Moon Right

 月のことはあまり知らない。月がどのような原理で自ら光り輝くのか、月がどのような理由で毎日地球の周りを回っているのか、月がどうして海の満ち引きに影響するのか、僕はあまり詳しいことを知らない。だって、月が人の恋路を助ける理由も宮城県を嫌う理由も皆目見当もつかないではないか。月のことは、よくわからないという方が幾分適当なのかもしれない。でも、月は然るべきタイミングで満月となってタクシーを降りてふらつくそれは美しい女の足元を照らし、然るべきタイミングで三日月となって不敵に微笑む。
 然るべきタイミングで形を変えてくれるというのは僕にとってとても都合の良いことだ。月が昨日よりも大きくなっていれば、明日はそれよりももっと大きくなるし、昨日よりも小さくなっていれば、明日はそれよりも幾分小さくなるのだ。そのある種の「整合性」、「論理性」のようなものが僕を救ってくれることがある。
 「二月ってフェブラリーでしたっけ!?」
と大きな声で上司に聞く若手の女社員(若手と言っても僕よりもずっと先輩社員だ。彼女が世間的に見て若手社員と呼ばれる年齢であるということだ。ただ、そのことの表明にすぎない)を見てしまったとき、あるいは聞いてしまった時、僕は今すぐその場所から逃げ出してしまいたいような、羞恥心と放心してしまうような感情になった。感情を言葉に、特に、文字にするというのはひどく難しい試みのように思える。その時の「複雑な僕の心情」を吐露するには、正確に吐露するにはもう少し時間がかかるかもしれない。そういうとき、(他に例示すべき瞬間も特に思いつかないが、とにかく、そういうとき。)僕は、東京から遠く車で7時間かかる田舎の家で、少し埃くさい布団に潜り込んで大声で叫んでしまいたいような気持ちになる。大きな声で叫びたい時に、叫ぶことができないという事実は、特にそれが整合性にかけるような場合には僕にとってひどく大きなストレスになる。
 話を戻そう。月のその大いなる安心感はその大きさにもよるのかもしれない。どれくらい遠く離れた場所にいても、おそらく月の見え方に大きな違いはないだろう。もちろん、田舎の友人と電話をつないで、同じ月が見えているかどうかについて試したことはないし、仮に彼らが三日月が見えていると話したとしても、僕が見ている月と彼らが見ている月が同じものだと断定することはできない。だが、それほど大きくは変わらないだろうと思い、同時にきっとそれが変わらずに宙に浮いていてくれるといい。どうか絶対的に決定的に、そして大いなる安定力を持って見つめていてくれたらいいと、切に思う。それがじっとりと見つめている間、どんなにか不安定な若き青年の心が少しだけ救われるというものだ。
 先人は月に着陸したという。それはとても素晴らしいことだ。未知に対して決死の覚悟で故郷を飛び出して、その美しく輝く大地に足跡を残せることは、輝かしいことだ。彼らがどうか、禁忌的な怪物を目にせず美しい思い出を胸に蒼き地球を瞼の裏に再現させながら長い眠りについてくれたらいいと、思う。
 読者諸氏においては、月明かりの下でどうやって女の気を引こうか考えている若い青年の心が安定しようが、月に辿り着いた男たちが安らかに死のうと、結局のところ僕の人生にはなんの影響もないし、僕にとってどうでもいいことだと思われるかもしれない。でも僕は十分に反論する材料を持ち合わせている。
 なぜか。月についてはよくわからないのだ。
 彼女は、高らかに笑い声をあげて、自分のことを自分の名前で呼ぶ。
 彼女は、昔見た映画のことを楽しそうに話す。
 まるで、昨日あった情事は全く嘘だったように。
 そういう時、僕は彼女に見えている世界の一部分であればいいと願う。彼女を形作っている、彼女の言葉を生み出している器官に、少しでも栄養を与えられていればいいと思う。もしそれが叶わないのであれば、僕はもしかしたら彼女を連れてどこか遠くに行ってしまいたいと願うかもしれない。でも、そんなことは不可能だった。だって、彼女はすでにずっとずっと遠くにいるのだから。38万5000キロ先から、38万5000キロ上空から、見ている。もう僕はきっとぼやけて見える。
 月の香りを嗅ぎ、月の大地に触れ、月の上で眠りたい。それは、諦めきれないのだ。苦労など厭うものか。どれだけ時間がかかり、どれくらい難しい試みだとしても、構うものか。
 ナットキングコールは歌っている。

"L" それは君のまなざし(38万キロの向こうから)
"O" それは目に映るただ一つ(特にひどく寒い夜には)
"V" それはとてもとてもいつも通りではいられない気持ち(とても、本当にとても)
"E"  君が見つめる中の誰よりも君を思っている(38万キロ先を)
 

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