ぐしゃぐしゃ

これって私の感想ですよね

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最近の記事

哲学の素朴さ

私は永井均先生の著作とその一派のXを読んでもっと手軽に哲学できるようになった。 哲学といえば難しい響きなわけだが、自分とは関係ないの哲学とか、公園の哲学とか私はこういう日常的な疑問を哲学で楽しめるようになった。 難しいことを考えたり、難しい本を読んで他の哲学者の考えを学んだりすることが哲学だと思っている人はたくさんいますがそうではないんだと思い知らされた。 というのも、私も実は白状すると最初に永井均の本を手に取った時に私はこの人の哲学を知りたいと思って手に取った。 この人

    • 極端なことを考えるという手法

      私は現代思想入門(著千葉雅也)を読んで以来極端に考えてみることの面白さにハマっている。 むろん上記の本は間をとろう(昔に読んだのでもはや正確かは分かりませんが)みたいな話になるので、極端に考えてそれを採用しようみたいなこととは関係がないということだけ断っておきます。 この極端に考えるという方法は安直な常識みたいなものを盲信しそうになるのを止めてくれます。 昨今の性周りの論もこの極端に考えるということが使えます。 例えば最近50歳の人は恋愛対象にならないと言って炎上した

      • 一発退場の世界へようこそ

        最近では芸能人のポスト一つで活動休止やら、フリーアナウンサーの契約解除やらとてつもない世界が到来してますが。 しかし、私のように最初からこうなることが分かっていてそれに懸念を表明し続けた人がいたわけです。 みんな、絵をキャンセルしてる時は別になんとも思わないわけです。不快な物が目の前から消えるのはいいことだ、下品な物が目の前から消えるのはいいことだ。みんな大喜びしてるわけです。 少し前にはコロンブスがキャンセルされました。あの時だってみんな大手を振ってキャンセルしたわけで

        • 公園を哲学する、現代のグロテスクな公園について

          たまたま、自分が子供の頃行っていた比較的大きな公園を通ることがあった。 最近ではよく公園で子どもが遊べないとか、子どもの声がうるさいとは何事か!みたいな感じでXでは論争しているのを見る。 公演が話題になるのはきっと、これくらいだろう。 私はそれは、まぁともかくとして注目したいのは遊具である。 私が子供の頃と違って、やけにカラフルでしかも安全で、やけに低めに作られている。 ここで言う安全とは何か。それは用途が極限まで限られている、ということである。 この遊具はこの遊び方

          平手友梨奈とは時代が見せた幻影なのか。

          平手友梨奈が事務所を退所するというニュースを見た。 平手友梨奈とは時代の人であって、天才とかそういう類のものではないと思っている。 それはサイマジョが出た時からずっとそう思っていた。 無論それからの平手友梨奈という人は、天才カリスマ系として受け入れられたわけだけど。 サイマジョが出た時期というのは、自分らしく生きていこうぜみたいな話がまだ賛否両論的な位置を占めていたことと、楽曲自体の良さがあった。 私は今の世代が聞けばなんてことはない曲だと感じるに違いないと思う。 自分ら

          平手友梨奈とは時代が見せた幻影なのか。

          SNSの誤爆に言い訳を求める社会

          裏垢などを使っていて、間違えて本垢で悪いことを書いてしまう、誤爆が後をたたないわけだがこれは何が問題なのだろう。 3パターンの反応が考えられる。 実際に本人が間違えたことを認めるパターンと、乗っ取りでした!と言うパターンと無視を決め込むパターンである。 通常本人が間違えたことを認めるというのは、内容によってはリスクが高いが、認めるとすぐに鎮火するというメリットもある。 他方で乗っ取りでした!は実際にはみんな殆ど信じることはない。実際に乗っ取りだった証拠を出せるならまだ

          SNSの誤爆に言い訳を求める社会

          アインシュタイン稲田は本当に不正アクセスされた可能性は結構あるよという話

          芸能人が誤爆して、乗っ取りです!というのとはわけが違って、なりすましからの画像要求する事件というのはそんなに珍しくない。 私は特にファンというわけでもないが、意外と大衆が不正アクセス事案に無知であることに衝撃を受けたので少し書いてみる。 私がそう思う点をいくつか挙げる。 まず、「稲田本人のアカウントを使っている」以外の本人である証拠が出てこない。 これは不正アクセス事案において、最もまず疑うべきところである。普通本人はやり取りの中で自分が本人である証拠、写真なり通話なり

          アインシュタイン稲田は本当に不正アクセスされた可能性は結構あるよという話

          大抵のことは放っておいた方がいい

          過度な肯定も、過度な否定も基本的には問題を悪くする。 とくにここ数年の社会はそうだ。みんな、社会を良くしようとしてあれこれ改造しようとする。 それが法であれ規範であれいずれにしろ、それによって社会がよくなるとは限らない。 しかし考えてみればそれは別に不思議なことじゃない。 普通何かして、よくなることもあれば悪くなることもあるわけだが特に現在の人間は「改革」と言われると暗に良くなる想定しかしない。 私は世の中が、ここ最近特に行動によって悪くなっていると感じている。 みんな

          大抵のことは放っておいた方がいい

          ワンイシューを脱落させた石丸氏

          ふと考えていたのだが、通常「人気」を取りに行こうと考えた場合、ワンイシューは非常に強力な武器になる。 国民を二分することができるからだ。これこれを掲げて選挙に出ればそれに賛成か反対かというシンプルな構図となる。 しかし、石丸氏は今回それをしなかった。意図的なのかどうかはわからないが。 それは、他方では中身がない政策がないと批判されるわけだけれど、デメリットばかりではないと思った。 つまり今までのワンイシューを掲げたポピュリズム的な政治家というのは、中心に一本の柱を建てて

          ワンイシューを脱落させた石丸氏

          昨今の厳罰化の流れ、懲役6年は軽いのか?

