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誰にとっても「意思疎通支援」はすばらしいことなのか?

 先日、ある言語聴覚士の男性が「意思疎通支援者」のバッチを服の襟(えり)に付けていました。誇らしげです。確かにバッチを襟(えり)に付ければ「意思疎通支援者」の存在がアピールできます。そしてその男性にとっては、「自分は意思疎通支援者という大切な役目を任せられた人間だ」という自己アピールにもなります。障害者のわたしは、最初、その姿を無邪気に感じて、にこにこ笑って見ていました。

 しかし、一呼吸おいてよく考えてみると、妙な感じがしたのです。なぜその人はアピールをするのでしょう? そもそも誰に対してのアピールなのでしょうか? わたしたち障害者(そこにいた人の多くは「失語症者」=聴覚情報処理障害者)に対してでしょうか? これは障害者が集まる場で起こった出来事です。襟(えり)のバッチは我われ障害者に対するアピールだと解釈するのが自然でしょう。

 たとえその男性が、我われにではなく社会全体に向かってアピールすることを意図していたとしても、アピールをするということは一般の人には「意思疎通支援員」の知名度が低いことを意味します。そもそも、そのバッチのデザインと「意思疎通支援者」を結びつけて認識できる人は、ほとんどいないでしょう。

 知名度が低いことは大きな問題です。なぜなら、障害者であるわたしは、障害者を含めた人びとの行動や態度がよく変わってほしいと20年も前から訴えてきたからです。わざわざ「意思疎通支援者」と名乗らなくても、困っている人がいたら「どうしたの?」と声を掛けるのが普通だという感覚です――そうあってほしい。どうして「意思疎通支援者」などと仰仰しく名乗るのでしょう。

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 「意思疎通支援事業」というのは厚生労働省が音頭を取ってまとめた「コミュニケーション障害者」への支援事業です。いくつかの種類があります。それは手話通訳士・手話通訳者・手話奉仕員、要約筆記者、盲ろう者向け通訳・介助員、そして失語症者向け意思疎通支援者です。この中では手話通訳士の取得が一番むずかしいと思います。手話通訳士は「厚生労働省令に基づく認定を受けた社会福祉法人聴力障害者情報文化センターが実施する試験に合格し、登録され」ることが必要だからです。手話通訳者と要約筆記者は「養成研修を受講の上、都道府県が行う試験に合格」する必要があります。手話奉仕員、盲ろう者向け通訳・介助員、失語症者向け意思疎通支援者は養成研修だけで登録してくれます。

 手話通訳や要約筆記は意思疎通支援としては、比較的よく知られた資格だと思います。特殊技能だから試験があって当然です。一方で盲ろう者向け通訳・介助や失語症者向け意思疎通支援の存在は、あまり知られていません。

 盲ろう者向け通訳・介助員は「視覚と聴覚の両方に障害がある方(盲ろう者)の目と耳の代わりとなって、視覚情報の提供、コミュニケーション支援(人と話す時の通訳等)、外出時の移動介助(戸外での歩行や交通機関を用いての移動時の誘導)」(神奈川県聴覚障害者福祉センターよくある質問:盲ろう者通訳・介助員って何ですか?どうやってなるのですか。)をします。盲ろう者との通訳や介助には指点字や触読手話といった特別なコミュニケーション技術が必要です。そのため盲ろう者がコミュニケーションするためには、一定の技術を持った介助者が必要です。これはよく分かります。養成研修がなければスキルは身に付きません。

 問題は失語症者向け意思疎通支援です。厚生労働省のウエブ情報によれば、失語症とは「脳梗塞や脳外傷などにより脳の言語中枢が損傷され起こる障害。物事を考える機能は保たれているが、自分の考えを『言葉』の形にすることができず、『話す』『話を聞いて理解する』『読む』『書く』など言葉にかかわる機能が失われ、周囲とのコミュニケーションをとることが困難」(意思疎通支援)な状態であると書かれています。なるほど、このような人なら意思疎通支援員がいてくれないと不安です。この障害は、わたしの医療人類学のインタビューに応じてくれている人にはぴったり当てはまります。「音声言語」の能力が失われて、今までは、表面には決して表れることのなかった〈こころ〉を知ることができなかったからこそ、普段、その人がどんなことを考えているのか、感じているのかを研究する価値があるのです(聴覚失認者は何を物語るのか?(3))。

 しかしです。厚生労働省の書いている「失語症者」に当てはまる人は多くないような気がするのです。わたしの経験では、「『話す』『話を聞いて理解する』『読む』『書く』など言葉にかかわる機能が失われ、周囲とのコミュニケーションをとることが困難」な人は、失語症者といっても、集まりに参加する人の10人にひとり、いるかいないかです。その上、わたしのインタビューに応じてくれている人は、重い聴覚失認で喋れないし聞こえないにもかかわらず、「それがどうかした?」と、ICT技術を駆使して失語症者のいない普通の市民活動にもどんどん参加していきます。その人が参加することで、場が明るくなるのです。

