見出し画像

忘れてしまいがちな「指導者もパフォーマーである」という視点

サウスウェールズ大学院のアドバンスパフォーマンスフットボールコーチング学部では講義の1つに『サッカー心理学』がある。

サッカー心理学は私が大学在学時にも専攻していた科目で、心理学的観点からサッカーや、選手、指導者、またはサッカーの環境が与える・受ける心理的影響などについて学んだ。

講義の様子

今回はそんなサッカー心理学から「指導者はパフォーマーである」という考え方についてまとめていく。


指導者の役割

まずサッカーにおける指導者の役割について考える。当然、選手にサッカーを指導することが基本的な役割となるわけだが、現代サッカーにおいてサッカー指導者の役割は多様化している。

例えば、サッカーの技術やスキルといったピッチ上でのパフォーマンスに関わることを教えるだけでなく、人として選手を成長させることも指導者に求められるようになってきた。特に育成年代ではその傾向が顕著で、"ライブスキル"と呼ばれる「1人の人間として日常的に使うスキル」を教えることも期待されている。

ライフスキル
・コミュニケーション能力
・問題解決能力
・クリティカルシンキング
・適応力
・感情コントロール
・チームワーク
・状況判断能力

ライフスキルはサッカーの現場でも活かすことができ、日常生活でも役に立つスキルである。例えば、試合中に起こる問題をピッチ内の選手たちで解決することができれば迅速に問題解決することができ、日常生活でも何かトラブルが起きた時に自分たちで解決策を見出すことができる。

サッカー指導者の役割はこれだけではない。街クラブの指導者であれば、選手の送迎や大会の運営、財務処理などの事務作業や遠征・合宿の手配と引率なども含まれる。

プロの環境で働く指導者もパフォーマンス分析や数々のミーティング(コーチMT、プレイヤーMT、個人・ユニットMT、社内MTなど)、スポンサー企業への挨拶周りやメディア出演などオフザピッチでの業務が入ってくる。

つまり、サッカー指導者が働く環境というのは社会的かつ文化的要素が絡んでくる非常に複雑でダイナミックなものということを認識する必要がある。

指導者はパフォーマー

指導者の役割はますます複雑かつ多様化していっており、指導者に求められるバイタリティーは高まっている。

複雑化している指導者の役割だが、どんな環境にいようとも指導者は常にベストなコーチングが求められている。なぜなら、選手のパフォーマンスを最大限に引き出すためには指導者がベストなコーチングを日頃から行い選手・チームの成長を促す必要があるからだ。

チームが試合で勝つために、リーグや大会で優秀な成績を収めるためには指導者がコーチングによって選手やチームを成長させる必要がある。コーチングがチーム・選手のパフォーマンスに影響するというふうに考えた時に、"コーチング"つまりは指導者のパフォーマンスも最大限に発揮されることが望ましい。

しかしながら、環境下で指導者が練習や試合で100%のコーチングを行うことは簡単ではない。例えば、事務作業して選手の送迎を済ましてから練習を行う時にすでに指導者はピッチ外の業務によって疲弊してしまい、練習でのコーチングで50%や60%のエネルギーしか残っていないかもしれない。

ペップがバルセロナを辞めた時には「バッテリーの利チャージが必要」と語っていた

指導者はパフォーマーとして捉えた時にクラブは選手だけでなく、指導者が働きやすい環境を創っていくことが重要である。指導者が最大限のパフォーマンスを練習や試合で発揮するためには、選手と同様に指導者をパフォーマーとして捉える必要があるということをチームやクラブは認識しておかなければならない。

スポーツ心理学的ストレス

指導者のパフォーマンスレベルに影響を与える代表的な要素がストレスである。ストレスというとどんなイメージがあるだろうか。何かのプレッシャーであったり、外的な圧力のようなものをイメージする方は多いのではないだろうか。

しかし、スポーツ心理学ではストレスは「継続的なプロセスであり、精神的、肉体的に影響を及ぼすもの」として定義されている。

ストレスプロセスはストレッサー(原因)、アプレイザル(評価)、コーピング(対応)、影響(短期・長期)の4つのフェーズに分けることができる。下のストレスプロセスモデルを見てみると1番左がストレッサーとしてストレスが始まり、右隣のアプレイザルとコーピングへと移動。そして、そのアプレイザルとコーピング次第で感情や行動に短期・長期の影響が生じる。

ストレスプロセスモデル(Obbarius et al., 2012)

ストレッサー(原因)

ストレッサーはストレスプロセスを発生させる原因となるものである。後でサッカー指導者が直面するストレッサーについて具体的に紹介していくが、大きく分けて「パフォーマンスが原因でストレスプロセスを発生させるもの」、「組織的もしくは環境的要素によってストレスに繋がるもの」、そして最後が「パーソナルストレッサーと呼ばれる私的な事情や人間関係によってストレスプロセスを起こすもの」である。

