誹謗中傷をした人への誹謗中傷が連鎖していき誹謗中傷の輪が際限なく広がっていく静かなディストピアを感じます。 誹謗中傷を批判するのに加害者を誹謗中傷する意味はあるのか。 批判する側も理性を持とうよ。
意味のないと思っていること。 本質的ではないと思っていること。 必要性が限りなく低く思えるもの。 「薬物中毒のような承認欲求」 「誰かが勝手に決めた常識」 「くだらない上下関係」 「数ばかり肥大化していく希薄な人間関係」 「おでんのカラシ」 「友人とは名ばかりのどうしようもない知り合い」 「地に足をつけること」 「共感性を強要する多様性論者」 「自分の常識を覆される時の強い抵抗」 「無理やり作る笑顔」 「紙パックの開ける方と反対側なのに開きやすいやつ」
何かを書こう、作ろうとしても月並みな事ばかりが思い浮かんでしまって億劫になっています。 営みのほとんどを家の中で過ごす必要が出てきました。 この小さな空間で身に起きること、体感することはあらゆるものが想定可能で予定調和です。 映像や音声でいいものに触れることはできたとしても、それらの多くは自分で検索するか、自分用にシステムがカスタマイズしたおすすめ情報ばかり。 刺激みたいなものからは程遠い生活です。 なかなかに生温い生活で、日々の営みは惰性でテレビを眺
拠り所をどこに持つかと言うのは難しい問題です。 一つに限定してしまうと、その拠り所に頼れなくなったときに困ったことになってしまいます。依存することとなんら変わらないことに思えます。 一方で、拠り所を複数持ってしまうと一つ一つに対しての思い入れのようなものが希薄になってしまいます。そうするとより深い関わり合いは難しくなりますから、関係性を保つことは難しくなります。 これは家で飼われている犬と街を転々とするネコみたいな差なのかなと思っています。 家の犬パタ
こんにちは。僕です。 これを書いている今は朝の6時です。 寒いです。 4時ごろに少し雨が降っていました。 ここ3日間くらい、深夜に少し雨が降ってますね。 なんで分かるかっていうと、起きているからです。 そういう雨を朝時雨っていうみたいですね。 だからと言ってどうという訳でもありませんが。 本来であれば、北海道に2週間インターン に行っている予定だったのですが、コロナウイルスの影響で空っぽになった2週間です。 本を読んで、眠くなったら寝て、お腹が空いたらご飯を
突然ですが皆さん、「ロサダ比」って知ってますか? これは良好な人間関係を保つためのポジティブとネガティヴの比の事で、2005年に心理学者のロサダさんが発表しました。 ざっくり言うと、良い人間関係を保つためには、信頼されるためには、ポジティブを3、ネガティヴを1の割合で織り交ぜる事が重要だという内容です。 この3:1以外にも興味深い比が示されており、この比が20:1を越える(ポジティブが20より多くなる)と返って信頼を失うそうです。 残念ながら、ロサダ比
世の中のあらゆる現象はあらゆる形で交錯していると思っている。 そのため、一つの現象を正しく、語弊なく説明しようとすると芋づる式に他の現象の説明をしないといけなくなる。 学校みたいな、"ある分野において全員、最低限の基礎知識がある環境"であればその外側の領域にはみ出てしまった部分だけ説明すれば済む。だが、そういう環境はごく稀であり、限定的だ。 それ以外の環境において、"完璧な理解"を得るためには、文字通りあらゆる領域の説明をしなければならない。 そういう事柄を
自分の目指す未来像を明確に持たなければいけないと言われる。 その度に僕は思う。 何者かになれたらいいだけなの?って。 多くの人は勘違いをしていると思う。 社会が理想と掲げるような人間になれたら自動的に幸せな人生が完成すると思っている。 もちろん、結果として幸せになる例は十分にある。 でもそれはきっと、自動的な物ではない。 理想とされる道を歩いた人たちが自殺を選ぶ事だってあるのだから。 人は自分の見たいように見て、自分の聞きたいように聞く。 不都合な部分はなか
