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誤診【発達障害】とはー強迫、双極症 闘病記【27】

いざ鹿児島へ

前回は発達障害と診断されて治療を始めたところまで述べました。今回は鹿児島に行くところから述べたいと思います。

病状が悪く、どうにもならないので医者とカウンセラーのスーパーバイザーである神田橋條治先生に診てもらうため鹿児島に行くことにしました。

しかし鹿児島には飛行機に乗っていかなければなりません。私はその頃は一週間に2日ほどしか起き上がることが出来ませんでした。残りの日は寝込んでいました。また不安が強く、外に出るのも怖いという状態でした。

そのため鹿児島に行く予定が立てられません。かといっていつ調子がよくなるかも分かりません。

そこで、たまたま調子が良い日に思い切って母親と行くことにしました。飛行機は前日予約なので2人で18万円かかりました。

今思えば信じられない金額です。

父親の献身

さて私の闘病記を読んでこられた方ならお気づきかもしれませんが、私は金銭に困ったことがありません。

貧困妄想が出ることは度々ありましたが、実際に病院代が払えない、ご飯が食べられないというようなことはありませんでした。

それは父親が自営業で頑張ってくれていたからです。父親は病気のことは分からないと言い、私のことを理解するのはあきらめていました。

それでも医者や治療に関する支出に対して文句を言ったことはありませんでした。

神田橋條治先生

さて鹿児島に無事到着し、病院に向かいました。あの神田橋先生に会えるのです。医者やカウンセラーが尊敬してやまない神田橋條治先生です。

病院に入ると中へ案内されました。
そんなに待つことなく診察室に呼ばれました。

まず神田橋先生は紹介状を見ていました。優しい顔をして「遠くから良く来たねえ」と言いました。

そして検査などはせずに、「君は発達障害だねえ」と言いました。
続いて薬がいっぱい入っているボウルのようなものを取り出しました。

薬の選択

そしてボウルに右手を入れました。先生は左手で私の手を握り、右手で薬を選んでいました。私と薬との相性をみていたのです。
Oリングとは違う薬の選び方でした。

そこで選ばれたのがテグレトールとエビリファイでした。二つとも双極症に使われる薬でした。「これでよくなりますよ」と言われました。

私はその一言を聞いて安堵しました。鹿児島まで来て良かったと思いました。

圧倒的な存在感を放つ神田橋先生

そして帰りがけに遠くから来たからおまけということで、気功や体操のやり方を教えてくれました。

私は神田橋先生の存在感に圧倒されていました。先生の言うとおりに体操をすると本当に気分が落ち着くような気がしました。私は感化されやすいのです。

そして強迫症に苦しんでいることについて聞くと、「発達障害なので大丈夫ですよ」と言いました。

神田橋先生の落ち着いた佇まいを見ていると、先生に処方された薬を飲めば、強迫やひどいうつ状態から逃れられると思ったのでした。

次の日に飛行機で家に戻りました。

薬との邂逅

医者に鹿児島に行ってきたことを報告しました。医者は紹介状を読み終わるなり、テグレトールとエビリファイをOリングで試していました。

そして「これは完璧です」と言っていました。私はその言葉を聞いてうれしくなりました。

二人の先生がこの薬は私に合うと言ってくれました。
13歳の時からいろいろと薬を飲んできましたが、抗不安薬以外はほとんど効いているという感じがありませんでした。
13年目でやっと自分に合った薬に出会えたと思ったのです。

