三谷 雅純(みたに まさずみ)

アフリカ中央部(カメルーン、コンゴ共和国)やインドネシアの熱帯林で調査するフィールドワ…

三谷 雅純(みたに まさずみ)

アフリカ中央部(カメルーン、コンゴ共和国)やインドネシアの熱帯林で調査するフィールドワーカーでした。2002年脳塞栓症に陥り、以来、右の半身麻痺と失語があります。自由に森には行けなくなりましたが、代わりに「障害」を含むヒトの多様性に興味を持って研究を続けています。

最近の記事

その人たちの思いの記録

 聞こえているのに何の音か分からない。何を言っているのか理解できない。このようなとき、わたしはこれまで、みんな一緒くたに「聴覚失認」としてきました(例えば no+e の「わたしの「思い」を形あるものにとどめるために(2)」。査読を受けた論文がお好みならば「聴覚失認者にとっての緊急災害放送のチャイムの意義」や「放送局が発信する聴覚失認者に理解しやすい緊急災害情報のあり方――ワークショップ「聴覚失認者に理解しやすい放送方法とはどのようなものなのか」の考察から――」。しかしこれは医

    • 「大人の発達障害」と「後天的発達障害」――鈴木大介さんの『されど愛しきお妻様』を読んでの感想らしきもの――

       まず関係ないことを少しだけ。  このところ東京出張があり、翌日からは大阪で会議があって、いつになく慌ただしく過ごしていたのですが、ほっと息継ぎをしよう気を許したのが悪かったのでしょう、発熱をしてしまいました。発熱した日は一日、寝ていました。前日まではあれほど元気だったのに(よく煮えたおでんもおいしく食べたぞ!)。  発熱当日、朝から脈が速く100を越えています。そのせいかどうか、布団に包まればいくらでも寝ていられます。そして、寝たり起きたりを繰り返した夕方、腰が痛くてそ

      • 障害者と開く別世界への扉

         国立循環器病研究センターは大阪の北部、万博記念公園で有名な吹田市にあります。このセンターに検査のために入院していたことがあります。わたしは脳塞栓(そくせん)症という脳の血管に血栓が詰まる「病気」、というか、実感としては「事故」に遭遇し、右半身麻痺と失語症やその他の高次脳機能障害を経験しているのですが、なぜ血栓が詰まったのか理由がはっきりしなかったのです。わたしは高血圧や糖尿病(ダイアベティスとか高血糖症とかと呼び換えようと提案されています)といった脳血管障害につながる既往症

        • 「障害者サイボーグ」と当事者研究

           「障害者サイボーグ」という言葉に出くわしました。『サイボーグになる』という本を読んでいてです。「障害者」と「サイボーグ」? はじめはピンときませんでしたが、著者のキム・ウォニョンさんとキム・チョヨプさんの主張を読んでみて、その輪郭が見えてきました。なるほどと納得しました。  男性のウォニョンさんは車いすユーザーです。遺伝病で骨が折れやすいという特徴があるために、車いすが手放せなくなったのです。女性のチョヨプさんは補聴器ユーザーです。難聴のために補聴器を付けて生活しています

        その人たちの思いの記録

          誇りのありよう

           さと子さんは、いつも継ぎの当たった服や、お尻のところがテカテカ光るスカートをはいていました。そんな子が他にいないわけではなかったのですが、さと子さんの場合、洗濯してあるのだからきれいだと言って、クラスの悪ガキたちが囃すのに平気な顔をしているのです。他の子だったら泣き出してしまいそうです。  わたしとさと子さんは並んで座っていました。互いに慣れないうちはおとなしく座っていました。もともと授業中におしゃべりをする子ではありません。でも休み時間になってわたしの筆箱にはきちんと削

          脳梗塞を起こすなんてだらしない?

           わたしが若かったころ、都会では多くのホームレスの姿を目にしました。わたしが住んでいた町でもよく見かけました。ホームレスはだいたいが50歳代を越えた男性でしたが、なかには同年配の女性も混じっていました。わたしが通った中学校の前の公園の隅にも、ブルーシートで覆った小屋が建てられました。雨露をしのぐだけの生活が見て取れました。法律を無視した「違法建造物」ですが、行政もそのころは、あまりうるさくは言わなかったのでしょう。失業者がやたらと多い時代だったのです。役人にもホームレスの悲哀

          脳梗塞を起こすなんてだらしない?

          障害児教育と生涯学習のゆくえ

           だいぶ前のことです。親戚に伴われてプサンの大きな食堂で昼食を食べる機会がありました。お昼なので簡単に済ませたいと入った食堂です。そこはビジネス街の中心にありました。観光地からは少し離れていて、あたりの地理に詳しい人しか利用しない食堂です。食卓はファミリーや個人ごとに区切られていたわけではなく、長机ばかりが整然と並んでいるのです。そこにビジネス・スーツの男性たちが座り、皆、同じものを注文し、黙もくと食べ、食べ終えるとさっさと会計を済まして出ていきます。おしゃべりをしているよう

          障害児教育と生涯学習のゆくえ

          誰にとっても「意思疎通支援」はすばらしいことなのか?

           先日、ある言語聴覚士の男性が「意思疎通支援者」のバッチを服の襟(えり)に付けていました。誇らしげです。確かにバッチを襟(えり)に付ければ「意思疎通支援者」の存在がアピールできます。そしてその男性にとっては、「自分は意思疎通支援者という大切な役目を任せられた人間だ」という自己アピールにもなります。障害者のわたしは、最初、その姿を無邪気に感じて、にこにこ笑って見ていました。  しかし、一呼吸おいてよく考えてみると、妙な感じがしたのです。なぜその人はアピールをするのでしょう? 

