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火星人と花の色

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暗色の中に隠れた不思議な美女との邂逅と会話を通して「僕」の過去が変容していく。 まるで深海での出来事のように、まるで火星での出来事のように、世界を遠くに感じる。
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#小説

火星人と花の色【完結】

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 拝啓、あなたへ
 僕は、大学に戻ろうかなと思っています。鳩を見るたびに、聞いてみるのです。君は何を考えているの、と。彼らは何も教えてはくれません。何も答えてはくれません。何も語ってくれなかったあなたのように。でもきっとそれがあるべき姿なのでしょう。鳩やライオンや、ウィスキーの瓶が自由気ままに過去を語り始めたら、収拾がつかなくなっちゃうから。この手紙が、あなたを救えなかった僕の言い訳みたい

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火星人と花の色【10】

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 そうして僕は浴室で顔を洗って、歯を磨いた。それから髪を直して、彼女の部屋を出た。踏切で遮断機が降りる音が、聞こえた。もう二度と、彼女の部屋に行くことも、彼女と出会うこともないだろうと考えていた。途中、鳩が僕の足元にやってきたから、僕は小声で話しかけてみた。君は何を考えているの? 鳩は少し首を傾げてから、向こうへ行ってしまった。
 彼女は僕が部屋を出る瞬間、おやすみ、と言った。いや、それを

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火星人と花の色【9】

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 「それで、次の秋が来る前に彼女は死んだの」
 遮断機の降りた踏切に向かって、とん、と歩いて行ったの、と彼女は言った。僕はまた、彼女の足の裏を見ていた。綺麗だと思った。とん。とん。
 「私はその年の十月が終わるまで学校を休んで、逃げたの。沙羅のために泣くことで、彼女が過去になってしまうのが怖かった。寒い季節が来て、それから私はようやく彼女の死んだ踏切に行ってみたの。そこで私は彼女と会って話

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火星人と花の色【8】


 「みんな、自分の感情がある振りをしているのさ。本当にあるのは時間の流れと流されるものたちだけであるにも関わらずね」
 シャワーの音に混ざって、聞き覚えのある声が聞こえた。ライオンの声だ。彼の立派なタテガミが濡れていたので、彼の体躯はずいぶん小さく見えた。どうして僕はその声を知っていたのだろう?
「お腹が空くのも、眠くなるのも、全ては時間の問題なのさ。わかるかい? 全ての感情は、感情の振りを演

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火星人と花の色【7】

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 次の日の朝は、ガーリック・チャーハンみたいにからっと晴れたいい日だった。僕と彼女は二人で水族館に行き、いつかの冬の日みたいに蟹を眺めた。飽きた振りをして動物園に行き、話をする振りをしてライオンの檻の前まで来た。
「君たちは何を考えているの?」と僕は雄のライオンの一匹に尋ねてみた。ライオンは、つまらなそうな顔をして、僕たちの前を横切り、奥の方に下がってしまった。僕はもう一度だけ小さな声で聞い

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火星人と花の色【6】

                      6
 彼女はそれから、ベッドの下に落ちていた淡い桃色の下着を履き、同じ色のブラジャーをつけ、山奥の闇に似た黒のスリットを身にまとった。僕は、その様子を目の端で見ていた。一連の動作が済んだあと、僕もまた服を着た。スリットの間から覗く、細く輝く脚に僕の目は数度吸い込まれた。彼女は服を着たまま僕の胸にもたれ、そうして下から見上げるように首をあげ、僕の首筋を吸っ

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火星人と花の色【5】

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とん、とん、とん、と踏切の音がまた聞こえ、僕を火星から引き戻した。僕と彼女のいる現在地に僕は再度戻ってきた。
 じゃあ次は、ライオンの話をしよう?
「ライオンの話?」と僕は高い声で聞き返した。なんだっけ?
「そう、火星にいる恋人たちが、星の出る夜に話しているライオンの話」
「火星に住んでいる恋人たちは、星を見てお酒を飲みながらライオンの話なんかをする。」
「そこはもう聞いたわ」彼女は前髪を耳

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火星人と花の色【4】


 火星人は潔癖なんだ。だから、酔い潰れたりしない。彼らは、日が暮れて空が青くなり始めた頃に家を出る。地球人と違って彼らは太陽が好きじゃないからね。そして庭で銀河を見ながら、高級なカクテルを飲む。彼らの家には、カクテルを作るための銀のシェイカーやら、メジャーカップやら、バー・スプーンやらがしっかり揃っていて、上質なカクテルグラスもあるんだ。彼らはコリンズグラスも、タンブラーも、ロックグラスも高級

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火星人と花の色【3】

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 三ヶ月前のことだ。冬だった。朝起きると僕は、蟹に会いたい、と思った。足の長い蟹。火星人みたいにちこちこ歩く蟹だ。僕は時々そういう突拍子も無い欲望を感じる。
 僕は山手線に乗って水族館へ向かった。その蟹への欲望があまりに唐突で強大だったから、電車に揺られる時間は火星に行くよりも長く、永遠だった。
 退屈だった。
 彼らはほとんど動かず、重く、苦しい水の

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火星人と花の色【1・2】

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 とん、とん、と音を立てて遮断機が降りる。日々、科学の進歩する世界に取り残されて、踏切だけはいつも死のかおりを漂わせている。
 電車が去って、遮断機を渡ると、百合の香気がたって、小さな公園でフリーマーケットが開かれているのが見えた。開催を伝える看板が公園の入り口に立てられている。薄汚れた白テントがそこかしこに張られ、各々がそれぞれ好みのものを売っている。

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