極端なことを考えるという手法

私は現代思想入門(著千葉雅也)を読んで以来極端に考えてみることの面白さにハマっている。

むろん上記の本は間をとろう(昔に読んだのでもはや正確かは分かりませんが)みたいな話になるので、極端に考えてそれを採用しようみたいなこととは関係がないということだけ断っておきます。

この極端に考えるという方法は安直な常識みたいなものを盲信しそうになるのを止めてくれます。

昨今の性周りの論もこの極端に考えるということが使えます。

例えば最近50歳の人は恋愛対象にならないと言って炎上した女子大生がいました。
これを例に極端に考えてみます。

例えば私たちのポリコレが窮まり過ぎて、とうとう人に年齢を明かすことや聞くことそのものが差別になった世界を考えます。
そうしますと上記の話はもはや成り立ちません。
もはや相手が何歳なのかはわからないのですから、人を好きになったりならなかったりの基準に年齢が使えなくなってしまいます。

しかし、この例だとこういう反論が考えられるでしょう。
確かに見た目で正確な年齢は分からずとも、大体のことはわかる。50代のおじさんなど見れば判別できる。
そう言う人もいるでしょう。子どもか大人かおじさんかの大雑把な判別はつくと。

ではさらに極端に考えてみます。
未来の世界では人の年齢を聞くのは禁止されていて、かつ人々は自分の見た目を瞬時に自由に改変できるとしたら?
今で言えばオンラインゲームやVR空間で美少女のアバターを使うおじさん(50歳)みたいなもんです。

そうなるとこれはもう、わかりません。
相手の見た目では判別できず、さらに年齢を聞くことができません。
子どもの姿をしている人が本当に子どもなのか、おじさんの姿をしている人が本当におじさんなのか、全く分からないことになります。

もしそのような状況になったとして、我々はどのように恋愛をするのだろうか。
そう考えてみると私たちがいかに狭い常識に囚われているかが理解できる。

世の中でそんなの当たり前じゃんって考えられていることに対しては、常に上記のような極端に考えるということをしてみると、世の中の大勢がまるで真理のように語っている道徳や常識も精々ある一定の範囲で認められてるだけに過ぎないことに気づいたりします。

なかなか楽しいので皆さんも試してみてね。

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