和蘭三葉

文学・絵画・音楽・映画 @guycelery

和蘭三葉

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マガジン

  • アンニュイ

    いつもそばに置いていないと、いつ消えて無くなってしまうかわからない。海の見える街で出会った彼女はそう言って、タケルの元を去った。タケルができなかったこと、マコトにできたこと、そして彼女が求めたもの、それぞれの倦怠が交錯する。

  • 大きな丸い、四角いところ

  • ラバーズ・オータム

    甘い、苦い、切ない。 まるでコーヒーやウィスキーのように微妙で不安定な恋人たち。

  • 火星人と花の色

    暗色の中に隠れた不思議な美女との邂逅と会話を通して「僕」の過去が変容していく。 まるで深海での出来事のように、まるで火星での出来事のように、世界を遠くに感じる。

  • ほとんど100パーセントの朝に

    十八の春に書いた、拙くも叙情的な短編小説。 かなり村上臭強め。

最近の記事

雪小国

 日が暮れ始めて、家の中でも最も陽の当たらない方角に位置しているので、薄暗い。足を一歩進めるたびに激しく床がきしみ、その音が妙に耳に残って薄ら寒い。天井の模様を恐れていた子供の頃のように、床の軋む音に自ら生の実感を捉えて、まだしも近くを流れる荒川の銀の煌めきに改めて生の果てのような塊を掴まずにはいられない。  廊下を進んでいくと、遠くに扉が見える。自分の家(だったはずだ)であるのに、その扉の奥にどんな秘密が隠されているのか、まだ知れない。(廊下の奥底の扉だなんて、なんてちっ

    • 鳶のレクイエム

       男は空を飛んだ。街はクリスマスムード一色で、誰も彼も、非日常の高鳴りに少しだけ浮ついて、青く熱を帯びていた。すでに仕事を納めた顔のない大人どもが、自分の街だと言わんばかりに街を闊歩し、しかしその上では、鳶が優雅に空を滑空しながら、自らの縄張りについて仕切りに声をあげていた。  四肢と躯体が完全にバラバラになって飛び散った。  彼の際に、顔を真っ青にして泣き喚く者もいれば、ちっと舌打ちをして、自らの商談に急ぐ者もいた。私はといえば、少しだけ道を戻って、自宅へと引き返した。

      • 白妙のマッシュルームに雪は降りつつ

         例えば、私によく気の知れた飼い犬がいたとして、彼と私は死んだ主人(それは祖父だったり、もしかしたら私の友人かもしれない)のことを二人で同時に考えている。すると、どうやら私の考えていることと、そのつぶらな瞳をした老齢の犬が考えていることが、視線の激しい不可視光線の間で、プラズマのようにわっと激しい瞬きを見せ、その瞬間、私と飼い犬の中で、亡き主人の顔が美しく浮かび上がる。その時、私の本体と言うべき、それがこの四肢を取り除いた躯体の部分のことを指すのか、または個人的な記憶を司って

        • フェニキア人のラジオ

           午後1時の淡い太陽に、季節が変わってしまったと感じた。弱くなってしまった太陽の季節に、既に散り終わって集めるのも忘れ去られたイチョウの葉々が、渦になって私を取り囲むようにし、一層もの寂しい。「冬将至。」タイミングを見てみたいと思う。いつの間にか秋は私の元から去っていき、その次の季節がいつの間にかやってきていた。そのことは、我が祖国の数千年の歴史も当てにならないのだ。  いたずらに誰かの視点を気にしながら、「もの寂しい」と感じ、口では、「寒ぃ」と音のならない声を発し、もう季

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        • アンニュイ
          4本
        • 大きな丸い、四角いところ
          3本
        • ラバーズ・オータム
          7本
        • 火星人と花の色
          10本
        • ほとんど100パーセントの朝に
          5本
        • 悲劇的バーベキュー
          3本

        記事

          雲の季節は短い

           これはわたしが二十歳かそこらの昔の話だ。最近ではこんな風にして昔話ばかりしている。昔の話と言っても、ほんの2,3年の昔だが、それはわたしにとってひどく昔のことのように思われるからここでは昔ということにしている。  ニカっと笑う医者がわたしの腕に注射の針を刺した、すると少ししてから恰幅のいい女性の看護師がわたしの腕をアルコールで湿った、かつて脱脂綿だったそれで拭う、するとわたしは捲り上げた袖を元に戻しながら、都庁のエレベーターを降りる。外に出ると、少し肌寒い冬の始まりのような

          雲の季節は短い

          雑居

           膨大な未来のことを思うとき、目を開けたまま夜の夢を見るとき、先日初勝利を挙げた同い年のボクサーの真似をしてファイティングポーズを取るとき、私の眼前には大きな関東平野が広がっていた。  否が応でも、その広大な土地に人は住み着き、道路を引き、水を引き、そしてたくさんのコンクリートを遠くの山から運んできて山のない平らな土地に山々を作り、海を埋めて平らな土地を増やした。でも、私は東京の海が嫌いではない。彼らが行なったひどい暴力やひどい略奪を私はまだ忘れたわけではないが、彼らが漂わ

          旅行記

           すっかり春の気配がする東京の4月。田舎にいた頃、入学式というのはまだ肌寒く、どんなコートを着るべきか難しいような季節だったような気がする。  うっかり落としてしまったスマートフォンの割れた画面を直すために、汗ばみながら池袋駅を通ると、ある小太りの女性が犬や猫を助けるための募金活動を行なっていた。誰も見向きもしないから、彼女の声は一層甲高くなっていって、すぐそばの喫煙所からは白い煙がもくもくと漂っていた。その、「助けてください!」という声が、犬や猫のためのものなのか、彼女自

