barricade
デスクの反対側の島にはいつも二人一緒に出かける女の子がいる。
お昼の時間というのは仕事柄、かなり流動的になることが多いのだが、彼女たち二人は絶対にこの時間と決めているのか、毎日13時ぴったりに二人で出ていき、屋上でそれぞれが作ってきたお弁当を食べているそうだ。今日は、卵焼きが上手に焼けた、とか昨日の夜ご飯のあまりがちょうど良かったとか、少し恥じらいながらお互いのお弁当の中身を告白しながらオフィスを出て行く。
「ダイエット中じゃなかったっけ? 今日、お昼行く?」
と赤みのあるブラウンヘアーのN華が尋ねる。今日も13時ぴったりだった。
「行く行くー、ダイエットはやめ」対して、Sは返し二人で並んで立ち上がった。「え、もう? 」
「だって、世界が終わる時にダイエットなんてしていられないでしょ」
世界が終わるときに仕事もしてられないだろ、と心の中でツッコミを入れつつ、ダイエットについて考えてみた。365日ダイエット中の僕からしてみれば、「ダイエット」は「続かない」を導く枕詞だ。冬から少し暖かい季節になった時、いつも継続して運動をしよう、食事制限はよくない、と綿密な計画を立てる。絶対に無理をしない。動きたくない時は動かない。これも僕のルールの一つだ。「ダイエット」の為に苦しい思いをすることなどあり得ない。365日、ダイエット中なのだから。
「え? 」
「第三次世界大戦だよ」Sはわざと聞こえるような小声で面白そうに応えた。
誰もが非日常に憧れ、誰もが歴史の証人になりたがっている。自分に被害が及ばない範囲で。その悲劇の想像に自分は入っていない。ダイエットでさえ、悲劇の対象に自分は入っていないのだから、爆撃や虐殺や慰安婦の存在が自分の身に降りかかることを想像しろという方が無理なのかもしれない。そしてもしもそんな日がやってきて、自分がもしも本当に「一瞬で」死ぬことができるなら、ダイエットなんてしてる場合ではないのかもしれない。だけどそういうわけにはいかない。きっと、激しい戦闘の末に、僕もSもN華も痩せ細って、会社の方針は変わり(変わるだろうか?ちょっと想像できない)ああ、ラーメンが食べたいとか思うのだろう。ラーメンはうちの国の文化だから食べたくなってもいいはずだ。いや、そうでなかったら許さない。ラーメンが食べられないなら、死んでやる。
「バカじゃないの、そんなことならないって」
「いや、本当に今回はそうでもないみたいよ」
「まじ? 」
「だからおいしいもの食べとかないと損!」
明るいというか、無邪気というか。いいセリフだと思う。「だからおいしいもの食べとかないと損!」おっしゃる通りだ。おいしいものは早く食べておかないと損だ。食べたいものを我慢しても何の意味もない。そしてそれはダイエットをやめることにはならない。人は、「ダイエットやめたの?」とのたまうかもしれないが。
小説よろしく、このタイミングあたりで彼女たちが僕に話しかけてくることはない。やれやれといった顔でN華が僕の方をちらと見ただけで、二人はそのまま部屋を出て行った。東京タワーの見える会社の屋上で、おいしい昼食をとるところだ。13:01。携帯が光り時刻を告げ、それから数秒おいて着信を告げた。先程のメールの確認ですが〜云々。目の前にいるはずのない仮想敵に対して僕は頭を下げながら礼を言い、電話を切った。どうして頭を下げてしまうのだろう。目の前には、ダイエットの大敵であるラーメン屋の店主も、ゲンコツを浴びせてくる顧問もいないというのに。
ネットニュースを見ると、沖縄ではプロ野球のオープン戦が始まっていた。俊足で、「ピノ」と呼ばれている選手は、センターオーバーのヒットで三塁に到達した。その3ベースヒットに浦添は沸いたそうだ。かつて琉球王国だった地で、とんでもなく足の速い選手が、とんでもなく肩の強い選手の球を打ち返し、そして走る。走る走る。何から逃げているのか、何を追っているのか。歴史に決断を迫られた政治家はそれほど足が速くないので、追いつかれてしまうだろう。それか途中の深い水溜りに気づかずに沈んでしまうだろう。それほど足が速くない時、運動をしたくない時、もう、頑張れない時、そういう不安定な時に、もしも追ってくるものが巨大で、迅速だったら、僕はどうすればいいだろう。
家に帰ると、僕はリュックにできるだけの水と毛布を入れ込んだ。よし、これでいつでも逃げられる。午後までの仕事はやり切ったが、気が気じゃなかった。何せ、いつ何が追ってくるかわからないのだ。こんな時のためにダイエットを先に終わらせておくべきだった。すると学生時代の友人から久しぶりに連絡があった。彼はこんなふうに脈絡なく連絡をよこし、突拍子もなく質問してくる。面白い男だ。
「なあ、戦争が始まったらどうする? 」
「どうするって? 」
「俺なら竹槍で突っ込むね」
「どこに? 」
「どこにってそれは、敵陣にさ」
「敵は空から来る」
「絶対にか」
「絶対にだ」
「敵って誰だ? 」
「俺の食事とビールを阻むものだ」
「ライザップのトレーナーか」
「或いはコロナウイルスか」
「いずれにせよ」
「竹槍では敵わないと思うぞ」
「それ以外に戦う技術なんてないだろ」
「逃げるんだよ」
「逃げるって」
「どこまでも逃げる、僕は」
「俺は戦うぞ」
「勝手にしろ、死ぬなよ」
「あ、そうだダイエットは? 」
「絶賛5年目に突入したところだ」
「その調子だよ」
まさか日常にハリウッド映画みたいなLINEができる友人ができるとは思わなかった。楽しい。ダイエットは続かない。とりあえずラーメンを食べに行こう。全てはそれから、考えよう。
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