波に名前をつけること、僕らの呼吸に終わりがあること。

あるときから自分が嫌いでならない。

自分が他人とは違っていて、尚且つ、そんな自分は他人に受け入れられない存在だと気がついたとき。

体内で自己嫌悪が育っていく。

気がついた時には全身を埋め尽くしていて、自己憐憫に救いを求めた。

一方で、自分を嫌いになりたくないという気持ちもある。

当然の事かもしれないが、自分のことは好きでいれたほうがきっと楽しい。

でも、今まで通り生きてても、自分を好きになるなんて到底無理だと悟った。

だったら無理やり好きになろう。ってなったのが高校2年生くらい。

事あるごとに自分を褒めるようにした。
「ちゃんと時間通りに起きれた。すごい!」
「ご飯食べた後すぐに洗い物をした。えらい!」
「大会で活躍できた。さすが!」
「設計で賞を取った。天才!」
という具合に。

最初はおおむねうまくいっていた。

一時期は自己嫌悪と自己肯定がほとんど同じくらいの割合になったりもした。

だけど、それは仮の自己肯定で、ハリボテだった。

少しのきっかけでそんなものは簡単に崩れ去ることも分かった。

それからは自分を好きでも嫌いでもなくなろうとした。

これは上手くいった。

多少の起伏はあるものの、大きく捉えると、メンタルの浮き沈みがかなり減少した。

自分の存在そのものがある種他人のような存在になると、失敗は流して、成功は褒めるということが自然にできるようになった。

だけど、たまに沈む。

一昨日、バイト先に家の鍵を忘れた。気がついなのは家についてから。遅番だったので、深夜に取りに帰った。
かなりテンションが下がっていたので、美味しいものでも食べようと思って24時間営業のスーパーに行った。美味しそうなものをカゴに詰め込んだ。久しぶりの贅沢に思いを馳せながら、ルンルンでレジに向かった。そこで気がついた。「財布忘れた」。
カゴに入れた沢山の贅沢を陳列棚に戻すときの絶望感たるや。
ひとつ商品を戻すごとに幸福が失われていくような感じだした。

家に帰った瞬間の気分は最悪だった。

取り敢えず、どうしようもない気持ちで家にあったみかんを食べた。

めっちゃ美味かった。

すげえ甘かった。

テンションは完全回復した。
みかんすげえ。
最高!!!!!!!!!



そう、こんなに長々と何を言いたかったかっていうと、、、みかんってマジうまい!ってこと。
個人的には大ぶりなやつが好き。小ぶりよりも。
多少高めのやつを買っても、言ってもそこまで値段は張らない。
それでいてあの美味しさって。
もう、、、チートでしょ。

要は、テンション下がったら取り敢えずみかん食べとけってこと。
その前の出来事とかどうでも良くなるから。

今は部屋にこたつがないんだけど、こたつなんて買った時にはどうなってしまうのか。
今、こたつなしでこの快楽を享受しているのに、こたつなんてものが導入された時には。もう。ね?
もはや、怖い。想像するだけで怖い。怖すぎて買えない。こたつを。

家のみかんを食べ尽くしてしまって、みかんが家にない今、震えが止まらなくなってきたのでみかんを買いに行ってきます。
もちろん、ちょっといいやつを買います。

あ、そうだ。
タイトルは話の内容とは関係ありません。
好きな曲のタイトルです。
めちゃくちゃいい曲なんで、聴いてください。

https://youtu.be/z-Ijqf0DRCo

僕でした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?