正しさ

突然ですが皆さん、「ロサダ比」って知ってますか?

これは良好な人間関係を保つためのポジティブとネガティヴの比の事で、2005年に心理学者のロサダさんが発表しました。

ざっくり言うと、良い人間関係を保つためには、信頼されるためには、ポジティブを3、ネガティヴを1の割合で織り交ぜる事が重要だという内容です。

この3:1以外にも興味深い比が示されており、この比が20:1を越える(ポジティブが20より多くなる)と返って信頼を失うそうです。

残念ながら、ロサダ比の数値については科学的根拠に基づかないとする批判論文出ていますから、単に3:1や20:1で考えれば良いわけではありません。ですが、事象として、「ポジティブがあまりに多すぎる、もしくはネガティブがあまりに少なすぎるという状態になると信頼が失われる」という事は立証されています。

ここで重要なのは、ロサダ比はネガティヴが完全に無い状態の危険性を示唆しているというところです。

この考えはコミュニティにおいても成り立つものだと思っています。

あるコミュニティにおいて、あまりにもポジティブな声ばかりだと、ある種の"宗教じみた匂い"みたいなものが漂い始めます。それ自身が悪いとは思いませんが、個人的は少し気持ち悪さを感じます。どこか抑圧的で窮屈にも感じます。
対して、そこに少しのネガティブがあるとどうかというと、僕にとってそれは心地よい環境になります。"ネガティブが許される"という事は重要な要素のように感じます。

ですが、あくまでこれは僕個人がその方が心地よいからであって、他人に強要すべきことではないと思っています。当然、この考えが正しいとも思っていません。

一方で、ネガティブのベクトルが他人への攻撃に向いてしまうのは不健康であると考えます。ネガティブな考えの人は勝手にネガティヴになっていれば良いだけで、それを周りに振り撒くのは違うように思います。
周りはネガティヴな考え方自身を否定してはいけないし、それをみるのが不快なのであれば見ることを拒否するべきだと思います。

そうしてそれぞれのロサダ比的環境を作ることが、心地よいコミュニティを作ることに繋がるのではないでしょうか。

"正しさ"というのは不明瞭で、そもそも存在しているのかすら怪しいです。ですが、"間違い"というのはある程度明らかな気がします。沢山の間違いを発見し、それを積み重ねる。間違いの集積によって"正しさ"はなんとなく姿を表すような気がしています。

幸いなことにTwitterはフォローする人も選べるし、ミュートやブロックもできます。自分の望む環境を好きに作れるわけですから、積極的に利用していきましょう。

きっとDiscordやTwitterのこの感じにyawnさんやりりかさんは気がついていて、そういう危惧があってのnokisakiなのかな、と勝手に思ってます。

いつも通り散文的になってしまって「結局何が言いたいの?」ってなってると思いますが、結局のところ、「何が正しいのか分かんないね」ってなってるし、考えもまとまったものではないということです。

話は変わりますが、「耳をすませば」を見ながら書いてたんですが、この映画最高ですね、、、、、たまらん。


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