サッカー指導者へのストレッサー(Chroni et al., 2013)

アプレイザル(評価)

そしてストレッサーによってストレスプロセスが起こる原因となる現象が起こった時に、人はその現象をストレスと評価することで初めてストレスを抱えることになる。

例えば、チームのパフォーマンスが悪く結果が出ない時に、指導者がそもそもパフォーマンスが悪いということ認知する必要がある。そしてパフォーマンスが悪いということを認知した時にその現象が良いことなのか悪いことなのか評価する。おそらく多くの指導者はパフォーマンスレベルの低さに関してはネガティブな評価をするのではないだろうか。

ちなみにストレスは必ずしもネガティブなものとは限らない。指導者がストレッサーをポジティブなものとして評価した時にはポジティブな影響を与える可能性もある。例えば、先程の例でいう『低いパフォーマンス』に対して「チームの課題が見つかったので更に改善することができる」や「低いパフォーマンスのチームを立て直すことができれば指導者としての評価に繋がる」というようなポジティブの方向で評価することもできる。

話を戻すが、何か起こった時にその現象や事実を認識してポジティブ・ネガティブな評価を下すことによって初めてストレスプロセスに繋がる。そのためアプレイザルはストレスプロセスにとって非常に重要なフェーズである。

コーピング(対応)

アプレイザルのつぎに起こることはポジティブ・ネガティブなストレッサーに対してどのような対応をするかというフェーズに入る。

例えば、何かストレスに繋がるようなネガティブな出来事が発生した時に人は様々な対応を見せる。お酒を飲んであったことを忘れようとしたり、寝ることで現実逃避したりすることも立派なコーピングの一種である。

先程の例を使うと、チームのパフォーマンスが悪く、それに対してネガティブな評価を下した時に敢えて練習からポジティブな掛け声を増やしてネガティブな雰囲気を払拭しようとするというのもコーピングである。ストレスプロセスを理解していれば意図的にストレスによる結果を変えることは可能で、「チームの低調なパフォーマンスによって、いま自分はネガティブな感情(怒りやフラストレーション)になっているので、普段よりも選手とのコミュニケーションを増やそう」とコーピングを行うことができる

しかしながら、全ての現象に対応策を見出せる訳ではない。対応策が見出せない場合にはコーピングのフェーズはスキップして最後のリアクションのフェーズへと進む。またコーピングが上手くいかないケースもあり、その結果が次の影響フェーズであるコーチングパフォーマンスへの影響として現れる。

影響

影響フェーズではストレスプロセスの1番最後にあたる段階で、感情や行動に変化が起こる。影響フェーズはこれまでのプロセスの結果が映し出させるため、「どのようにストレッサーを認知したか」や「どのようにストレッサーを対応したか」に影響を受ける。

例えば、低いパフォーマンスによってストレスを感じた指導者は、それがキッカケとなり自分のコーチングに対して不安に感じたり、自信レベルの低下することがある。逆にパフォーマンスに手応えを感じた場合にはそれが自分の指導の自信になることもよくある。つまりポジティブなリアクションとネガティブなリアクションの2つが存在するということだ。

肉体的なリアクションの例としては低いパフォーマンスが原因でネガティブなストレスを感じ、指導中のコーチングの声が小さくなったり、フラストレーションを溜めてしまい選手に対して攻撃的な言動が増えてしまうということもよくある。その他にも選手とのコミュニケーションの回数が減ったり、ボディーランゲージやジェスチャーの仕草が大きくなったり小さくなったりすることがある。

また、感情的なリアクションや肉体的なリアクションは同時に発生したり、複数発生するということも理解しておく必要がある。

そして、この影響フェーズでは最悪のケースで指導者が『バーンアウト』と呼ばれる燃え尽き症候群に落ち入り、指導者という仕事に対してモチベーションがなくなり、辞めてしまうことも考えられる。もしくは体調不良やうつ病などの精神衛生への深刻なダメージに繋がってしまう場合もある。

影響はストレスプロセスの最後にあたる部分で一連のプロセスの結果だと見なすことができるため、改善が難しい。つまり影響の前のアプレイザルやコーピングフェーズでいかに上手くストレス状態を対応するかが鍵となる。

指導者のパフォーマンスに影響を与える要素

指導者のパフォーマンスであるコーチングに影響を与える要素は様々なものが考えられる。そしてそれらの要素を大きく3つにカテゴライズすることができる。

パフォーマンスストレッサー

パフォーマンスに関連して引き起こさせるストレスはサッカーという競技においては常に隣り合わせである。

例えば、試合でのチームのパフォーマンスが良くなければ、指導者は自身の指導力に自信を無くしたり、パフォーマンスに対してフラストレーションを抱えるかもしれない。練習で思ったような成果が見られない場合には「どうしたらいいのか」と苦悩するかもしれない。

