僕らの輪郭

人には輪郭があると思っています。僕です。

あなたの輪郭はどんな形をしていますか?

円形?四角形?流線形?星形?
人それぞれにそれぞれの形があるし、人を構成している要素は訳わからないくらい多いのだから、きっと複雑な形をしています。円形や四角形みたいな、整った形状の人はいないんじゃないかな。

当然僕にだってあります。ですが、どんな形かはわかりません。こんな形なんじゃないかな?っていう予想はあるけれど、答えは分かりません。何故なら、自分を完璧に客観視するなんて不可能だからです。

それが可能なのは解脱して悟りを開いた人くらいです。

なので、自分はこんな形だよって説明できる人は、実際は自分のことが良く見えていない、又は、嘘をついています。

この形はどんな形をしていたって良いはずです。それが個性であり、それが認められるのが多様性だからです。

ですが、社会には「常識」という輪郭が存在しています。この常識というものは非常に分かりづらい姿をした「偏見」です。常識なんてものはとても不安定なものです。ほとんどの常識はきちんとした定義づけをされないまま存在しています。そして、その多くの常識の輪郭の見かけは四角形や円形など、整った形をしています。

人によっては「常識という輪郭に当てはまる人」を指す言葉として、「人間」という呼称を用いているような場合も見受けられます。

ですが、常識は人それぞれ異なります。
極端な例だと、イスラム教信者と宗教を信じたことがない人の常識を思い浮かべてみて下さい。
きっとこの2者の常識の輪郭は異なるはずです。
本来常識は、綺麗な、整った形をしていますが、個々人の主張する常識は多くの場合がいびつな形になっているし、社会はその沢山のいびつさを重ね合わせたものを常識と呼びます。それは偏見によって整形された形です。
そして、その輪郭の内側に入ることができた人のことを、「人間」と呼ぶわけです。

予め、常識の輪郭の内側に生まれた人たちはそこに気を使うことなく生きていけますが、僕みたいに、その輪郭の外側、もしくはうまく入らない形に生まれてしまった場合は、自分の輪郭を無理やりにでも形を変えて、どうにか内側に収めなければいけません。そうしなければ人間ではないと言われてしまうから。

もし、そうして常識の内側に入ってみたとしましょう。僕の輪郭は既に自分のものではなくなっています。常識に囚われた形状になってしまいます。そこにいるのは僕ではなくなってしまうのです。

常識の輪郭の内側には、「同調圧力」というもても恐ろしい魔物が住んでいます。
こいつはとても厄介な存在で、常識の輪郭が窮屈になってくると、外側にまで手を伸ばしてきて、はみ出ているものや、外側にいるものを、無理やり中に引きずり込もうとしてきます。

僕は自分自身でいられないなら、いっそ人間なんてやめて仕舞えば良いと思っておます。ぼくのりりっくのぼうよみが「人間辞職」という曲を出していますが、まさにそんな感じ。

https://youtu.be/zsVtx7hEMYM

他人に気を使って生きるのは窮屈でしかないので、今日も僕は変なやつと後ろ指を刺され続けようと思います。僕は僕でありたいので。

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