          誰にとっても「意思疎通支援」はすばらしいことなのか?

          映像で描く「死者」の語りと医療人類学

           以前からドキュメンタリーに興味をもっています。ドキュメンタリーは見たままの映像を、あるいは生の声を伝えます。素直な観客や視聴者は、それが「事実」であると受け取ります。しかし「事実」でないことも起こりえます。監督やディレクターの受け止め、つまり感性によって、<A> という映像や声が <A'> と解釈された結果、完成したドキュメンタリーは、微妙にニュアンスの異なる <A'> が「事実」となるということが起こるのです。  もちろん監督やディレクターには自らの感性にしたがって物事

          映像で描く「死者」の語りと医療人類学

          『ハンチバック』のその先に

           わたしは「聴覚失認者(聴覚情報処理障害者)の『リプレゼンテーション』を試みようとしているのですが、そしてそれが、どんなものだと解釈しているのかを書いてみたい誘惑に、今、駆られているのですが――理系ベースの研究では『検証すべき仮説の提示』に当たります――止めておきます。もうすぐ最初の聴覚失認者のお話が聞けるのですから、それからにします」(「リプレゼンテーション」)と書いたのですが、これは簡単なことではないと気が付きました。音声文字変換ソフトをつかって「最初の聴覚失認者のお話」

          『ハンチバック』のその先に

          リプレゼンテーション

           「リプレゼンテーション」という言葉に出会いました。LGBTQ、つまり性的少数者の使う用語でした。もともとはLGBTQの使う用語というより、演劇の世界で使われることがポピュラーな言葉だったそうです。演劇の世界では日本語の「上演」に当たります。造形芸術の世界では「再現」です。さらに古くからある使い方は何かと思い、この言葉の意味を調べていくと、「人間のありのままの表彰」という何やら哲学的な概念に当たりました。このような「人間のありのままの表彰」という視点から、LGBTQの間でも使

          わたしの「思い」を形あるものにとどめるために(2)

           聴覚失認者にインタビューさせていただいたことを医療人類学としてまとめたくて、どうするのが良いかを考えています。それでこの「わたしの『思い』を形あるものにとどめるために」と題したこのエッセーを書き始めたのですが、ある方にインタビューをしてみて、わたしが考えていた思いは、まだまだ生物医学の殻を脱ぎ捨てるまでには至っていないと痛感させられることが起こりました。それは聴覚失認はないのに、結果的に聴覚失認と同じことになるという例があったのです。 「肺炎で緊急入院、人類学の調査は遅れ

          わたしの「思い」を形あるものにとどめるために(2)

          わたしの「思い」を形あるものにとどめるために(1)

           権力を持つ人たちの歴史認識の貧しさや、いつもというわけではないにしても、行政が演じる底抜けの愚かしさを見せられることがあります。そんな理不尽さを目の当たりにすると、思わず自分がこの国に生まれたことを呪いたくなります。「理念がない」「視野が狭い」「歴史から何も学んでいない」。そうつぶやきながら、ではどうするべきかと自問しています。  わたしの感情はその理不尽さを拒否しています。拒否はしていますが、積極的に抗(あらが)う術は持ち合わせていません。社会があることをする背景には長

          わたしの「思い」を形あるものにとどめるために(1)

          肺炎で緊急入院、人類学の調査は遅れ気味

           およそ2か月間、note や他のウエブ媒体に執筆しませんでした。実は4月に2週間ほど肺炎で緊急入院をしていたのです。  肺炎とは、いとも簡単になるものです。入院で時間ができたので持ち込んだPCで調べてみると、常在菌として小さな子どもに潜伏している肺炎球菌は、高齢者になると簡単にもらってしまうと書いてあります。また、この細菌は莢膜(きょうまく)という厚い膜に包まれていて抗生剤が効きにくく、かかると、とてもやっかいだということです。  入院をした当初は肺炎という自覚がまった

          肺炎で緊急入院、人類学の調査は遅れ気味

          役に立たない人類学などいらない?

           発展途上国の開発援助にかかわる政府関係者やNGOの人びとと人類学者は、2000年代初めまであまり接点を持たずに来たという論文を見つけました。読んでみて、にわかには信じられない思いでした。  開発援助と人類学者は接点を持っていない? 開発援助にかかわる人たちは人類学者が身近にいても開発とか援助とかに役立つ情報は得られず、人類学者の側も、開発援助にかかわる人は現地の人のニーズに添った援助はしていないと解釈できました。「開発援助」は自分たちの都合でプログラムを決めているというの

          役に立たない人類学などいらない?

          線路は続くよどこまでも

           耳に懐かしい『線路は続くよどこまでも』は子ども向けの童謡だと信じていました。実際にわたしが放送された歌を聴いたときは、明るく軽快な汽車旅として構成されていました。しかし、『線路は続くよどこまでも』には元歌がありました。アメリカで歌われたそうです。  子ども向けの童謡とは違い、アメリカで歌われたのは線路工夫の過酷な労働を歌った労働歌だそうです。まずはじめに子ども向けの童謡の『線路は続くよどこまでも』です。  ところが日本ではじめに『線路の仕事』の題名で紹介されたときの歌詞

          線路は続くよどこまでも