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映像で描く「死者」の語りと医療人類学

 以前からドキュメンタリーに興味をもっています。ドキュメンタリーは見たままの映像を、あるいは生の声を伝えます。素直な観客や視聴者は、それが「事実」であると受け取ります。しかし「事実」でないことも起こりえます。監督やディレクターの受け止め、つまり感性によって、<A> という映像や声が <A'> と解釈された結果、完成したドキュメンタリーは、微妙にニュアンスの異なる <A'> が「事実」となるということが起こるのです。

 もちろん監督やディレクターには自らの感性にしたがって物事を受け止める「権利」があります。また、そうであるからこそ、それぞれの作品には違い――何を美しいと感じたのか、何を醜いと感じたのか――が現れ、見る者によって作品の評価が分かれるのです。

 その「権利」に監督自らが疑問を持った(らしい)映像インスタレーション作品がありました。「小森+瀬尾」(小森はるかさんと瀬尾夏美さん)名義の『波のした、土のうえ』のことです。ちなみに「映像インスタレーション作品」とは「場所や空間を作品として感じさせる、映像で構成された芸術」のことだそうです。ですから『波のした、土のうえ』はドキュメンタリーというよりも、素材としてドキュメンタリーを利用した映像インスタレーション作品だと言えます。『波のした、土のうえ』は東日本大震災からの復興が進む陸前高田が舞台ですから、「死者」の描く故郷と、生き残った人びとの感情は錯綜し、複雑な様相を呈します。

 ここで『波のした、土のうえ』の紹介をしておきます。

ドキュメンタリー「息の跡」などを手がけた映像作家の小森はるかと、画家で作家の瀬尾夏美が、東日本大震災の被災地となった岩手県陸前高田市で3年間かけて行ってきた制作活動の集大成的作品で、津波被害を受けた陸前高田の人々の言葉と風景の記録から物語を起こすように構成された、3編の映像集。被写体となる住民たちに行ったインタビューをもとに瀬尾が物語を起こし、住民たちが訂正や調整、書き換えを行いながら物語を朗読。書き直しや朗読を繰り返す声を、小森が町の風景と重ねて映像を編み上げた。

2014年製作/68分/日本
劇場公開日:2017年5月20日

『波のした、土のうえ』解説、映画.com

 「小森+瀬尾」という制作者のお名前や『波のした、土のうえ』のことは鷲田清一さんの『濃霧の中の方向感覚』で知りました。鷲田清一さんといえば「臨床哲学」を立ち上げた哲学者として有名です。「臨床哲学」というのは、社会の中で現実に問題となっていることを市民と研究者が協力して掘り下げ、新しい回答を見つけるという哲学の方法論のことです。

 「小森+瀬尾」のお二人は、東日本大震災の津波の被害で多くの人が死んだ陸前高田の人びとの言葉を、細切れの言葉の渦ではなく、何とか意味の通る「語り」に高めようと悪戦苦闘しました。お二人は陸前高田の人びとの言葉を文字に起こし、できあがった文章を話した人びとに見てもらい、感想や思いがいたらなかったところを直して、最後には、もと話した人びとに読んでもらってナレーションにしたのです。そうして完成したのが『波のした、土のうえ』でした。ちなみに、先の映像.com の解説の「物語」は「作り物」という意味ではなく、筋のあるノンフィクションであったものを、ノンフィクションの部分はそのままに、「作品」として成り立たせようとしたものと解釈できます。

 鷲田さんは「語り」(鷲田さんは〈語り〉と表記します)について、『濃霧の中の方向感覚』の中で次のようにお書きです。

〈語り〉は独り言ではなく、だれかに向かって語られるものだということ。〈語り〉は、すでに見たように、起承転結を整えられた〈話〉である。苦しみに埋没し、あっぷあっぷしているじぶんをじぶんから引き剥がし、疎隔化して、だれか別の人のことのように語りだすことである。とどのつまりは、体験の共有していない他者にも理解可能なものとして、散逸しそうなじぶんを〈語り〉のなかでまとめること、まとめなおすことである。

