平手友梨奈とは時代が見せた幻影なのか。
平手友梨奈が事務所を退所するというニュースを見た。
平手友梨奈とは時代の人であって、天才とかそういう類のものではないと思っている。
それはサイマジョが出た時からずっとそう思っていた。
無論それからの平手友梨奈という人は、天才カリスマ系として受け入れられたわけだけど。
サイマジョが出た時期というのは、自分らしく生きていこうぜみたいな話がまだ賛否両論的な位置を占めていたことと、楽曲自体の良さがあった。
私は今の世代が聞けばなんてことはない曲だと感じるに違いないと思う。
自分らしく生きていく当たり前ではないか、何をそんなことを仰々しく歌っているのかと思うかもしれない(無論響く人もいるだろうが)
また、超絶権力者であるところの秋元康に見初められたことは、本人にとってもやはり大きすぎるくらい大きいのではないかと思う。
秋元康の総資産がいくらかは知らないが、ある日突然ただの中学生が日本の指折りの富豪に天才だと担ぎ上げられたらそれは、そう思っても仕方がないのではないかと思う。自分だったらきっとそう思う。
なんでも言うこと聞いてくれて、自分の思い通りになってそれが中学生の時なら万能感を得ても仕方がないと思う。
みんなが天才だと持ち上げることで、天才を偽造することは天才を見つけるよりも遥かに簡単なことだ。
天才を見つけるのは難しいことだが、天才を作ることは簡単、秋元康の手法がハマったという感触を受けた。
ちなみにこの天才だ天才だといって天才(偽)を作る手法は、乃木坂の5期生である中西アルノでやろうとして失敗した感がある。
ただこれは秋元康の差金かは私にはわからない。
ヒット曲が欲しいバズりたいという乃木坂運営がむしろ乗り気で平手みたいなことやっちゃいましょうよと思ってやったのかもしれない(失敗したが)
しかし、天才キャラというのは降りるのが大変だと思う。
今ぽんこつキャラをやっている中西アルノはむしろよかったのかもしれない。
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