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「大人の発達障害」と「後天的発達障害」――鈴木大介さんの『されど愛しきお妻様』を読んでの感想らしきもの――

 まず関係ないことを少しだけ。

 このところ東京出張があり、翌日からは大阪で会議があって、いつになく慌ただしく過ごしていたのですが、ほっと息継ぎをしよう気を許したのが悪かったのでしょう、発熱をしてしまいました。発熱した日は一日、寝ていました。前日まではあれほど元気だったのに(よく煮えたおでんもおいしく食べたぞ!)。

 発熱当日、朝から脈が速く100を越えています。そのせいかどうか、布団に包まればいくらでも寝ていられます。そして、寝たり起きたりを繰り返した夕方、腰が痛くてそれ以上寝るに寝られず、2時間ほど椅子に座って過ごしましたが、はて、これは新型コロナかインフルエンザか。ところが残念ながら発熱したのは土曜日。翌日は日曜日です。日曜日も開いている救急病院はあるのですが、そこまで大げさに騒がなくてもと、だいぶ楽になった(気がした)月曜日、近所の掛かり付け医に診てもらいました。そして新型コロナに感染していると診断を受けました。

 うちの家族でコロナ感染歴のないのはわたしだけです。ですから、わたしが罹るのは時間の問題だと思っていたのです。ただ、今はわたしのことよりも、この数日、身近に接してきた人のことが心配です。コロナと分かってすぐに、新型コロナと診断が付いたこと、潜伏期間を考えて、この人とあの人をリスト・アップし、メールで知らせたのですが(わたしと同様に高齢者もいます)、幸いなことに、今のところ自分もコロナに罹ったという知らせは受けていません。このまま何も知らせがないことを祈るばかりです。

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 さて本題です。何の目論見があってわたしは、改めて鈴木大介さんのことを調べてみたいと思ったのでしょう。最初は『されど愛しきお妻様』(講談社)の「『大人の発達障害』の妻と『脳が壊れた』僕の18年間」という副題に惹かれてこの本を手にした(音読の材料にした)のです。ギクシャクしていた「大人の発達障害」の妻と「脳が壊れた」鈴木さんの生活が徐じょに調和を見せ始め、最後には「ようやくわたしの気持ちがわかったか」を妻に言われるという顛末(大団円?)です。その経過は、一定他人の気持ちが理解できる人にとっては普遍的なんでしょうか? それとも鈴木さんご夫婦に特異的なことなのでしょうか? 音読を続けながら、こんなことを知りたくなったのです。

 実を言うと鈴木大介さんは、過去に2回、紹介されています。1回目は医学書院の白石正明さんから紹介されました。白石さんは「シリーズ ケアをひらく」の編集者として有名です。このシリーズでいくつもの賞を取り、シリーズ全体では毎日出版文化賞を受賞しています。鈴木さんの『「脳コワさん」支援ガイド』も日本医学ジャーナリスト協会賞を受けています。残念ながら、白石さんは2024年3月で定年退職だと伺いました。

 白石さんは『「脳コワさん」支援ガイド』を献本してくださいました。すぐにでも読み上げて、まじめな感想をお送りしたいものだと考えました。それがわたしのできる献本のお礼です。ところが読んでいくと、さすがに鈴木さんは文筆のプロでした。要領を得た表現に引き込まれます。そして途中まで読んだとき、確かこの人の書いたものをどこかで読んだ記憶があると気付きました。本の題名は『脳が壊れた』です。どんな本だったか確認しようと本棚を探しましたが、結局、この時は見つかりませんでした(この本の「企画書」(で良いのでしょうか?)を脳梗塞で入院中に書き上げたとあった気がします)。でもせっかく『「脳コワさん」支援ガイド』を献本していただいたのに、残念ながら鈴木さんとはお話をする機会がありませんでした。鈴木さんはお仕事柄、障害のこと全般に詳しそうな方なので、わたしが嫌がって逃げてしまったということです。

