他人は天変地異みたいなもの
ツイートがプチバズした。
このツイートが
石野卓球さんご本人に届いたことで広まった。
幼かったころ母親と旅行に行き、温泉で無邪気に知らないおじさんに話しかけて可愛がってもらったことがある。今思い返すとカタギでない人だった。
子どもが目を離した隙に知らない人と遊んでいる。しかもどんな人か分からない。母は気が気じゃなかったのかもしれない。ひとりでに色んな人の元へ届いていくツイートを見ながらそんなことを思い出した。
僕は人前で歌ったり、作品をつくったりするのでツイートも含め日頃からたくさんの人に発信が届いてほしかった。
だけど実際プチバズが嬉しかったのは最初の数時間だけで、じわじわと怖くなって、今は自分の中で話題のピークが終わっているのに通知だけが届き続けている状態だ。
今回はネガティブにもとらえられる要素の多いツイートだった。
「状況が苦しくてこれない人もいる」「いつか行きます!は結局来ないかもしれない。けど行動してくれる意思が見えるだけで救われる」という細かい部分を140文字で表現し切れなかった。
余白がたくさんあったからこそ拡散されたのかもしれないけど、広まるほどに鈍い痛みも感じていた。
人に伝えることは「死角から何かが飛んでくるような怖さと対峙すること」でもあるみたいだ。それがプレゼントの箱の場合もあるし、棘だらけの鉄球だったりもする。
500いいねでこれだから1万10万になってくるともう訳が分からないだろう。そう考えると他人の反応は噴火のようなもの。天変地異は自分がどうこうできるものじゃない。
意図的にボヤ騒ぎや火事を起こすことはできても、そんなせこい感覚じゃ噴火なんてしない。純粋な気持ちで「気になるから触ってみたら火山の核でした…」という感じで起こるのだろう。
「ボヤでもいいから何か起これ」
という焦りから抜け出し
「人に広まっていく嬉しさと怖さ」
を知り
「他人は天変地異」
と諦めた上で
「それでも表現を続けていくか」
を選ぶ覚悟が必要だな。
自分が親、作品、想いを子とするなら
「思う通りの子に育って」
というエゴを捨て
「見てないところでヤーさんと仲良くなってたりする」
ことを知り
「親子でも1人と1人」
と認めて
「子離れした育児」
をする覚悟が必要だな。
と思った。
プチバズの前にスガシカオさんの記事を読んでこんなツイートをした。
そしてたった1日で考えが変わってしまった。
「必要とされたくて」は「火事を起こす」と同じような気持ちだったからだ。「たまたま核に触れる」コツがあるなら純粋に言いたいことを言い、書きたい曲を書くことなのだろう。
気に入られるかどうかなんて分からない。他人はコントロールできない。
でもそれでいいや。
「それでも表現を続けていくか」
もちろんだ。言いたいこと、書きたいこと、それなら死ぬまでなくならないぞ。
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自分の本当に大事にしたいもの、大事にして行きたい。
後藤大
「弱虫のままで理想に嘘をつかない」
音楽と文章を中心にものづくりをしています。
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