「ふ・と・る」・・・怪談。人形の名前に込められた思いとは。
『ふ・と・る』
「だから。すぐ返すって言ってるだろう、俺は~」
「でも、先月もそんな事言って、返してもらってないわよ。
家賃だって光熱費だって、俺が半分払うって言ったくせに
一度も払ってくれてないじゃないの」
「うるさいな! バズったら100倍にして返してやるよ」
美那代と祐生の朝は、毎回そんなやり取りで始まる。
そして最後は、祐生が美那代の財布から抜いたお札を握りしめて
出て行ってしまうのである。
バタンと大きな音を立ててドアが閉まると、
静寂の中で美那代は一人、悲しみに包まれる。
大学1年から続く同棲生活は3年目で限界に達していた。
祐生は在学時からユーチューバーとして動画を上げていた。
流行りの音楽について辛らつに批判しながらCDを割る、
というスタイルは、純朴な美那代には野性的で男らしく見えていた。
しかし、音楽的な素養も無い素人が、CDを割るだけの動画は、
すぐネタが尽き、祐生は破壊する対象を次々と変えていった。
・俳優を批判し映画のポスターを破る。
・アニメを批判してフィギュアを踏みつける。
・人気のスイーツショップを批判して、広告看板にケーキを投げつける。
もはや「お仕置き」という名目で、ただ悪口を言って物を壊すだけの
迷惑系動画を月に2度程度垂れ流すだけになっていた。
「5年後には、俺の動画で褒められることが、
世界中のアーチストにとって最大のステータスになるんだ」
そんな夢を語る姿も、最近の美那代には、負け犬の遠吠えにしか
聞こえない。
「もう限界かな。フトルちゃん」
美那代は、本棚の上に置かれている市松人形に話しかけた。
山形の田舎から出てくる時に、80歳の祖母から
『このフトルちゃんは、辛いことを取り除いてくれる。負を取る人形だよ』
と言われて渡されたものだった。
美那代には、幼いころから病気がちで、痩せぎすな自分を心配して
『負を取る』と『太る』をかけて祖母が言っているのが良く分かった。
そんな祖母の思いを、裏読みも嫌味も感じずに素直に受け止める、
美那代はそんな心の持ち主だった。
「ねえ。フトルちゃん。又、祐生がお財布からお金を持って行ったのよ。
私、このままでいいのかな・・・」
美那代は、棚から下ろしたフトルちゃんを細い腕で抱きしめて涙を流し、
いつしかそのまま眠ってしまっていた。
しばらくして、目が覚めると、
腕に抱いていたはずのフトルちゃんが無かった。
「フトルちゃん・・・」
周りを見回してもいない。
ジャーっという水を流す音が浴室から聞こえてくる。
美那代は、嫌な胸騒ぎを感じた。
玄関に続く廊下の脇にある浴室には、高校と明かりがついていた。
ドアノブを回そうとするが、鍵がかかっていて動かない。
「祐生。いるの?」
声をかけてから美那代は、ドアに耳を近づけて中の音を聞いた。
蛇口から流れているであろう水音に紛れて、祐生の声が聞こえた。
「市松人形なんて時代遅れだよな。今時小学生だってダイエットする
時代なのに、こ~んなにふっくらした人形がいまだにあるなんて
許せないね、俺は~・・・」
美那代は急いでリビングに戻り、自分のスマホで、祐生の動画チャンネルを開いた。
見覚えのある浴室の中で、酔っているのだろうか、真っ赤な顔で
虚ろな目をした祐生が、フトルちゃんを持って生配信をしていた。
「ヒック。皆さんご存知ないでしょうが、この人形、名前をフトルって言うんですよ。もう最高、おかしいですよね。この、この世の中の負のエネルギーを取るって願いを込めてつけられたらしいんですが、もうもう、も~う呪いの人形ですよね。
何より、そんな力があったら、この悪口だけのユーチューバーにも
その『負』を分けてほしいよな~へへへ。
結構悪口言うのも大変なのよ、純粋な俺様としてはぁ、ねぇ。
という訳で、このフトル人形にお仕置きをしたいと思います・・・」
これまでの動画を思い浮かべた美那代は、慌てて浴室の前に戻り
ドアを叩いて止めさせようとした。
「祐生。何する気? 出てきてフトルちゃんを返して!」
中からは反応がない。
もう一度スマホを見てみると、画面の中で祐生がフトルちゃんを
水の張られた浴槽につけようとしていた。
「さて、お仕置きです。たっぷり水を飲ませて、もっともっと
太ってもらいましょうか・・・」
「やめて! やめなさい!」
美那代の叫びは祐生には届かなかった。
フトルちゃんは、水の中に押し込まれてしまった。
整っていたおかっぱの髪は乱れ、金糸で刺繍がされた赤い着物は
水を含んで色が変わった。
それでも酔っ払った悪口ユーチューバーは、ひどい言葉を発しながら
何度も人形を水の中に押し込んだ。
「どうだ~。どうだ~。太ったかな~。
ほうら。いくら負のエネルギーを溜め込るとか言われても、
時代遅れの市松人形なんて誰も相手にしませんよ~。
悔しかったら、痩せてみなさい。ねえ、フトルちゃん、ハハハ~」
あまりにも見苦しい、ひどい動画だった。
美那代は目を覆った。
その時、美那代も祐生も小さな女の子の声を聞いた。
それは確かに、こう言った。
「じゃあ。痩せる・・・貰ってね」
美那代は、それが確かにフトルちゃんの声だと分かった。
祐生は、酔っているための錯覚だと思った。
「の、飲みすぎたのらな~」
画面の祐生は、もうまともに喋れなかった。
それは飲み過ぎたからでも、悪口を思いつかないのでもなかった。
祐生の口の中で、舌が、真っ赤な舌がどんどん膨れ上がっていき、
あっという間に口を塞いでしまった。
スマホが床に落ち、喉を掻きむしって苦しむ祐生の姿を映しだした。
のたうち回るその体が、風船のように大きく膨れ上がっていく。
顔は五倍、十倍に大きくなっていた。
手はもう指の形が分からない。
着ていたジャージはすでに形もなく飛び散り、
数分の内に浴室の隙間は見えなくなった。
スマホの画面の端に、わずかに映っていた祐生の顔は
恐怖に引きつ言っているはずなのに、パンパンに膨れ上がって
眉の位置すらわからなかった。
やがて、部屋一杯に膨れ上がったらしく、
パキっとスマホの割れる音がして、配信は途切れた。
その後、祐生が配信することは二度となく、
美那代の行方も分からなくなってしまったという。
ただ、この時の生配信は、「驚異的な特撮映像」として
少しだけバズったらしい。
その収益は、それまで美那代が祐生に渡した金額と同じ額であった、そんなことを言う者もいたが、真偽のほどは分かっていない。
おわり
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