 2回目はReジョブ大阪というNPO団体の多田紀子さんからでした。白石さんからメールで、大阪の言語聴覚士だが、今は脳に何かトラブルを抱えた方の社会復帰を手助けしている方がいるという趣旨を伝えていただきました。そして多田さんから鈴木さんとZoomで対談した画像があるからと紹介されたのです。Zoomは会議でも使いますから慣れているつもりだったでした。しかし、見てみると90分近い対談の映像だとわかりました。脳梗塞を経験した鈴木さんが90分近く対談なさっていることにも驚きましたが(これは後にZoomだから可能なのだと明かしていらっしゃいます)、わたしが90分近い対談を集中して見続けることは不可能です。わたしの場合、30分も持たないと思います。それで、この2回目のチャンスも、ものにすることができませんでした。

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 いよいよ『されど愛しきお妻様』です。それにしても「お妻様」という表現、何だか奇妙です。普通は使わない表現です。ギミックなのでしょうか。種明かしをすると、これは「様」を付けないとお妻様が怒るからだと序文にありました。そうですか。そういうことなら、この文章も「お妻様」のままでいきましょう。

 このお妻様、鈴木さんが脳梗塞になる前に、膠芽腫(こうがしゅ)と呼ばれるもっとも悪性の高い脳腫瘍(しゅよう)に犯され、緊急手術で取り除いたことがあったのです。ただし緊急手術ぐらいでお妻様の性格は変わりません。手術後の放射線療法で失明の危機が告げられましたが、それ以後も「死ぬときは死ぬし、死なない人間はいない」(お妻様のことば)と、一層人生を楽しむモードを加速させました。

 そんなお妻様ですが、「大人の発達障害」当事者だけあって思考プロセスは特異でした。例えば、注意はしていても大小さまざまなものが見えず(!)、視界に入っているはずなのに、当然、当人には意識なく、大小さまざまなものをポロポロと忘れるのです。もっと典型的なのは一度にふたつ以上のものを頼んだときだといいます。ふたりで買物をしていて、チーズとお好み焼きソースを頼んだら、チーズ1袋と自分の好きな駄菓子を買って、お好み焼きソースは忘れてしまったりするのです。この信じられないような思考プロセスは、けっしてお妻様の知的レベルが低いからというわけではありません。むしろお妻様の知的レベルは高いのです。そして働くことそのものが嫌なのでもありません。お妻様に合った働き方が見つかれば嬉きとして働くのです。

 若いころからのお妻様の鼻歌に「わたしは駄目な子要らない子♪」というのがありました。お妻様は「子どもの頃から何をやっても駄目な子とレッテルを貼られ続け、家族からも、そして僕(鈴木さん)からも、やろうとする作業を奪われ、やった作業を否定され続けて、ついには『なにもやるもんかバーカ』なモードに入ってしまっていた」(p. 154)。「家族からも、そして僕からも」というのは、そんなに丁寧にしていたら時間がもったいないとか、自分でやった方が早いというマイナスの評価を得て、やる気をなくしていったということです。

 「幸いなことに」といったら怒られるでしょうか。でもお妻様との良好な夫婦関係を築く上では、「脳が壊れた」鈴木さんが感じた不自由がこのお妻様の不自由に重なるところが大きかったのです。例えば作業記憶の低下です(わたしには、今でもあります)。例えば人と約束した日時を一度で憶えきれないので、スマートフォンのカレンダーに書き込む前に、何度も何度も確認してしまうのです。これはお妻様にも「わかるわかるわかる」そうです。「学校で先生が、あれやれこれやれって連絡を言うじゃん? そうすると、はじめにやれって言われたことの内容考えてるうちに次のこと言われて、ふたつ目に言われたこと考えてるうちに、ひとつ目なんだっけってなって、そうしているうちにもうみっつ目言われているだよ。そうなると、頭の中がこんがらがって、先生が何言ってるか意味が分からないなるじゃん。焦ると背中に汗かいて……」(p. 164)となったそうです。

 先天的な「作業記憶の低下」と、後天的な「作業記憶の低下」。起こった順番は違うのですが、不自由の質は互いに共感できるのです。ここらあたりから互いの共通点を探っていったのでしょうか。

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 滝川一廣さんの『子どものための精神医学』(医学書院)からの引用がありました。高次脳機能障害者の立場から、鈴木さんも大いに合点がいった論考だったとお書きなのですが、昔の農耕や職人の時代には、自然や技術を相手にする発達障害者に向いた生き方があったのだが、それが今ではサービス業という人相手の生き方しかなくなってしまった。それで「自然や技術を相手にする発達障害者に向いた生き方」に就けなくなり、現代の発達障害者の(見かけ上の)増加を招いているというものです。

