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【2024年1月新刊】写真集×短歌『イスタンブール旅行記』のこと(1/27更新)

12年前に行ったイスタンブールの旅行記を作りました。
なぜそんな昔の?と思われるかもしれませんので、本書の前書き部分をこのポストの最後に全文引用しておきます。


書誌情報

書影

写真集×旅行記をベースに異国情緒を詠んだ短歌をちりばめ、十二年前のイスタンブールを一冊にしてみました。
▶ A5横/90ページ/オールカラー/2,000円
▶ 1/14(日)文学フリマ京都8より販売

※文学フリマ京都8、文学フリマ広島6では刊行記念として特別に1,500円で販売します

本書の特長

〈ハード面〉

写真集ベースの旅行記はビジュアルが豊富で大変よろしいのですが、説明不要で一方的な視覚情報に頼り切らない表現を試みるために、随所に短歌を散りばめてみました。
写真集×短歌、写真集×旅行記、あるいは短歌×旅行記という組み合わせはよくあるかもしれませんが、その3つを1冊にまとめたことにより、他にない仕上がりになっていると思います。

〈ソフト面〉

なぜイスタンブールなのか、なぜトルコなのかという点について、今までに影響を受けた読書などについてもエピソードを交えました。本書によって、イスタンブールやトルコという国に具体的な興味を持っていただけるのではないかと思います。

〈データ面〉

12年という歳月を経たことで、今はもう立ち入れない場所や、使われなくなったシステムといった情報を含めた1冊になっています。写真で切り取られた風景もそうですが、最新情報を優先的に提示するインターネットではむしろ探しにくいような、貴重なデータと言えるのかもしれません。

出店情報

【終了】2024/1/14(日)文学フリマ京都8

◇日時:
2024/1/14(日)11:00-16:00
◇場所:
京都市勧業館みやこめっせ 1F 第二展示場
〒606-8343 京都府京都市左京区岡崎成勝寺町9-1
◇ブース:せ-04

2024/2/25(日)文学フリマ広島6

◇日時:
2024/2/25(日)11:00-16:00
◇場所:
広島県立広島産業会館 東展示館 第2・第3展示場
〒732-0816 広島市南区比治山本町12-18
◇ブース:B-24

☟WEBカタログ(見本テキストを一部掲載中です)

☟イベント詳細

詳細は下記ポストも併せてご確認ください。

通販について

文学フリマ京都・広島に来られた方には、刊行記念・会場限定で1,500円で販売いたしますが、遠方の方のためにしばらく送料無料にて通販対応させていただきます。

グッズについて

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文学フリマにお立ち寄りいただいた方にはチラシを配布いたします。

テキストサンプル(本書前書きより) 

 これは昔イスタンブールへ行ったときの旅行記です。
 学生のとき、十二年前の九月の旅の記憶。
 高校生の頃、梨木香歩の『村田エフェンディ滞土録』を読み、トルコに興味を持った。大学で知り合ったNも同じきっかけで、トルコの近代史を専攻していた。大学生最後の夏休み、トルコに行ってみることにしたのはいいけれど、勉強やバイトや部活で忙しかった二人がなんとか捻出したのはたった五日間、イスタンブールだけの旅程となる。後に、多少の無理をしてでも他の都市にも行っておくべきだったと思うのだけれど、ともかくわたしにとっては初めての海外。英語もろくに話せない。トルコ語なんて習ったこともない。滞在中は多少のトラブルはあったものの幸い危険な目に遭うこともなく、「次はカッパドキヤやカイマクルにも行きたい、また来れるはず」と信じて帰国したのだった。まさか社会人になればこんなにも、海の向こうが遠いとは思いもせずに。
 初めての海外経験はその後もずっと影響しつづけ、トルコに関連するものが目につくと、食べ物でも書籍でも試さずにはいられなかった。未読のメジャータイトルを措いて、特にカッパドキアの遺跡を調査した記録『カッパドキヤの夏』(柳宗玄)が印象的だった。もう三十年以上も前の本だけれど、イスタンブールの活気だけがトルコではないのだという、当たり前のようでいて未知の衝撃があった。各都市が観光地化されていっても、自分自身がアナトリアの大地を踏んでいないし、トルコ南東部、特にシリア国境付近への渡航は外務省が退避勧告を出している現状もある。そんなところも、『村田エフェンディ滞土録』でついに行くことが叶わなかったペルガモンに未練する主人公・村田の境遇と重ねてしまう。

 本書は、二〇一一年九月十一日~十五日に撮影した写真と、帰国後わりとすぐに書き始めたはいいけれど頓挫した旅行記の書きかけと、さらにアナログとデジタル両方で残していたアルバムに付していたキャプションをもとに記憶を辿りながらインターネットを駆使して、当時の旅程をなるだけ正確に辿ることを目的として編みました。幾度となくGoogle の力を借りることになったけれど、当時はスマホを持っていなかったことを思うと、ちゃんと出かけて行って見たいものを見てきちんと家に帰ってきたことがちょっと信じられない。そしてここ十二年間の、世界と自分の変化について感じ入ることも少なくなかった。
 あくまでツーリスト目線としてだけれど、大きな変化のひとつに、当時博物館であったアヤソフィアが再びモスクになったことが挙げられる。二階のギャラリーにはもう立ち入れなくなったとも聞く。有名なデイシスのモザイク画のイコンを見た後、二階の手すりにもたれて大きな空間を見下ろしながらNと語り合ったことを懐かしく思い出す。
 そんな風に立ち入れなくなった場所や、非接触のICカードが普及したことでアクビルやジェトンといった当時の交通機関システムが使われなくなったことを寂しく思う一方で、滞在したホテルが今もマップ上に確認できたときの安心感。
 自分自身の変化としては、あの頃は興味もなかった短歌を自分で詠むようになっている。当時は国文の学科で萬葉集の研究をしていて、今後現代短歌という創作手段のブームが来るだなんて想像もしていなかったけれど、学業で三十一文字のリズムを無意識に浴びまくっていたことになるから、この頃に素地ができていたと言ってもいいのかもしれない。

 テキストを付するに際して当時つくったアルバムを見返していたら、そこに添えられていたキャプションが新鮮に映った。感性のまま綴られ、当時の記憶を閉じ込めた文章の瑞々しさ……。当時はまだ詩を書こうと思ったこともなかったなあと思いながら、そのまま使った箇所もある。さらに、SNS黎明期の遺物、mixiにちょっとしたエッセイみたいなものが残っていたので、これも改稿して最後に掲載しました。時系列ではなく「イスタンブルの朝」「イスタンブルの夜」という切り口で書かれているのがユニーク。街全体が歴史地域として世界遺産に指定されている場所で、由緒ある建造物に囲まれた数日間を過ごしながら、それにとどまることなくというか、現場の空気感のようなものを捉えようとした試みが伝わってくるような……。
 なお、短歌と当時のテキストは明朝体で示し、ガイドブック的な部分はゴシック体と使い分けています。

 アナトリアの大地に尽きぬ憧憬を抱きつつ、イスタンブールの旅の記憶を忘れないためのよすがとして、本書を上梓できることを嬉しく思います。

二〇二三年十二月 ゴタンダクニオ

写真集×短歌『イスタンブール旅行記』前書き部分より引用



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