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脳梗塞を起こすなんてだらしない?

 わたしが若かったころ、都会では多くのホームレスの姿を目にしました。わたしが住んでいた町でもよく見かけました。ホームレスはだいたいが50歳代を越えた男性でしたが、なかには同年配の女性も混じっていました。わたしが通った中学校の前の公園の隅にも、ブルーシートで覆った小屋が建てられました。雨露をしのぐだけの生活が見て取れました。法律を無視した「違法建造物」ですが、行政もそのころは、あまりうるさくは言わなかったのでしょう。失業者がやたらと多い時代だったのです。役人にもホームレスの悲哀を知った人がいたのかもしれません。

 わたしと妻が息子を公園で遊ばせていると、幼かった息子を見てホームレスの女性が駆け寄ってきました。そして子どもの小さな手に十円玉を握らせて、「ごめんね」「ごめんね」と繰り返しました。その十円玉にどんな意味があるのか、なぜ「ごめんね」なのかはわかりません。息子は別に泣くでもなく、ちょっと困った顔をして握らせてもらった十円玉をわたしに示します。その女性にとっては大切なお金だと感じたわたしは、「こんなにしてくれなくても……」と言いかけます。しかし女性はわたしを無視して、切羽詰まった顔で、もう一度「ごめんね」「ごめんね」と繰り返すのです。わたしの息子を誰かと間違えているようです。わたしはその十円を返すことをあきらめ、息子にもらっていいよと告げました。

 ホームレスは病気の人がよくいます。働きに出たいのに、その病気のためにからだが言うことを利かないのです。日銭が稼げません。宿も追い出され、しかたなくブルーシートの小屋で雨露をしのいでいます。運悪く冬が近づけば木枯らしも襲うでしょう。ブルーシートの小屋でも、野宿よりはましだというものです。

 多くのホームレスはアルコール依存症でした。現実から逃げていると言えばそれまでなのですが、しらふではいられないのです。それにアルコールはからだを温めます。寒い季節には酩酊と保温のダブルの効果があるのです。お金が手に入ったとき、食べ物も大事ですが、それに次いでお酒が欠かせません。アルコール度数の高い安酒は自動販売機で買えます。病院で詳しく診てもらえば、肝臓の病気も見つかったのではないでしょうか。

 アルコール依存症の他にわたしが気付いたのは高血圧でした。ホームレスが美食家のような高血圧とは以外に思われるのかもしれませんが、ホームレスには血圧の高い人が多いのです。たぶん、普段、常食にしている仕出し弁当やカップ・ラーメンに塩類がたっぷり含まれているのでしょう。ですから、普通に生活していれば罹らなかった血管障害を患っている人が、ひじょうに多いと聞きます。カップ・ラーメンは汁まで残らず飲み干さないと腹を満たさないというわけです。

 歯が悪い人も多かった印象があります。高額な入れ歯は作れません。それでお粥のような、嚙むよりも呑み込む食事になるのです。うつ病らしい人もよくいました。何かぶつぶつ言っているのですが、何を言っているのかは誰にも分かりません。また、わたしの住んでいたあたりでは肺炎が蔓延(まんえん)していると噂されていました。ことによると糖尿病の人も多かったかもしれません。

 高血圧や糖尿病は遺伝的になりやすい人もいるのですが、基本的には生活習慣病です。そして、この生活習慣病の結果、よくなるのが脳梗塞(こうそく)や脳出血です。ホームレスで脳梗塞や脳出血になる人は、案外、多いのです。

 お金がなくてホームレスになり、おまけに脳梗塞や脳出血にまでなってしまったら、病院には連れて行ってもらえるのでしょうか。誰かが連絡をすれば救急車が来て、病院までは運んでもらえます。救急車が来なければ死んでしまうのです。ただし、お金がないのですから手厚い看護は望めません。緊急時を脱したら、なるべく早く追い出されるでしょう。その上、リハビリテーションも満足には受けられないと思います。その結果、脳梗塞や脳出血になったが最後、悶もんとして、挙げ句の果てに自殺してしまう人がよくいるという話を、これは何度か聞きました。