5「震災後のことば」, pp. 276-277

 この〈語り〉こそが「素材のドキュメンタリーを利用した映像インスタレーション作品」をインスタレーションたらしめている意味ではないでしょうか。さらに陸前高田は復興が進み、震災前とは風景が変わってしまいました。しかし、復興前の風景も容易に映し出すことができます。その対比と〈語り〉の重層的な効果も、この作品をインスタレーションとして成立させている大きな理由だと思います。

 「震災後のことば」を最初に読んだとき、わたしは「小森+瀬尾」のお二人の努力のあり方にショックを受けました。なぜなら、医療人類学もまったく同じような過程を経て、まとめにいたるからです。

 今、聴覚失認者(=聴覚情報処理障害)のインタビューを試みています。もちろん音声を文字に変換するソフトの力を借りてやるインタビューです。聴覚失認なのですから、喋っただけでは、ご本人が聞いてもそれを頭の中で処理できないので、言い間違いや繰り返しが多く、なかなか普通のインタビューのようにはいきません。このことは誰にとっても当たり前だと思います。これを読んでいる皆さんも、いかに音声文字変換ソフトがあるとはいえ、自分からは失われた感覚でインタビューを受ける困難を想像してみてください。

 今、インタビューを受けてもらっている方には言葉を発する困難、つまり失語もあります。ですから喋るのは苦手です。その上、表音文字(ひらがなやカタカナ)の連続は理解が難しくなるので、文章を書いて表現するのにも限度があります――「表音文字(ひらがなやカタカナ)の連続は理解が難しくなる」というのは、バリアフリーやインクルージョンの専門家でも理解していない人が多くいます。それでも、その方は文章で書くのが一番いいようです。考えないと回答が難しいときは、ゆっくり考えながら文章で書いて示してくれます。

 わたしのインタビューは、おしゃべり(言語音)で答えてくれても、文章(書字)で答えてくれてもいいのです。ご家族や言語聴覚士が同席しているのなら、当事者に代わってその方が答えてくれてもいいのです。でも、わたしは、たどたどしくても当事者が答えてくれた回答を一番重要視します。それこそ「生に声」そのものだからです。

 インタビューはICレコーダーで録音させてもらいます。録音したやり取りは文字起こしをして、後で誤解がないかどうかをチェックしてもらいます。まるっきり「小森+瀬尾」の制作ユニットと同じです。

 そしてチェックを済ませた文章を、わたしが人類学的に解釈していきます。わたしの解釈も見てもらいます。ひとつ、文字起こしと違うのは、どのように解釈したかは、わたしに属することなのです。見てはもらいますが、よく考えてからでないと安易に修正するわけにはいきません。「小森+瀬尾」の映像インスタレーション作品でも、どのフイルムとどのフイルムをつなぐかといった作品作りの過程では、似たところがあったのではないでしょうか。

 鷲田清一さんは『濃霧の中の方向感覚』の「震災後のことば」に、「小森+瀬尾」の制作ユニットの役割を「初発の茫漠とした吐露、あるいはもつれた表白の、〈語り〉へと生成させてゆくその媒介者になるということである」(p. 275)と表現しています。媒体はまた「(死者もしくは超越者と民のあいだをつなぐ)巫女」でもあると言っています。今は「津波で亡くなった死者」はいません。ですから、わたしは「巫女」ではありません。それでは、わたしは誰と誰をつなぐ「媒体」になるというのでしょうか。それは語るべき言葉を失った障害者と医療サイドをつなぐ「媒体」であり、一般の人びとに聞こえなかった(聞こうとしてこなかった)声を伝える「媒体」になるということです。

 もうひとつ、このことに関連して『濃霧の中の方向感覚』から引用します。

ことばではなく、ことばのコンテクストをどう掴むかが、コミュニケーションの死活を決することになる。(中略)ことばが一致したり、共有されたからといって、互いの理解が深まるわけではじつはない。ことばの背景をなすコンテクストをどれだけ丁寧に擦りあわせられるかに、事はむしろ懸かっている。

6「身辺雑記」、「オリザさんと同僚だった日々」pp. 310–311


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