          世界が平和になればなるほど我々は、どの程度の刑が妥当か?ということが分からなくなるのだと思う。 特に最近の性犯罪まわりの過度な厳罰化の流れに感じる。 とりわけ性犯罪というものが他の犯罪よりも多くの人の嫌悪感を呼び起こすことも合わせると、やたらと刑が軽いと言われる。 果たしてこれほんとうなのか?あるポストを偶然見た時確かにと思った。 懲役刑を受けたことがないのに、軽いとか重いとかなぜ言えるのかみたいな趣旨のポストだったと思う。 確かに、懲役刑なんて受けたことがない人が殆ど

          昨今の厳罰化の流れ、懲役6年は軽いのか?

          幸せになることより幸せでなくてもなんとかやっていく方向に舵を切ったら

          私はポジティブシンキングというのが生来合わないようであり、幸せの総量を増やして人生を愉しむという路線では生きられないようであった。 何度も自分を変えてみようと思ったが、それは全く叶わなかったのである。 なんでも幸せと思ってしまえばよいではないか、と考えてみたこともある。ご飯食べて美味しい幸せ好きな人がいて幸せ、友達がいて幸せなどなど。 こうやって生きられたらどんなに幸せだろうと思う。 だけれども、こういう幸せは私の人生の初期の段階で完全に潰えてしまった。 それは私の家庭環

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          ネット上の誹謗中傷をどう考えるか

          私はネット上の誹謗中傷なんぞ取り締まる必要がないと思っている派です。 人が死ぬんですよとか言われても、じゃあ死ぬ前にアカウント消して見なければいいだけでしょうとしか思いません。 だれもSNSをやることを強制されている人はいない。 仕事で使わなければならない人はスタッフに任せるなどすればよいし、自分でやる必要はないです。 そもそもXを例に取りますが、規約であなたの不快なコンテンツに遭遇する可能性はすでに書かれているわけですから、それに同意した時点でもうしょうがないです。

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          石丸叩きに思うこと、人格攻撃はやめよう

          私は小池石丸蓮舫どれにも入れていませんから中立気取って書くのですが、蓮舫さんは別に叩かれてはいないですよね。 ただ敗因を分析されたりしてるだけです。 しかし、石丸さんは人格攻撃の割合が少し多過ぎやしないかと思う。 経歴や学生時代のこととか想像で叩かれすぎだし、受け答えが悪いだのと言われたり(それはまぁ実際よくない部分もあるが) また、テレビ出演で少子化云々聞かれて一夫多妻だとかなんとか言ってたのまで叩かれてますが そもそも少子化対策については選挙で嫌というほど聞かれたでしょ

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          左派・リベラルのダサさとアニメや漫画の排斥は地続きなのでは、Rシール問題

          なんというか、まぁ都知事選自体それからその後のあれこれを総括すると左派・リベラルのダサさというのはちょっと常軌を逸してますね。 いや、酷い以外の言葉が思いつかないほどに。 なぜあそこまで酷いのかということを少し考えてみたい。 若い人も少しは運動の中にいるはずなのに、なぜあんなダサいものが生まれてくるのか。 彼らの中の美的センスの無さが、そのまま実は現代カルチャー特に漫画やアニメの否定にまで繋がっているのではないかと思い始めた。 つまり、彼らの中の正義的美的センスというもの

          左派・リベラルのダサさとアニメや漫画の排斥は地続きなのでは、Rシール問題

          モテすぎてわざとブサイクにしている女性の話

          これ系の話で主に女性ではあるが、男の目が気になるから好きな格好ができない的な話を見るたびに、一生そうやって男に敗北していて良いのかと思ってしまう。 海外だとジロジロ見られないだのなんだのも聞くけれど、そりゃ海外では普通なのだったらあえて見ないだろう。 逆に海外で日本人がいわゆる日本人的な格好をしていたら(特に一般的なコードから外れる)普通にジロジロ見られる。 アメリカ合衆国を例に取ってみても一般的に日本人がオシャレだと思っている格好がアメリカではまぁまぁ破廉恥な格好ととられ

          モテすぎてわざとブサイクにしている女性の話

          人間が自分一人で人生をなんとかしようと思ったら

          私は続ける以外に無いと思っている。 この「ライフハック」はウケが悪い。習慣の本はこの世に掃いて捨てるほどあるわけだが、本質をついた本は私はほとんど知らない。 続ける習慣という本以外には。 この本が唯一この時代に、人間が一人で救済される方法を示している。 習慣の本は結局のところ自己啓発的な意味合いから結果を重視している。 それを続けた結果どうなるか、続けることで大きなことができるとか云々。 しかし、続ける習慣という本だけは、ただ続けるということだけを本質的に抉っている。 だか

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