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記事一覧
【甲陽軍鑑】甲信国境・瀬沢合戦
甲陽軍鑑品第二十ニに書かれている合戦について紹介します。
瀬沢合戦天文11年(1542年)2月中旬、信濃国の大名たちは、甲州の武田晴信公に対抗するために緊急の会議を開きました。集まったのは、小笠原長時、諏訪頼重、村上義清、木曽義康の各大名です。彼らは、武田晴信公の勢力拡大に対抗するための協議を行い、その結果、甲府に出陣することになりました。
家臣たちからの提案信濃勢侵略対策のため甲府には武田家
【甲陽軍鑑】甲州・韮崎合戦
甲陽軍鑑品第十八に書かれた戦いを紹介します。甲州・韮崎合戦は、1538年(天文7年)に、信州の諏訪頼茂と小笠原長時が、甲斐国の内紛に乗じて侵攻した戦いです。この内紛の背景には、甲斐国を治めていた武田信虎と、その長男・晴信(後の武田信玄)の対立がありました。信虎は次男を後継者にしようとしたため、晴信との親子仲が悪化し、最終的に晴信が今川義元の助力を得て父を駿河に追放しました。この状況を知った諏訪頼茂
もっとみる【甲陽軍鑑】信州・海尻合戦
甲陽軍鑑品第二十に書かれた戦いを紹介します。信州海尻の合戦
天文9年(1539年)の正月晴信の重臣である板垣信形の巧妙な策略により、信州海尻の侍たちを説得し、晴信の陣営へと引き入れることに成功します。これにより、海尻の城は無血で開城され、晴信に献上されました。
海尻の本城の守備は、日向大和守が二の丸、長坂左衛門と三の丸を担当しました。
本丸の守備は板垣信形、飯富兵部、甘利備前守、小山田備中の