また、パフォーマンス自体でなくてもパフォーマンスに影響する要因である主力選手の怪我や体調不良、試合の中での選手の疲労などもパフォーマンスストレッサーに含まれる。

更には、毎試合の結果やリーグ戦やカップ戦での成績、指導実績やプロ選手の輩出、チームや指導者に対する評価などパフォーマンスの良し悪しによって発生する成果も指導者にとってはストレスになる。特にプロの環境で働く指導者はチームの成果が出ないとクラブから解雇される可能性があり、常に結果が求められている。そういった背景からパフォーマンスから発生する成果も指導者にとっては典型的なストレッサーと言えるだろう。

組織的ストレッサー

組織的ストレッサーとはサッカーの環境や組織的な要素が指導者ストレスの原因となることを指す。

例えば、指導者への給料や契約は組織的ストレッサーであり、安い給料や単年契約は指導者にストレスを与える原因になる。

他にも指導者が求めている働く環境への基準と現実とのギャップであったり、指導者自身の役職、更には一緒に仕事をするコーチ陣やクラブスタッフのサポートなども組織的ストレッサーになりえる。

特に、指導者の役職や業務内容はよくストレスを引き起こすストレッサーになりやすい。「自分はもっと上のレベルやカテゴリーで指導したい」と思っていても、クラブから提示されたポストは自分の願望を下回るものであったときには指導者は心理的に気持ちよく指導に集中することが難しくなる。

今の自分に置かれた環境に納得がいかずにもっと働きやすい環境(コーチングのみの業務や設備の整ったサッカー施設、やりがいのある仕事内容)を求めることはサッカー界ではよくあることで、それが理由で他のクラブへ移籍したりサッカー指導者という職業を続けられないケースだって珍しくはない。

組織的ストレッサーは指導者自身の力ではどうにもならない外的要素であることがほとんどなため、指導者はストレスを上手く対処する方法を身に付けることが必要である。そしてクラブやチームとしてはできるだけ指導者がベストなパフォーマンスを発揮させるために指導者の要望に寄り添ってあげる努力も必要となる。

パーソナルストレッサー

3つ目のストレッサーのカテゴリーはパーソナルストレッサーである。パーソナルストレッサーは指導者な1人の人間として日頃生活していくなかでストレスを引き起こす可能性がある要素のことである。

当然、人である以上サッカーだけでなく、サッカー外でも心理的なストレスを与える可能性のあるものがたくさん存在している。大きな部分で言えば人間関係である。例えば、ある指導者が彼女に振られたとしよう。サッカーにより打ち込めるようになる人もいれば、コーチングどころか日常生活にも影響が出てしまう人がいるかもしれない。

その他にも大切な人が亡くなったであったり、友人関係で揉めてしまったなど、人間関係が及ぼすコーチングへの影響は認識しておく必要があるだろう。

そして、指導者という役職柄、人間関係は様々な人との間で発生する。サッカーの現場で言えば1番大きなところで言うと選手との人間関係。興味深いことに選手と指導者の関係性が良ければパフォーマンスは高まる傾向にあり、逆に関係性が良くないとパフォーマンスが低下する傾向にあると研究でわかっている。

そして選手との人間関係だけでなく、他のスタッフ(コーチ、クラブスタッフ、クラブ役員)との人間関係や選手の親御さんとの人間関係、そしてプロの環境であればスポンサーとの関係性もコーチングに影響を与える。

サッカー指導者の宿命

冒頭でも話したが、サッカーの指導者は非常に複雑でダイナミックなものである。サッカーの指導者という職業はユニークなものであるが故に、ついつい"サッカー指導者"という目線で指導者が語られるが、サッカーの指導者も1人の人であるということを忘れてはいけない。

選手と同じようにメンタル面で安定してなければ良いコーチングはできない。元アーセナル監督のベンゲル氏は自身の指導者としてのキャリアを「自分のバブルの中で生きていた。生活を犠牲にしてサッカーに集中していた。」と振り返った。

トップトップの環境で働き続けるということは非常に負荷の高いものだったはずだ。様々なものを犠牲にして、時には家族や大切な人との時間をもサッカーに当てたはずだ。サッカーの指導者という特殊な職業を理解してくれる家族やパートナー、周りの人たちがいなければベンゲル監督の功績はなかったことだろう。

クロップ監督も2023/24シーズンを持ってリバプールから去ることを決めた。クロップ監督も辞める理由として「エネルギーがなくなってきた」と言っていた。

サッカーの指導者という職業柄、いかにありとあらゆるストレッサーと向き合い対処しなければならないことがわかるのではないだろうか。

あまり語られることの少ないサッカーにおける心理学だが、今後はさらに研究が進んでいくと共に周りのサッカー心理学への関心も高まっていくことを願っている。

この記事が参加している募集

#サッカーを語ろう

10,983件

もし宜しければサポートをよろしくお願いします! サポートしていただいたお金はサッカーの知識の向上及び、今後の指導者活動を行うために使わせていただきます。