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「知りつつ知らず」・・・不思議な話。目覚めの朝、そこにいたのは。


「おはよう。起きた~」

美佳のいつもと変わらぬ明るい声が、キッチンから聞こえてきた。

「目玉焼き失敗しちゃったから、もうちょっと待ってね」

「ああ」と、生返事をして、俺は洗面に向かう。

トーストが焼ける香りがしている。

「昨夜ちょっと飲み過ぎたな。胃がまだ重い感じがする」

「あら。大丈夫? 朝ご飯やめとく?」

美佳が心配そうな顔を向けた。

そのちょっと不安げな顔が好きだ、と言っても、別にサディスティックな趣味がある訳じゃない。心配してもらえている、という安心感が欲しくて、飲んだ翌朝は、同じ事をする。

要は甘えているのけど、娘の手前、二人きりだった頃のように美佳とベタベタもイチャイチャも出来ないから、こんな姑息な甘え方をしているのだ。

「パパ~。オハヨゥゴザイマス」

舌足らずのイントネーションで、先月3歳になったばかりの真由が話しかけてくる。

ありがとう、真由。その笑顔で俺は今日も働けるぞ。

「はい。おはようございます」

キッチンに駆けていく娘を見送って、俺はダイニングからつながる洗面に向かった。

洗面台の前に立ち、一つ伸びをして歯ブラシと歯磨きを手に取り、『さて、今日の寝ぼけ面を見てやろう、と鏡を覗き込むと、
そこに見知らぬ顔があった。

色黒で彫りの深い顔。俺のパジャマを着ている。

誰だ! と後ろを振り返るが誰もいない。

もう一度鏡を見た。鏡の中の深い知らない男も同じように向き直ってこちらを見た。

俺は、手を上げて顔を触ってみた。
鏡の中の色黒の男も、全く同じ動作で顔を触っている。

どう手を動かしてみても、やはり同じだった。
鏡に映っているのは、今ここにいる俺自身だ。

小さなイルカとクジラが列をなしているデザインのパジャマを着て、
ぼさぼさに寝ぐせが付いているが昔から変わらない巻き髪の男。

だが、顔だけが見覚えが無い。
俺の顔はもっと淡白で、日焼けに弱いくらいの色白だ。
誰だ、いや、なぜだ。

「朝ご飯、出来たよ~ん」

背後から声を掛けながら、美佳が俺の顔を覗き込んできた。

俺は見られてはいけない物を見られたような気持になったが

視線をかわす時間は無かった。

「何ビックリしてんのよ。あ。又手を引いてほしいのね」

妻は俺の顔を見ても、何も言わない。

それどころか、普段と全く変わらない仕草で手を取って、俺をダイニングのテーブルまで引っ張って行った。

「全く甘えん坊さんね。私が呼びに行くまで突っ立っているんだから」

「パパ、あまえんぼさん~」

真由も俺を見て何も言わない。

俺の知らない顔をした俺に、俺の妻も娘も普通に接している。

テーブルに座りながら食器棚を見てみた。
ガラスの扉に映った顔もやはり彫りの深い色黒の顔だった。

「どうしたの、お腹痛いの? それとも熱でもあるの?」

美佳が心配して、額に手を差し伸べてきた。

俺は反射的にその手をはらった。
俺の顔とはいえ、他の男の顔に妻が触るのは嫌な気がした。

「何よ。人が心配してあげてるのに!」

「あ。大丈夫だから」

そう答えたが、とても大丈夫ではなかった。

美佳、真由。本当にこれがパパの顔か? よく見てみろ。全然違うだろう。
お前たちは今、知らない顔の男と一緒に朝食を食べようとしているんだぞ。変だと思わないのか?

「大丈夫なら良いけど。早く食べないと、ラーメンが伸びちゃうわよ」

「え? トーストは?」

「何、トースト? あなた、家でパンなんか食べたことなかったじゃない。パンじゃ力が出ないとか言ってたでしょ。急にどうしたのよ」

俺はテーブルの上を見た。

目の前に、一杯のラーメンがあった。

「オヤジ。食わないなら俺が食うぜ」

真由が座っていたはずの横の席から、野球のユニフォームを着た高校生くらいの男の子が乗り出してきた。

「止めなさい、徹。食い意地の張ったまねは。卑しいでしょ。
晩御飯食べ終わったんなら勉強しなさい」

誰だか知らない男の子を、美佳は普通に叱った。

徹と呼ばれた男の子は、そのままリビングの階段を駆け上がって行った。

「ごっそさ~ん」

「徹。ご馳走様くらい、ちゃんと言いなさい!
もう。あなたからも一言言ってやってくださいよ」

妻の席には見覚えのない中年女が座り、怒っていた。

「美佳は、どこに・・・」

「何言ってるんですよ。目の前にいるでしょ。あなた本当におかしいんじゃない? 今日会社で何かあったの? 夕方帰ってきてから、様子が変よ」

「夕方?」

俺は外に面したサッシを見た。その向こうはすっかり日が暮れ、夜の闇の中に街の明かりが星のように瞬いていた。

「夜なのか? いつの間に・・・いや、それより」

これはまるで、高層マンションから眺めているみたいじゃないか。

狭いながらも俺の家は住宅街の一戸建てだったはずだ。庭は、車は、どこへ行ってしまったんだ。

「康太サン。ドウシマシタ? オ医者サマヲ呼ビマスカ」

テーブルの向こうに座っている銀色の金属の塊が話しかけてくるのを聞きながら、俺の意識は遠ざかって行った。

『美佳は、真由は、どこへ行ったんだ・・・』

目の前が暗くなる中で、俺の耳に又別の声が聞こえてきた。

「・・・形式の識別回路が不具合起こしてるみたいですね。
識別ができないのに別の記録データを探そうするから、負担がかかり過ぎたんでしょう。とにかく一度電源を落としますね」

「ああ。そうしてくれる。『絶滅した人類展』は今週までだから、治らなかったら、予備と取り換えても良いよ」

『待ってくれ! 俺はまだ消えたくない。娘も妻もいるんだ。いや、息子だったかもしれない。でも妻はいた・・・いたはずだ・・・どっちだ。ああ。それより俺は誰だ・・・』

俺は必死に訴えようとしたが声も出なかった。

次の瞬間。ブチッと音がして、俺は何もない闇の中に沈んでいった。

                    おわり


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