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 上に書いたのは、わたしが脳塞栓(そくせん)症(脳梗塞の一種)になる前に、脳梗塞(こうそく)や脳出血に抱いていたイメージです。良いイメージでないことはもちろんです。それよりも、生活習慣病の結果なってしまった病気の側面があるために、かわいそうだとは感じても、それ以上のものではないと思っていました。ホームレスになったきっかけは誰にでもありそうな些細なことですが(人生の失敗は、わたしには何度もあります)、何とか我慢して生活を立て直すのが先だと考えていました。自殺してしまおうなどとは夢にも思わず、障害を抱えながら、どうやったら生活を立て直せるのか、どうやったらお金を稼げる仕事ができるのかと考えることで精一杯でした。

 今回、医療人類学のために重い脳梗塞や脳出血の後遺症を抱えた方にインタビューをお願いしてみて、インタビューに応じてくれた人は、わたしと同じ感覚を持った人が大半なのだと再認識しました。反対に言うと、インタビューに応じてくれない人の中には、うつ状態になって、ちょっとしたきっかけで自殺してしまう人がいるのかもしれない。そんなことを疑ってしまいます。

 でも、ちょっと待ってください。先ほどは、わたしのイメージにある悲惨な脳梗塞や脳出血の後遺症を抱えたホームレスを記憶から呼び起こし、わたしの思いを伝えましたが、そもそもホームレスは、わたしとそれほど異なった人たちなのでしょうか。何かのボタンの掛け違いで人生に失敗し(これは誰にでもよくあることです)、しかも運の悪いことに病気や事故で立ち直るきっかけを失ってしまった「あなた」や「わたし」なのではないか。もしそうだとしたら、「あなた」や「わたし」がホームレスになっていたのです。

 どうなのでしょう。

 ホームレスには精神障害者や知的障害者の割合が高いことは事実でしょう。障害者手帳を持った人は少ないのですが、ホームレスに係わる福祉の現場では、精神障害者や知的障害者、身体障害者に出会うことが多いそうです(「平成24年「ホームレスの実態に関する全国調査検討会」報告書の公表について」)。担当者は、現に福祉の現場で障害者に出会うことが多いと言っているのですから、ホームレスは「普通の人」とは違うのです。

 ……ん? どこかおかしい。

 知的障害者については、わたしに十分な知識はありません。しかし精神障害や身体障害は、誰でもなる可能性があるのです。例えばわたしは右の片マヒの身体障害者ですし、仕事をする上でやっかいな高次脳機能障害は精神障害と言っても差し支えないと思います。もっとも、わたしの場合は成人してからなったのですが、最近の研究から、少なくとも精神障害はさまざまな関連遺伝子の影響とまわりの環境や人間関係の結果、引き起こされると分かってきました。

 精神障害になる関連遺伝子は誰でも持っているということです。ところがその遺伝子の数が問題です。関連遺伝子の数が多い人がまわりの環境や人間関係で大きなストレスに晒されると、とたんに発症してしまう。もう治ったと思っても、また重くなる。ですから精神障害は、「あなた」や「わたし」の問題なのです。

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 わたしは「運良く」、障害者として、どうやって仕事をするかを考えることができました。インタビューに応じてくれている人も運のよい人です。仕事や人間関係で悶もんとしたことはあったでしょうが、社会のセーフティ・ネットが受け止めてくれました。ホームレスは運の悪い人、セーフティ・ネットの利用の仕方を知らなかった人、あるいはセーフティ・ネットを利用する上で義務となる「社会の束縛を嫌う人」であったのかもしれません。

 ホームレスは今もいます。ドメスティック・バイオレンスから逃れるために女性ホームレスが増えていると聞いたことがあります。また、わたしが若いころは見かけなかった若者がホームレスとなり、路上生活を始めたとも聞きます。その一方で、行政はホームレスを一方的に排除するようになりました。見た目をきれいにするために排除された人たちは、どこに行くのでしょう。見た目だけをきれいにしてみても、社会の矛盾が解消されたわけではありません。


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