薬が効かないどころか…

そして神田橋先生が処方してくれた薬を飲み始めました。
最初は何の変化もありませんでした。それに対して医者は「ゆっくり効いてきますよ」と言いました。

しかし時間が経つにつれて何とも言い表せないほどつらくなってきました。その旨を医者に言うと「神田橋先生の処方に間違いはありません」と言いました。

その後あまりにもつらくて、いてもたってもいられなくなりました。それを医者に言うと「神田橋先生の処方を変えろというのですか」と怒られました。

どうしようもないので医者には内緒でエビリファイを抜くようにしました。そうしたら少し落ち着いてきました。
エビリファイは私の体に合っていなかったのです。

発達障害の治療もうまくいきませんでした

途方に暮れました。結局発達障害の治療もうまくいきませんでした。もうどうしようもないのだと思いました。

とりあえずカウンセラーと医者、神田橋先生は誤診をしていると思ったので通院をやめました。

大人の発達障害

その頃はちょうど大人の発達障害という言葉が出てきた頃でした。
今は発達障害そのものが増えているようですがそれについてはここではコメントを控えます。

後で分かったことですが、その当時は薬物治療をしても治らない患者は発達障害の可能性があると言われていたようです。
そのため13歳の時から治療をしても治らない私には、発達障害の可能性があると考えたのでしょう。

確かに発達障害には強迫行為が見られることがあります。また、うつに関しては発達障害の二次障害として出ることがあると言われています。

誤診

それにしてもカウンセラーはろくに診察もせず、私の雰囲気で発達障害と決めつけて、医者を変えさせたというのはやり過ぎだと思います。

医者は発達障害の検査はしてくれましたが、カウンセラーの方が高齢ということもあり、言いなりになっている面がありました。

またOリングという検査方法はその人と薬の相性を確かめる方法として妥当なのでしょうか。
それで良くなった人もいらっしゃるでしょうからここではあまり批判はしません。

そして神田橋先生はなんだったのでしょう。スーパーバイザーですからカウンセラーや医者の指導をする立場でした。

そんな神田橋先生は検査もせずに私を発達障害だと診断しました。そしてよく分からない方法で薬を調整しました。
その結果薬が合わず私は非常に苦しみました。

本などを読んでいると、神田橋先生の治療で多くの人に症状の改善が見られたようで、名医と呼ばれています。私はたまたま運が悪かったのでしょう。

私の病

13歳から始まる、この一連の診断と薬の変化は私一人の問題でしょうか。
双極性障害Ⅱ型の診断が流行ればそのように診断され、大人の発達障害が騒がれ出すとそのように診断されました。

前回も述べたように医者は私の病気が分からないのです。

薬物治療をあきらめないで

同じような経験をした方もおられるかもしれません。
また私のように診断名や薬がコロコロ変わり、苦労されている方もいらっしゃるかと思います。

今だから言えますが、13歳から始まる24年間にわたる精神科での治療を諦めなくてよかったと思っています。今の自分があるのは薬物治療のおかげです。

どんな人にも自分に合った薬があるかもしれません。時間はかかるかもしれませんが見つかるまで希望を捨てずに粘りましょう。

あきらめないということはとてもしんどいことですが、私はあきらめなくてよかったと思っています。

私の出来ること

私は24年間現代の精神医学に翻弄されました。私のようなことが起きないように活動していきたいですが、具体的に何をするかは今のところ白紙です。

この闘病記を綴ることに何らかの意味があると思ってやっています。

医者

なお私は特定の医者が悪いというつもりはありません。
苦しい思いをたくさんしましたが、医者はいつも一生懸命私を診てくれました。

決して不真面目な態度で臨まれた医者はいませんでした。そして自分で勉強されたり、他の先生に相談して意見を聞いたりと、様々なことをしていただいたことを知っています。

だから個人攻撃は控えたいと思います。
全ては医者には分からない私の病が悪いのです。

病の原因

そして病の原因は私にもあるのです。回復したからこそ言えますが、根本的な対処としては自分を変えていくしかありません。

もちろん薬の力を借りることはとても大事です。自分に合う薬を見つけるというのは最優先してやるべきことです。

さて自分を変えるのは簡単ではありません。

しかし自分で考え、工夫し身につけたものは一生ものです。

薬のように副作用や離脱症状はありません。また再発の可能性も最小限に抑えられると思います。

前から述べているように私は精神病の大敵であるストレスを減らす方法を見つけました。

その方法を今後この場所で公開していきたいと思います。


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