世界の広さを知るほどに。

人に親しみを持つ瞬間ってどんなときですか?
これは世界共通なんじゃないでしょうか。

私が人の面白いなあと感じているところが、『心の距離の在り方』です。

昨日、職場の人が感情的になってしまったのか方言がぽろっと出てて、それを耳にしたんですね。
その人と同郷というのは知ってたんですが、普段は聞かない言葉だったのでなんだか新鮮で。
でもそれと同時にホッとするというか、嬉しくなったんですね勝手に。
分かるよ、感情的になると出ちゃうよね。と親近感が湧いたんです。

昨日なんとも思ってなかった人が、出身地が同じだったり、好きな音楽が一緒だったりすると急に親近感湧きませんか?
これってどうしてなんでしょう?
同じ景色、同じ嗜好、同じ思い。。
それが感じられたとき、心の距離がグッと近くなります。

気持ちとは勝手なもので、昨日どうでもよかった人(ひどい)でも、共通点を知れば親しみを持ってしまうものです。

同じ出身校、同じ地元の人。
海外に行けばもう同じ日本人というだけで出会うと嬉しい。(私はね)

世界の広さを知るほど、いろんな価値観にふれるほど、『同じもの』を見つけるのが難しい。
だからそれを見つけたとき、とても嬉しく感じます。

noteでこれだけ多くのクリエイターがいて、親近感を覚えたり、逆に遠い存在だなと感じてしまったり。。

私はnoteをやっていることを特に周りに話していないので(話したところで興味はないと思うけど)
周りにもnoteのクリエイターだという人に出会ったことがありません。

でも、「実はnoteをやってるんです。」なんて告白されたら、相手がどんな人でも私はきっと仲間だな、なんて思う。

noteの中ではときに通り過ぎてしまう記事も、そんな人の記事だったらきっと見に行くし、それを見てなんだか嬉しいともきっと思う。

実際の関係性は何も変わっていないのに、自分の心の距離感が変わってきます。
でもそんなものに出会うと、もはや気持ちだけでなく行動も影響されますね。
やっぱりこれは、人が『共に』生きる、生きたい、と思っているからなんでしょうか。

学生時代、楽しかったこともたくさんありますが、なんだかしんどいなと思うこともありました。
それは人との違いを肌で感じすぎてしまうからです。
同じ地域で、同じ年で、同じ制服を着て。そんな狭い共通点だらけの中で生活すると、自分と周りとの違いが浮き彫りになってしまって。

でも社会に出て世界の広さを知れば、違って当然。当たり前なんだと気づく。
そしてそんな中から共有できるコトやモノがあるってなんて素晴らしいんだと、また気づく。

大人になって同じ中学校の人と出会うなんて奇跡に近いですよね。。

共感する曲、文章、言葉。
美しいと思う写真。

自分が苦しいと感じたり、美しいと感じたり、そんな瞬間を他の人のnoteで感じられることがあります。
自分だけじゃなくて誰かもそう感じるんだな、と知れたとき、「同じ」ことが嬉しいです。

完全無敵のヒーローより、弱みや人間くささを感じられるものに魅力を感じてしまうのは、自分に近いから。

ビジネス書か何かで読んだことがあります。
人と競って何かを進めるより、同じ目標に向かって共同作業したほうがチームのパフォーマンスは上がるそうです。

だから宇宙人の侵略とか受けたら、世界平和になるんじゃないでしょうか。(超飛躍)

宇宙から攻撃されたらもう地球規模の争いなんてやってられなくなるかと。
仲の悪い国同士がハイタッチできる環境ってもはやそのくらいなのではと思ってしまう。。

まあこんな単純な問題じゃないんでしょうけど。。

私はまだまだ世界の広さを知りません。
私より知っている人はたくさんいます。

そんな人はいろんな人との共通点を見つけれるんでしょうね。
素敵です。

「世界は広いけど狭いなー」と、いつも言えるような生き方をしたいなあ。なんて思っています。


読んでいただきありがとうございます。



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