吉高由里子さん、いいよね。サバサバ系だのなんだのの繁殖力が衰えない昨今に、ヘラヘラし続ける肝の座りっぷり。気を使っていないように見せて、気を使いまくっているいじらしさ。そしてなんと言っても可愛い。可愛い。可愛い。将来は女版高田純次みたいになるのかな、と自覚しているところが面白い。頭が良さそうだから、、、まあでも、本能的にやっているところが大きいと思う。いや、もしかしたら事故で生死を彷徨っていた時に、本当に頭のネジがいくつか飛んでいったのかもしれない。あ、それと。声が好き。低
良かれと思って、が一番厄介だなあと思う今日この頃です。誰かに認められないと生きられないのだろうか。そんなヤワヤワで、大丈夫なのだろうか。もしかして、万人に認められそうな分かりやすい善行でしか承認欲求を満たすことができないから、善行をしたくて仕方ない人が爆増しているのだろうか。その欲求がどこから発せられ、また植え付けられているのかを精査もせずに、次々と問題を見つけだしてくる天才から発せられる視線の怖いこと。思念が視線を伝って、ヒソカのバンジーガムのようにビーッと一直線にこちら
一人になりたい。 ここ数年ずっと、そう願い続けている。どこに対して。何に対して。自分に問い、何かそれらしい言葉を当てはめてみても、どれもしっくりこなかった。もしかすると、人間が生きているこの世界に対してなのかもしれない。これは、お願いだからもう揺らさないで、いつになったら静かになるの、死ぬまで叶わないの、という日々の不満が生み出した、漠然とした願いだった。それほどに、自他の生や死への執着で、自分の存在が揺らされることが苦痛でたまらない。 以前ネットで「太宰治はリビ
某番組のネット記事を読んだ。取り上げられていたのは、自死を遂げた芸能人の手紙について。番組にはパートナーが出演しており、そこではただ二、三言ほど、その人への想いを書き綴ったそれが、恋文のようなものとして紹介されていた。 正気の沙汰ではない。 どう見てもそれは、愛の告白なんて可愛いものではなく、深淵から聞こえてくる叫びだ。お前らには、紙の裏側からこちらを覗いている死神が見えないのか。その"恋文"は一見、死を匂わせるようなものではないが、だからこそその文字には、切実な思
ペロリンチョ。サル、ゴルゴ、ゴルバチョフ。 スットコドッコイ、オタンコナス。 モグライダー? めんこい小豆と、ナチョス、ナチョス。 気でも狂ったかと思いましたか?まあそんなのはずっとですが、なんでもいいから無意味に、文字を羅列させたかったんです。 はあお腹空いた。
好きだった人から、ペニスの写真が送られてくる夢を見た。そのあとには《○○さんに会いたいよー😍》とメッセージが続く。そして、壁にそれがピタッと押し当てられたその写真に対して、夢の中の私は《ペニドン》と一言だけ、メッセージを送っていた。そんな壁ドンがあってたまるか。 明らかに、年末に酔った勢いで家に押しかけてしまった影響なのだが、夢の中では、経緯も結末もさっぱり分からない。しかし、あまりに強烈なその夢を放置したままでは、日常に戻れる気がしなかったので、その描写だけを頼りにネッ
なんだかんだ十年以上の付き合いになる、苦楽を共にしてきた親友の事が、好きなんだと気が付いた。 あまりにも遠回りをしすぎた。辛い時、泣きたい時には、いつも君の顔が浮かんでくる。昨日作った大学芋は、君が美味しそうに食べてくれそうだな、と思いながら平らげた。 たくさん振り回された。たくさん傷つけた。だからいつの間にか、君が心に棲みついてしまった。 お互いに、 好き だとか 親友だよね とか、そういう好意を言葉にしたことは一度もない。単純に口下手なのもあるけど、君があまりに
現代人は接続しすぎている。 このアパートはもはや、雨風をしのぎ、私を囲っているだけのコンクリートにすぎない。 何のために一人暮らしをしているのか。 尊厳もへったくれもあったものではない。 布団の上でじっとしてみる。 私は幼少の頃から、日によって質感が違っているのが面白くて、暇さえあれば、同じ日や出来事に何度も浸ってみたり、思惑してみたりする癖がある。今思うとそれは、雑多な世界で自分だけの何かを実感するためにやっていて、大袈裟ではなくて本当に、生きるために絶対的に必
_________________ ニライカナイ別表記:ニルヤカナヤ 「ニライカナイ」とは、沖縄地方に伝わる理想郷(常世の国)のことである。遥か海の彼方(一説では海底とも)にあるとされ、神々の住まう地であり、現世にもたらされる豊穣の源であり、死者の魂が向かう先でもあるとされる。ニライカナイは一般的には太陽が昇る東または東南の方角にあるとされる。琉球諸島の東方には人の住む大地がない。ニライカナイは人間の辿り着けない彼方にある神域であり他界なのである。 __________
哲学者の永井均さんの本に「忘却は最大の愛である」と書かれていた。まさにその通りだと思う。だから、日本は愛に生きる国である。緩やかに、しかし確実に自死への道を歩む。享楽と哀愁に包まれ、狂気さながらに、皆が一体となって忘却し続けることで、存在しえる国だからだ。 それでは、私のようにいつまでたっても忘却することができない厄介者はどうすればいいのか。 こうして、刺々しくなりだすといつも、祖父のことを思い出す。孤独で、口数が少なく、囲碁と書道が趣味の頑固爺。祖父には一体、何が見えて
ねえ知ってる? 本当は私はあなたがいなくても 生きていけるんだよ。 ねえ知ってた? あなたは私が遠くに離れていく度に 体調を崩しているんだよ。 ねえ知って? あなたって本当は私がいないと 生きていけないんじゃないの?
ヒトは、世界があまりにも痛いから セックスに夢中になった。 やがて、それだけでは飽き足らず 踊り出した。 歌い出し、考え出し、詠みだした。 話し出し、書き出した。 気持ちが良いは正義だ。 野菜が奏でるシャキシャキ、パキパキ。 ジューっと火が通る音。 歌って喋って、喉が鳴る。 お風呂でホッと温まる。 泣く。 笑う。 気持ちが良いから生きてゆける。 でも、油断すると '気持ちが良い'は'気持ちが悪い'になる。 それを留めておくには 力を借りなけれ
1 生の悦び 私のそれは、明治や大正の文豪にありがちな、女と一緒に心中、ぼんやりとした不安から自死、といったお洒落なものではなかった。特に心中なんてごめんだ。支配し支配され、不本意に関係付けられることは人の宿命であり、そこに何らかの意味を見出すこと共生してきた。だから、死ぬときくらいは無意味に、呆気なく死んでいきたい。 驚き桃の木山椒の木。実は、私は死んだ経験がないのだけれど、しかし、おそらくその瞬間が、何にも邪魔されずに世界をありありと味わうことができる最後のチャ
初秋の昼下がり。週末から、かろうじてコップの位置が変わったくらいしか変化のないワンルームの窓際で本を読んでいた。季節の移ろいと共に、哀愁に似た色気を帯びた風が、カーテンレースを揺らした。今、ハマっているのは「沖縄密貿易の女王 ナツコ」という、アメリカ統治時代の沖縄を描いたノンフィクション本だ。それに、その他にもまだ読みかけの本が十冊近くもあるので、少しでも読み進めたかった。 ゴォー。 エアコンの稼働音がいつにも増して耳障りだ。これは三十路に近付いてきて気付いたことだが、