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【Vol.31:グラヴィスお話会(2023年3月某日)レポート② 】

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実はこれ(大島紬の端布、写真①)、黒いでしょ?

写真①:大島紬

これは絹糸を泥田どろた(写真②)の中に突っ込んで染めているんですよ。染料でもない、顔料でもない、『泥染め』と言われるやり方なんですね。

写真②:泥田

これは大島の特徴で、僕はこのという世界がいわゆる『カオス状態』。つまり色んなものが含まれている、泥の中に。 
一応理屈としては、泥の中の鉄分と『テーチ木』という植物染料使うんですけど、そのタンニンが引っ付いて黒くなる・・・という説明がありますが、それだけじゃない。 

この泥がなければ大島紬が成立しないんだけど、この泥の中に色んな『見えるもの』と『見えないもの』があって、絹糸と交流しながら染まっていく。

泥パックあるじゃないですか?僕はやったことないけど、あれは泥の有効成分が肌に非常に良い、ということでやっていると思うんですけど、それも少し違うなと思う。 見えるもの、見えないもの、両方あると思う。

僕らの見えない部分と泥の世界というのが、何か調整を行うことによって、身体が整っているんじゃないか、と思うんですね。

大島紬で考えてみると、泥の中に突っ込んだものを自分の身に纏うなんて、とんでもないと思うけど、既に大島紬という形で作られた反物が、これまでに何千万という数で、すでに世の中に出ている。
金額は高いものだと数百万を超える、一反で。 

そういう風に、もう既に紬が目に見えない何かと繋がって、その人の免疫力を確かに上げている、分からない何かがあるのではないか。
でなければ、ただ「柄が、泥の黒が、雰囲気が良いから」だけでは売れないと思うんです。 

僕はその疑問があって、紬の世界というものを追求していった時に、身体にやっぱり行きあたって。それで『身体と織物の関係』というのを追求して、最終的に出来たのがこの帯(写真③)。

写真③:グラヴィス帯


そして結論として、皆さんが調整するというのは大島と全く同じこと。
そういう世界観に立って、大島紬にご自分の身体を見立てて、同じように調整しているという風に、自分の中で結論が出たんですね。

 
でも、ちょっと間違いがあった。『僕が皆さんの身体を調整する』、これは間違っていると明らかに思った。
帯でやれること、皆さんが自分でやるべきことを、僕がやっている。
これははっきりと、無用なことなんです。治療の前にご自分でやることがある。
『身体のバランスは自分自身で調整する』、それに気がついた。
それが『いのちのルール』なんです。
 
例えばTさん、Tさんの身体はTさんが『どこに何をしに行くのか、どう生きるのか』と決めた瞬間に、そこに向かって全ての調整が始まる。
だけど、それがTさんの考え方と違ってくると、身体が混乱するんですよ。

何も難しいことじゃない、つまりキモチ。心が乱れると身体も乱れてくる。
それは環境にも現れてくる。そういうことが、色々とはっきり分かってきた。
 
だから僕がTさんの世界に入って、Tさんが『治療を受ける側』、僕は『治療する側』、こういう関係で何かやっちゃダメなんです。

 
だから僕は脳梗塞様で2度倒れちゃった。全く動かなくなった。
もう自分で調整のしようもない、どうしようもないですね。言葉がしゃべれないし、身体も動かないし、頭脳も混乱する。
1度目は右側が動かなかった、2度目は左側が動かなかった。
だから右側が動かない、左側が動かない、それでちょうどバランスがとれた。(笑)
どういう風にバランスが取れたかというと、「本来に戻れ。お前、そんなことやっちゃダメだよ」と言うメッセージだったという様に感じた。
 
そこにすごく気づいたんですよ、倒れて初めて。
だから「他者調整はやめる」と。いわゆる治療行為はもうやらない。
帯で全部出来るし、帯に託して、そして『自分で調整する』という本来の自己調整に戻る、原点に。
 

調整というのは、『いのちのルールに任せる』、そしていのちのルールというのは、その本人が決めたらそこへ向かって、いのちは全力でその人をサポートするんですよ。
つまり、自分の心が迷っていると、身体に病気となって現れる。
全部サインなんですね。そう受け取って、自分でバランス調整をすることによって万全に調整出来たら、嘘のように調子が良くなる、症状が消えていく。
 
だから僕が「決めること」って、よく言いますね。自分で決めないと、どこへ向かっていいか迷う。
自分が決めないと、どこに向かって歩き出していいか・・・つまり、心が決まらないと身体がそこについていけない。
 
身体も二重性や多重性がある。つまり身体という風に捉えているけど、カラダとココロ。
『見えるもの』と『見えないもの』ということで、僕らが出来ている。
そして大島も、そういうことで出来ている。
 

もっとすごいのは環境の中で、つまり泥という中に有効な成分というか、モノじゃないから分からないけど、エネルギーがある、と最初に泥染めをやった人は感じたと思うんですね。だから泥に突っ込む。

そしてそれが1000年の歴史をもって、未だにあるということ。
それが事実と言ってもいいと、この織物は当初のものとは多少違うかもしれないけど、既に1000年その世界観が受け入れられたからこそ、残っているんだと思うんです。

大島紬の絹糸が黒く染る様子

だから僕は物語を書いているんですよ。
泥染めをやる場面も出てきますし、どうしてそうなるのか、ということも書こうと思う。
それは真実と言えない、フィクションだけど。

その思いに自分が立った時に、実は帯の中にその思いをほとんど乗っけられている。それが出来たから、フィクションで書くことができる。それが皆さんに伝わる言葉。

だから絶対にこの大島の話を皆さんに聞いてほしかった。


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