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わたしの「思い」を形あるものにとどめるために(2)

 聴覚失認者にインタビューさせていただいたことを医療人類学としてまとめたくて、どうするのが良いかを考えています。それでこの「わたしの『思い』を形あるものにとどめるために」と題したこのエッセーを書き始めたのですが、ある方にインタビューをしてみて、わたしが考えていた思いは、まだまだ生物医学の殻を脱ぎ捨てるまでには至っていないと痛感させられることが起こりました。それは聴覚失認はないのに、結果的に聴覚失認と同じことになるという例があったのです。

肺炎で緊急入院、人類学の調査は遅れ気味」にも書いたことですが、聴覚失認、あるいは聴覚情報処理障害(Auditory Processing Disorder: APD)で、昔からよく知られていたのは失語症者の例です。そこに潜在的に学習障害や知的障害などを含むさまざまな症状が出る自閉スペクトラム症や、認知症の人にも似た症例が見つかるようになりました。自閉スペクトラム症の人も、認知症の人も、耳に問題はないのに、音が脳に届いてからの過程に問題があり、「言葉が分からない」と訴える人がいるのです――認知症者は高齢者が多いため、老人性難聴と紛らわしくて研究が遅れています。

 今度、お目にかかった方は耳に問題はなく、失語症ですが言葉も正常に理解できます。しかし、その言葉の意味を「組み立てる」ところに問題があるようで、結局「理解できない」と訴えるのです。そして失語症ですので、ご自分の言いたかったことを表すことができず、そのまま「忘れてしまう」とおっしゃいます。

 わたしも言いたかった ことを表せないことが しばしばあるのですが、そんな時は気持ちが落ち着きません。何か引っ掛かりを感じてしまいます。気持ちの悪いことこの上ないのです。しかし、インタビューに答えてくださった方は実におおらかな方で、そんな気持ちは微塵(みじん)も感じないようなのです。

 この方のような方は、聴覚失認とは「言葉が分からない」メカニズムが違いますが、結果的には、やはり「言葉が分からない」と言っていいのでしょう。「言葉が分からない」のでは、緊急災害放送があった時、聴覚失認者と同じように困ってしまいます。そんな方を、あなたは聴覚失認ではないからと言って、わたしのインタビューから排除すべきでしょうか?

 わたしは、「聴覚失認、およびその類似症状」を訴える人は、まとめたら良いのではないかと考えました。なぜなら、まず第一に、わたしは医療関係者の柵(しがらみ)に縛られているのではないからです。

 わたしは病院に掛かっている患者や聴覚失認などコミュニケーション障害者の気持ちを代弁し、失語症者や聴覚失認者といった「声の出せない人」の声を翻訳する「翻訳者」としての役割が大きいと自負しています。ですから、生物医学でいう「聴覚失認」に固執することに、あまり意味は感じられません。それよりも、さまざまな理由から「声の出せない人」がいるなら、実態として不自由を抱えているその人の生活実感を、医療者に、さらには社会全体に伝えることにこそ大いに意味があるはずです。

 わたしが当事者として関わることにも、それなりの意味があるはずです。わたしは脳塞栓(そくせん)症の当事者で、マヒのある失語症の研究者(「聴覚失認者は何を物語るのか?(3)」)ですが、わたしが当事者であるだけにインタビューのお相手には親近感が湧くでしょうし、お相手も、当事者でない研究者に比べれば、わたしの存在はずっと身近に感じていただいているのではないでしょうか。

 もちろん脳塞栓(そくせん)症だの脳梗塞(こうそく)だの、またマヒがあるだのと言っても、実にさまざまな人がいます。我われ障害者の場合、障害のない人が往おうにして被る「仮面」で素顔を隠すことは、あまり得意ではありません。つまり、素がそのまま表れている人が多いのです。そのため、いくらお互いに親近感を抱いていたとしても、失語症でマヒがあるといった共通点はあるのですが、露骨に「さまざまな人」のままで付き合うほかないのです。この付き合いは、わがままな人ほど苦しくなるでしょう。

 このようなことを引っくるめて、わたしは「客観的な研究をする研究者」でありたいと願っています。「客観的な研究」とは、「皆さんが納得できる研究」という意味です。

 「皆さんが納得できる研究」であるならば、どんな奇妙なことであっても、それが対象者の生活世界なのです。これはつまり、『西太平洋の遠洋航海者』を著したブロニスワフ・カスペル・マリノフスキや、『悲しき南回帰線』を著したクロード・レヴィ=ストロースが試みた「異民族」に対するエスノグラフィーのやり方を、聴覚失認者という「異民族」に当てはめてみて、もともとは同じ母語をつかいながらも、後天的に「異民族」となった言葉が分からなくなった人たちの生活世界を探ってみたいのです。

 できるでしょうか。できますよね。

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