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ゼロの人間関係

絶対に分かり合えない人、どうして存在するのだろうか。


人間そのものに優劣をつけている訳ではない、個体差や価値観の違いはある。どうして「話」すらできないのだろうかと考えてみようと思う。

住む世界が違う。

どんなに小さい接点でも仲良くなれるキッカケになれる。
裏を返せば接点がなければ、住む世界が違うので「話」すらできない
また、コミュニケーションが成立しなくなるのでは?と思っている。

関係を作る事は可能。だけど関係を継続することが難しい。

同じクラスメイトだから、同じ年齢だから、同じ会社の同僚だから。
入口がデカいからこそ入りやすいが、だからと言って関係性も安定しているとは限らない。そこの所属から抜けてしまったらその場所で「何者でもない」人間になってしまう。だから関係性を持続させることが難しくなる。

裏を返せば幽霊部員でも、ほんの少しでも薄い線を残しておけば「何者かではあり続ける」ことができるので、関係性を継続することは容易くなる。

繋がりやすいからこそ切れやすい関係性。

あるある話として、学校を卒業したら疎遠になったとか。
会いたくても連絡先を知らないとか、そもそもプライベートまで関わりたくないとか、色々とあるとは思う。自分の時間まで介入されたくないってところかな。

これって現代のSNSの話でも同じだと思っている。
手軽にSNS交換できるからこそ、手軽に排除する事ができる。

現実での接点がないからだ。本名すら知らないとか、住んでいる自宅の場所すら知らないとか。今の時代だったら年賀状を送りあうのもリテラシーの関係上、安易に人に情報を渡したくないというのもあるだろう。

SNSは何者でもなれるし、アカウントが作り放題でもあること。

SNS繋がったから友達! 小学生の感性だったらそれで良かった。
LINEのアカウント作成には電話番号が必要。なので、ポンポン作れるわけじゃないので信頼性はある。

だが、InstagramもTwitterもNoteでさえメールアドレスがあれば大量に作れてしまうのだ。カカオトークもメルアドで出来たかな?

代わりがいくらでもいる。そして、都合が悪くなれば簡単に逃げ出すこともできる。信頼関係もクソもないのである。

もしかしたら裏垢を持っているのではないのか?
もしかしたらサブ垢なのではないのか?

疑いたくないが、疑ってしまう。それくらいSNSの信頼は薄いのである。

お互いが信頼関係を継続する為に必要な事。

貴方の時間、差し上げることができますか?
そういう話になるのだと思う。言い換えればまた会いたい人になれるか。

愚痴や陰口、暴言のばかりの人と会いたくないだろう。SNSでさえ近寄りがたい関係になるのに現実直接会うなんてストレスの塊だ。

ただ、これはいい意味で代わりがいると自分は考えている。
類は友を呼ぶ。陰口と悪口が好きな人同士仲良くすればいいのである。
好きにさせればいい。

他人を変える必要も無いし、自分の人生なのだから自分をいい方向にしていく。

自分の住む世界を心地良く綺麗にしていくだけでいいのである。
礼儀正しいとか、それなりのモラルとかまた同じ世界の住人と繋がる事ができるようになっている。

自分の住む世界を軸に考える。

全てを救う事も出来ないし、全ての人と仲良くできる訳でもない。
自分が相手が心地良く生活できるように、自分の世界を掃除し続ければいいのだと思っている。

同じ世界に生き続けているのだから、きっと良くも悪くも変われる。
僕はそう信じている。

どれだけ世界が変わっても空の色は変わらない。


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