 「失語症者向け意思疎通支援」の養成研修には、「盲ろう者向け通訳・介助」の養成研修のような指点字触読手話といった特別なコミュニケーション技術の取得項目はありません。あるのは失語症者のおかれた状況の理解や心構え、意思疎通支援員側がどうやって失語症者の不完全な発話、つまり「たどたどしいおしゃべり」の破片から意図を汲むかといった精神論に近いものでした。

 「これはいったい何なんだ」というのが、わたしの偽(いつわ)りのない感想です。障害者の意図を汲むというのなら、ALSなどの難病者や認知症の進んだ人、さらに赤ん坊や死に近い人の意図を汲むのにも「知恵」がいります。「知恵」がなければ、いや、たとえあったとしても、「意図を汲む」と言っているのは意思疎通支援員の独り善がりかもしれない。当事者は「本当は、そんなことを考えてはいないのに」と思っていても、指摘してくれません。なぜなら発話ができないのだから。わたしはそんな天邪鬼なことを感じてしまいました。

 ここまでで、わたしの感じたことを整理しておきます。

◎「意思疎通支援事業」自体は本当に必要な場合があるし、当事者の期待も大きい。
◎「失語症者向け意思疎通支援」を必要としている人もいるのは間違いない。
◎ただし「失語症者」コミュニティ全体では「意思疎通支援員」の不要な人の方が多くいる。

 要は「失語症者向け意思疎通支援」は「余計なお節介」になる可能性があると言いたいのです。コミュニケーション障害というのなら、「ALSなどの難病者、認知症の進んだ人、そして赤ん坊や死に近い人」、それから自閉スペクトラム症者や知的な遅れのある人の意図も汲んでくれないと困るのです。自閉スペクトラム症者や知的な遅れのある人は、「ALSなどの難病者、認知症の進んだ人、そして赤ん坊や死に近い人」と同じく、適切な(=社会のメイン・ストリームで社会的マジョリティが使うような)言葉で言い表せるかどうかは別にして、「物事を考える機能は保たれている」からです。それは厚生労働省の挙げた意思疎通支援が必要な人と同じです。

――厚生労働省の「意思疎通支援」の一番最初に「聴覚、言語機能、音声機能、視覚、盲ろう、失語、知的、発達、高次脳機能、重度の身体などの障害や難病のため、意思疎通に支障がある障害者等とその他の者の意思疎通を支援するため、手話通訳者、要約筆記者等の派遣や養成等を行います。支援にあたっては、障害特性に配慮した意思疎通支援のニーズに即して行います。」と記されていました。

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 ここまで考えてきて、わたしは障害者に関わるある事実を思い出しました。国連の障害者権利委員会が日本の特別支援教育、つまり「障害児の分離政策」に懸念を示し、障害児や障害者のインクルーシブ教育やインクルーシブ社会の実現を強く求めたことです。しかし、この勧告は当事の文部科学大臣の永岡桂子さんがテレビに出て、「受け入れない」と声高らかに宣言しました。日本政府は障害者権利条約を批准していたにもかかわらず、障害者権利条約と矛盾する国内法をそのまま放置すると宣言したのです――そんな宣言を出すくらいなら、最初から障害者権利条約を批准しなければよかったのに。「批准」は、よく考えてみますという「署名」と違って、「その条約に矛盾する国内法をなくします」という国際的な約束の表明なのです。

 日本政府の障害者と非障害者の分離政策は、特別支援教育だけでなく、精神障害者が寛解した後も地域での生活が困難なほど長期に渡って強制的に入院させ続ける制度の容認、つまり実質的に病院側のかたくなな姿勢を容認しているなど、さまざまな点に見られます。思わずわたしは「意思疎通支援事業」も障害者と非障害者の分離政策ではないのかと疑ってしまいました。「あなた受ける人、私、与える人」の固定化です。これがわたしが感じた「妙な感じ」の根本的な原因です。

 「失語症者向け意思疎通支援」も、建前上、障害を持たない(ことになっている)言語聴覚士をはじめとする医療サイドの人間と、失語症をはじめとする、いろいろな障害が現れた人間の分離政策なのではないか。そう思わせる予兆は我われ障害者に対する医療サイドの人びとの「上から目線」にあるのかもしれません。言葉遣いや態度は丁寧だし、親切なのです。しかし、どうにも自分たちは「与える側である」という思い込みを払拭できないでいる。それが無意識にせよ、意識的にせよ、態度に出てしまう。どうなのでしょう?

 障害者と医療関係者は、立場の違いはあるにしても、同じ市民の一人ひとりとして集い合うのでなければ大切な話はできません。そうでなければ話が前に進みません。わたしは市民の一人として、市民の側に医療を開いてみたいのです。


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