マインドフルネスへの疑念に答える(1)
2023年5月、X(旧Twitter)で心の専門家(公認心理師、臨床心理士)である小野寺リヒトさんからの質問を受けました。そのとき、十分にこたえられた感じがなかったため、もう一度回答を試みたいと思います。
一般の方だけでなく、専門家の皆さんにもマインドフルネスに興味を持っていただければ幸いです。長くなりそうなので、2つに分けて公開していきます。
質問1
このように頂いた質問に対して、次のように回答しました。
更に次のようなご質問をいただきました。
新しい回答
マインドフルネスという言葉を世に送り出したJon Kabat-Zinnの定義は次のとおりです。
なぜマインドフルネスという言葉が多様に表現されるのか。それは、まずマインドフルネスが医療では治療法や補完医療としてとして、学校では教育として、また企業ではメンタルヘルスケアやポジティブ心理学として、更には由来である仏教界隈でも議論されるなど広い領域で扱われています。このため多くの異なる表現が存在し、疑問や混乱を生んでいると考えらえます。しかし、純粋な「マインドフルネスの定義」はジョン・カバットジンの定義に求めることが自然です。なぜなら、マインドフルネスという言葉を世界に広めたきっかけを作ったのは彼だからです。
医療従事者、会社員、仏教徒などがそれぞれの立場から様々な形でマインドフルネスを表現することはあっても、それがマインドフルネスの定義そのものではないということです。したがって、様々な領域で扱われているマインドフルネスすべてにエビデンス(科学的根拠)があるとされているわけではありません。
何をもってエビデンス(科学的根拠)があるとされているか
それは世界各国においてランダム化比較試験、メタアナリシスやシステマティックレビューなどのエビデンスレベルの高い研究です。ここではマインドフルネスストレス低減法(MBSR)、マインドフルネス認知療法(MBCT)という系統的なプログラムが用いられています。2023年1月には、抗うつ薬であるエスシタロプラムと同等の不安への効果があるという論文も出ています。
「マインドフルネスとは何ですか?」
という質問に対する私の回答は――
「今この瞬間に生じることに対して評価や判断を脇に置き、ありのままを受け入れることで、かつ自分に優しさをもたらす生き方」
です。この質問は「愛とは何ですか?」や「傾聴とは何ですか?」などの質問のように言葉では言い表しづらいものです。
質問2
この質問に対して、次のように回答しました。
更に次のようなご質問をいただきました。
新しい回答
恐らく治療法としての心理療法であるACTやCFT内のマインドフルネスと、それ以外となるMBSRやMBCTとしてのマインドフルネスを混同している可能性があります。そのため、これを分けて考えていただく必要があります。ACTの専門家ではありませんが、回答してみたいと思います。
行動療法のアプローチの仕方とは異なるため違和感があるは無理もないことだと思います。第三世代の認知行動療法ではそれまでの認知行動療法とは異なるアプローチですから、解決したい特定の行動を「修正する」という関わりではなく、その人がその行動を理解し「受け入れる」のをサポートする介入をします。ACTではその特定の行動として認知的フュージョンや体験回避を挙げていますが、ACTの大家ラス・ハリスも本人が言わないかぎり他人にわからない体験として体験の回避を挙げています。何をもってその人を理解するかと言えば、信頼関係をもとにした対話が前提となります。これは治療ではない、Mindfulness-Based Interventions(MBI)にも言えることです。
マインドフルネスではどうするか
次に、マインドフルネス瞑想においてはどのように扱うかを考えてみましょう。Aさんは次のようなことを体験しています。
会社に行かなければ迷惑をかけてしまうという考え
申し訳ない気持ち
ドキドキした心臓
冷や汗がでる感覚
こんな自分ではみっともないという考え
きっとダメなやつだと思われているという考え
呼吸が浅い
体が重だるく、固まっているような感じ
マインドフルネス瞑想では、これらの思考や感情、身体感覚に気づきます。変えようとせず、そのままにしておきます。「このようなことを考えても仕方がない」といった感情や、「深呼吸して落ち着かせなければ」という焦りが生じても、それを受け入れることが大切です。
注意があちこちに浮遊する時には、呼吸や身体の感覚など、自分の注意を向けやすいところに意識を向けます。また、不安や呼吸の浅さに意図的に注意を向けて観察します。リラックスしてきたら、そのことに気づきます。何も変わらない場合でも、その状態に気づき続けます。
このように、マインドフルネスは不快な出来事を解決しようとするのではなく、それがあろうとなかろうと、いま自分に起きていることを価値判断なしに観察することを志向しています。
例えば、スポーツの技術練習ではなく、体の柔軟性や体力、健康さなどの基礎的な部分に焦点を当てることができます。これは直接的に次の対戦相手との戦略には関係しませんが、その戦略の基盤にはいつも体の基礎が大きく関与しています。そのため、マインドフルネスをコンピュータのOSのアップデートに例えることもできます。
このように、マインドフルネスは薬やリハビリといった直接的な治療要素というよりは、薬やリハビリの利用の仕方、つまり、その人の主体的な要素に作用するものと言えます。それを広げていくと、どのように生きるのかという部分にも関わっていくわけです。
さいごに
最後までお読みいただきありがとうございました。回答はいかがだったでしょうか? まだまだ疑問の多いマインドフルネス。ご質問がありましたら、ぜひコメントでお寄せ下さいね。
パート2はまた後日アップしたいと思います。
ご案内
新生活で疲れてくる4月に、マインドフルネス体験セッションを開催予定です。朝の会と夜の会をご用意しています。ご参加をお待ちしております。
4月19日(金)22:30~ 夜の会|マインドフルネス体験セッション
4月28日(日)07:45~ 朝の会|マインドフルネス体験セッション
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