あるときから自分が嫌いでならない。 自分が他人とは違っていて、尚且つ、そんな自分は他人に受け入れられない存在だと気がついたとき。 体内で自己嫌悪が育っていく。 気がついた時には全身を埋め尽くしていて、自己憐憫に救いを求めた。 一方で、自分を嫌いになりたくないという気持ちもある。 当然の事かもしれないが、自分のことは好きでいれたほうがきっと楽しい。 でも、今まで通り生きてても、自分を好きになるなんて到底無理だと悟った。 だったら無理やり好きになろう。ってなったのが
なんだか、別れの季節ですね。なかなか慣れません。この空気には。 「また会いたいから、さようならは言わないよ。」 というのはあくまで理想の話で、ほとんどの場合、それ以上人生が重なり合うことはないでしょう。 自分にも相手にも、新生活や新たな出会いが待っています。 そこで一生懸命になっているうちに、気がつけば繋がりは途絶えてしまっています。 だからこそ、数少ない、関係が途絶えなかった友人との関係は尊いなと思いますし、より大切にしようと思えます。 一度途絶えた繋がりを
暇だった(やる事が山積していてやる気をなくしたので逆に暇)のでnote書いてます。僕です。 生きるのってどうにもうまく行かないですよね。 何故だか意図したようにはならないし、気がつけば間違いを繰り返しています。 生きんのむずくね?なんでこんなにハードモードに設定した?てか、誰が設定したん?ってなってた時に、友人が言ってくれた言葉がとても印象的でした。 「しょうがないよ。みんな初めてだから。生きるのって。」 初見プレイで完全クリアを目指しているのだ
人間を構成している要素はとても複雑に交錯している。 そのため、長所と短所は結びついている場合があって、短所を治してしまうことで長所も同時に損なわれる事がある。 その欠点が自分にとってどうしても致命的で、それが足枷になっているのなら治すことも必要とされる。 だけど、そうでない欠点を安易に矯正して、自分の輪郭を歪めてしまうと、自分の長所も同時に損なわれてしまうことがある。 それを繰り返せば繰り返すほど、人間的に特徴のない、量産型の人間が出来上がる。 量産型である事自体を否定する
人には輪郭があると思っています。僕です。 あなたの輪郭はどんな形をしていますか? 円形?四角形?流線形?星形? 人それぞれにそれぞれの形があるし、人を構成している要素は訳わからないくらい多いのだから、きっと複雑な形をしています。円形や四角形みたいな、整った形状の人はいないんじゃないかな。 当然僕にだってあります。ですが、どんな形かはわかりません。こんな形なんじゃないかな?っていう予想はあるけれど、答えは分かりません。何故なら、自分を完璧に客観視するなんて不可能だからです
カシスソーダ1杯で完全に酔います。僕です。 僕は、他人の目線ばかりが気になるときは、鏡を掃除するようにしています。 鏡に映る自分の姿ばかり気にして、鏡が汚れていることに気が付かないのが嫌だからです。 表面的なものにとらわれたくはないものです。だってそんなの、不健康でしょう? お酒の席でしか大切な話ができない人たちは、普段表面的なものにとらわれている反動で、それを開放できる場を求めて飲み会を愛しているように思います。 お酒が入らないと、踏み込んだ話や腹を割った話ができ
こんにちは。僕です。 またもや読むの面倒くさいコンテンツです。 もうどうにでもなれっていうテンションで書いてます。深夜です。 前回?前の記事?で(何ていえばいいのだろう)「空」について書きました。inliving.を好きになるきっかけになった考えです。 そしてそれは必然的にinliving.と無印良品がつながることになるんです。 ちょっと飛躍してしまうので、説明します。(ここからが超長い) まず、僕が「空」の概念をどこから知ったのかというところから入ります。(これ
さて、割とアカデミックな話になります。僕です。 めちゃくちゃ真面目は話なので、読みか読まないかは自己責任です(自分の考えを説明するための練習もかねて書いてます。)。多分読むのダルいです。苦情は受け付けません。言いましたからね! 皆さんは「神道」ってご存じですか?多くの人は耳にしたことがあると思います。日本の主要な宗教のひとつで、日本発祥の宗教です。そうです、「神社」は神道の施設です。かなり日本文化に根付いているので身近に感じると思います。 あ、僕は個人的には神道は信仰し