 わたしは人類学者ですので、人類の進化の話といった超ロング・スパンで考えたとき、滝川さんとはまた別の見方ができそうです。しかし、この仮説には一定の説得力があります。農耕や職人の働き方というものを固定的な人類学の枠の中で捉えなければ、十分な説得力が得られそうです。その意味で、大人の含めて発達障害者の存在は、まったく自然なことに思えます。

 それでは改めて問うてみます。「脳が壊れた」鈴木さんの自分の体験を、よく似た「大人の発達障害」のお妻様の心象風景に単純に「当てはめ」てみれば、事実がわかるのでしょうか。わたしは違うと思います。鈴木さんの側の試行錯誤によって、どのピースが当てはまりそうかを試してみる。たいていは当てはまらないのだが、たまに運良く当てはまるものが見つかる。その過程が、事実を探る上では不可欠だったはずです。

 お妻様の思考プロセスへの気付きを、美しく表現した個所がありました。鈴木さんが脳梗塞を起こした直後の話です。お妻様が脳腫瘍(しゅよう)を手術で取り除いた後の話でもあります。少し長くなりますが引用してみます。

 脳が壊れ、人格も壊れてしまった僕。だが、そんな僕が抑えきれぬ感情にわなわなしながら「おまえのせいで倒れた」と呪詛の言葉を吐こうとも、お妻様はひと言も言い返すことなく、ただただ毎日病院にやってきて、定められた面会時間いっぱいを使って、僕に寄り添ってくれたのだった。

 僕がどんなに取り乱しても、制御できない感情にパニックを起こしていても、お妻様は毎日毎日欠かすことなく病院に来てくれた。病床の僕の横に付き添い、まっすぐ歩けずやたら壁や段差にぶつかる僕の手を引いて病院内を歩き、僕が倒れる前と同じに、今日は猫となにを話しただとか、昨日の動物&自然科学系まとめサイトの面白い記事報告だとか、庭のカマキリが三齢幼虫になったといったとりとめもない話をしてくれる。

 そんなお妻様だったが、僕に付き添いながら、泣き言はひと言も言わなかった。不安に思わないはずがない。今後の仕事のこと、生活のこと、家の維持、そして残ってしまった僕の障害。けれどもお妻様は泣き言をひと言も漏らさずに、ただ「頑張りすぎたね、すこし休もうよ」と言ってくれた。そして、脳梗塞後の壊れた脳が知覚する自分の身体を他人の立場でリモコン操作しているような狂気の世界観の中で混乱し、苦しみもだえるしかない僕に寄り添い、ただただ手を握り、背中をなで続けていてくれた。

(中略)

あれはまだ緊急入院から急性期病棟に入って、1週間ぐらいのことだったろうか。深夜の入院病棟で、僕はあることに気付いて愕然とした。

 僕はお妻様から、「それらの言葉」を聞いたことが一度もないのだ。

 家を掃除して綺麗に保ってほしい、洗濯をしてほしい、おいしい食事を作ってほしい、仕事の頑張って成功させてほしい。稼いでほしい、貯金をしてほしい。

(中略)

 そうだった。お妻様が16年間僕に言い続けてきたことは、一貫して「そばにいてほしい」「一緒にいる時間がもっとほしい」「どこそこに行きたいね(一緒に)」といった願いばかりだったじゃないか。

第三章 まずお妻様が倒れ、そして僕も倒れる、pp. 102–105

 お妻様が死んでしまいたいような気持ちを抱えたとき、鈴木さんにそうしたように、お妻様も、穏やかにそばに寄り添い、ただただ手を握り、背中をなで続けていてほしかったのです。そして願いはただ「そばにいてほしかった」のです。この真実を理解できるご夫婦は、そうそういないのではないでしょうか。その意味で、この『されど愛しきお妻様』の登場人物は、運命に愛された人びとだとも言えそうです。

 思えば、研究者ばかりの世界で暮らしてきたわたしは、どこか変な人ばかりと付き合ってきました。研究者もまた発達障害者に向いた職業なのかもしれません。

 それから最後にもうひとつ。わたしが新型コロナを発症して2週間が経ちました。しかし、その後、何も連絡はありません。潜伏期間を考えても、もう大丈夫です。

 めでたし。めでたし。

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