり、わたしはその子への返事は全部英語で返すことにした。

これは上手くいかなかった。

日本人同士だと英語で話すというパターンにはなかなかならない。

日本語が出来ない人が同席していても、「ちょっとすみません、日本語で話していいですか」の一言さえないまま日本語で話してしまうパターンは非常に多い。

翌日、クラスメイトのイランから来たアリからこんなことを聞いた。
「I think I will follow your example」
「What example?」
「Not to translate every word that I was asked」

アリも授業中何度も同郷のクラスメイトから何度も単語の意味を聞かれている。その度に「Sorry, May I use Persian ? I need to explain words」と言って先生の許可を得ていた。偉いなあと思いつつも、同時に大変だろうと言う気にもなっていた。

「Better to let them be independent. They should learn words by themselves」

その後もKeiは孤高を守り続けた。学校には他にも何人か日本人がいて、学年が違ったので長時間一緒にはいられないが、皆仲良くやっており、必要な時は助けあっていた。Keiはここには一切関わらなかった。

その数日後、Keiの口からあまりに納得の行かない言葉が飛び出した。

どうやらこの学校を辞めて他の学校に行くらしい。

「Are you leaving this school?」と話しかけた所、このような答えが帰って来た。
 
「イギリスにいるなら白人と一緒に居たいでしょ」
 
これを聞いて、私は背中がぞっとした。

普段その子が仲良くしているのは中東やインドからきた子達で、決して白人とは言えない。

その友達に慕われているのに「白人と一緒に居たい」と言ってのけたその子が、そこはかとなく偽善者の様に思えてならなかった。中の好い振りをして心の中では白人と付き合う事を望んでいる。

学校の中には、確かに軽い人種差別があった。他の人種に慣れていない子達が悪気無くいう一言や悪気無くおこなう行動。自分もターゲットになったが、一年以上イギリスに住んでいると多少の事では動じなくなる。

私が人種差別にあった時、先生やドライバーのジョセフさんが気にしてくれ、話を聞いてくれた。普段から地下鉄などで差別的な発現は耳にしているので問題はないと説明した。

話はそこで収まらず、なぜ日本人同士仲良くしないのかとも聞かれた。周囲は先生も含めて、日本人同士なぜ助け合わないのかと心配していたようだった。

その子が「日本人とは関わり合いになりたくない」と言っているのを伝え、また「白人と一緒にいたい」と人種差別的な発言をしているのも一緒に居たくない理由の一つとして上げた。

その後、その子は同じクラスにいた白人の子だけと喋るようになった。
彼女を慕っていたインド人の子は、何が起きたんだろうと戸惑いを隠せなかった。

同級生でその子と話したイギリス人の白人の子は、人種差別的な含みがあることを理解していて、その子をちょっといじめてしまったらしい。詳しくは分からないが、何人かがこう言った。

「You don’t have to care about her. She wouldn’t say that she wants to be with whites anymore」

相当酷い事を言ったのかもしれない。

ある日、授業が終わって帰り支度をしていると、先生から呼ばれた。見ると、先生の目線の先にはKeiがいた。

「Keiに少し複雑な事を話しているんだけれど、通訳をしてくれるかしら」先生はそう仰った。

私は断った。彼女が日本人と関わりあいになりたくないと言っていることと、何か難しい事に直面しているのであれば、自分で解決するべきだと。
「彼女は困っているのよ」と先生が畳み掛けてきた。

この「困っている人」とは、キリスト教圏では少し扱いが難しく、「困っている人には手を差しのべる」という価値観がある。そこには「助けなさい」という強めのプレッシャーが掛かる。助けなければ単に「ケチ」というだけでなく、「人助けするマナーの無い酷い人間」という烙印が押される。
私はそれでも断った。

普段から良好な人間関係を築けない人に、ましてや日本人と関わりあいになりたくないと言っている人に差しのべる手は無い。

若干お下品な表現だが,

「I think this is where she should become independent. She should wipe her own arse」

と言ってその場を立ち去った。

そして、来た時と同様に、Keiはあるときぱたりと学校に来なくなった。

「イギリスにいるならやっぱり白人と付き合いたいじゃない」という発想は、結局理解が出来ないままだった。

あの子がインターナショナルスクールを去ったのも、結局は本人のためにも周囲のためにも良かったのかもしれない。心の中では白人と付き合いたいと願う人がインド人や中東からの来た肌も神も茶色の人達と過ごしているのに、そこはかとない偽善を感じたからだ。

人種差別的な発想、または様々な人種がいることに慣れていないとインターナショナルスクールや移民の多い街で生活していくことは困難だろう。インターナショナルスクールの生徒など人種のるつぼの様なものだし、そこで「やっぱり白人と付き合いたいでしょ」と言い出したらきりがない。

日本人は肌の色で極端な差別を受けることは無い様なのだが、顔の形や髪質で差別の対象になることは経験したことがある。平たく言えば日本人は黄色人種だし,決して白人ではないのだから。

それでも人種のるつぼの街では、肌の色や顔の形で互いを差別していたらきりがないだろう。
 
特定の人種だけと付き合いたい。
そういう願いを持つ人もいるのだろう。
 
しかしそれをやっていたら、出会いを大切にしないまま終わってしまうだろう。あの子を慕っていたインド人の子の耳に、「やっぱり白人と付き合いたいでしょ」の一言が入っていたのだろうか。

母からは「色々な考えの人がいるからね」と言われた。

願わくばあの子がお気に入りの人種に囲まれて、外に出てこないで欲しい。そんなことを思うような出会いだった。

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