          キジムナー

          それが家にやってきてから二度目の夏が終わろうとしていて、三度目の秋が始まろうとしている。ふと眺めると、もうずいぶん大きくなって逞しいと、思っていた。でも気づくとすでに、弱々しい姿はもう見ていられないような感じになって、そしてそれから、葉が落ちきって、まだ陽気な季節だというのに、すっかり冬支度を始めた落葉樹のようになってしまっていた。 根が腐ってしまったのだろうか、水を含みすぎていないか確認する。 太陽光が足りなかったのだろうか、日当たりのいい窓際に置いてみる。 一日が過ぎ、二

          キジムナー

          I was born

           ある事情があって新幹線で東京へ向かっていた。5時間半の長い旅路だったが、途中、3人が私の隣に座った。いずれも間違えて座り、途中で別の席へと去っていった。目的地に着く前に、別の席に(それも3人とも2席前に)車掌に促されて座り直した。  一人目は、私と同じ程度の年齢の若い男で、私と比べると少しだけ肩幅が大きかった。読書をしていた私は少しだけ窓側に自分の体を追いやって、開いていた脚を少しだけ締めた。彼は、自分のスマートフォンを横に持って、AirPodsを耳にはめ、画面の上の方か

          慣性アレルギー

           泥棒は言った。  「ものが足りない人からものを盗んじゃいけない。金が足りない人から金を盗むのもだめだ、そして心がない人から、彼らからは何一つ盗めやしない」  どうして彼が泥棒と呼ばれているか? それは彼がとても多くの人々から、とても多くのものを盗んできたからに他ならない。最初から大仕事だった。彼の最初の仕事は、政治家の重要書類だった。無論、彼にとって盗みを働くのは初めてのことだったし、それが法律や倫理的に禁じられていることもよく理解していた。それでも彼はそれに従うしかなかっ

          慣性アレルギー

          barricade

          デスクの反対側の島にはいつも二人一緒に出かける女の子がいる。 お昼の時間というのは仕事柄、かなり流動的になることが多いのだが、彼女たち二人は絶対にこの時間と決めているのか、毎日13時ぴったりに二人で出ていき、屋上でそれぞれが作ってきたお弁当を食べているそうだ。今日は、卵焼きが上手に焼けた、とか昨日の夜ご飯のあまりがちょうど良かったとか、少し恥じらいながらお互いのお弁当の中身を告白しながらオフィスを出て行く。 「ダイエット中じゃなかったっけ? 今日、お昼行く?」 と赤みのある

          Moon Right

           月のことはあまり知らない。月がどのような原理で自ら光り輝くのか、月がどのような理由で毎日地球の周りを回っているのか、月がどうして海の満ち引きに影響するのか、僕はあまり詳しいことを知らない。だって、月が人の恋路を助ける理由も宮城県を嫌う理由も皆目見当もつかないではないか。月のことは、よくわからないという方が幾分適当なのかもしれない。でも、月は然るべきタイミングで満月となってタクシーを降りてふらつくそれは美しい女の足元を照らし、然るべきタイミングで三日月となって不敵に微笑む。

          ヤングアダルト・チャイルド

          ところで、夢はどうなったの?  高校生の頃、ずいぶんお世話になった先生が少しだけ赤い顔で話しかけてきた。 フジモト先生はかつて僕に、彼女の美学について熱心に教えてくれ、僕に道筋を示してくれた。学生時代、若い先生だと思っていたがそれはより若い学生にとってそう見えたというだけで、社会的に見ればもうかなり偉い役職につく年齢だそうだ。   若い頃、流れ出ていた赤い血は彼女によって止められた。止血をしてくれる彼女の冷たい指は僕の心臓を凍らせ、刺した。握りつぶされて木っ端微塵になった後

          ヤングアダルト・チャイルド

          ファイヤーレッド

          冬のにおいがする。 伊織はかなり即物的な考え方をする方だから僕はそれを聞いてかなり驚いた。物理学科にいた彼女は感性的に物事を決めることを恐れ、何の決断においても論理的な証拠を必要とするタイプだった。 「へえ」 「でも、雪国とは違う、乾いたにおい」 「もっと湿っていた?」 「もっと、温もりがあった」 「寒いけど」 「温もり」 「温もり」 すでに東京の電車は酒臭く、異様なほど熱せられた空気を運ぶ乗り物になってしまう時間だったので、という理由で電車に乗ることも、タクシーを拾う

          ファイヤーレッド

          いつまで経ってもおんなじことばかり

           憤りがあって、諦めがあって、それが徐々に、段々に溶けていって、側から見るとそれは、かなりの場合、大人びてるだとか達観してるだとか、そんないろんな言葉があてがわれた。自分自身でも、そんな言葉を向けられることに嫌悪感や倦怠感を覚えることはあったけれども、それでも日々を暮らしていくことはそれ以上に苦痛を強いられるものであった。だから、そんな言葉にも、憤りや諦めを覚え、そして段々とそれが溶けていくのがわかっていた。段々と溶けていって、最後に芯だけは残ると信じていた。でもそれも空想の

          いつまで経ってもおんなじことばかり

          旅客自動車を何色で塗るかについて

           息を大きく吸うと、もう、すっかり冷えた空気が肺を満たして、幾分か満足げに欠伸をした猫たちも驚いて目を丸くしている、かといって短毛の、四本の細い足を震わせて立っている子犬はいつでも餌に飛び付こうと筋肉を温め、そうして秋の風に乗ってやってくる香ばしい夜の料理の匂いは、僕に切ない昔の思い出のような何かを想起させずにはいなかった。  酔った頭で冴え渡って、抱擁する恋人たちを側目に大通りを進んでいると、手が凍えてきて、前にこんな夜があっただろうか、と疑ってみる。以前にも同じ道を通っ

          旅客自動車を何色で塗るかについて