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誇りのありよう

 さと子さんは、いつも継ぎの当たった服や、お尻のところがテカテカ光るスカートをはいていました。そんな子が他にいないわけではなかったのですが、さと子さんの場合、洗濯してあるのだからきれいだと言って、クラスの悪ガキたちが囃すのに平気な顔をしているのです。他の子だったら泣き出してしまいそうです。

 わたしとさと子さんは並んで座っていました。互いに慣れないうちはおとなしく座っていました。もともと授業中におしゃべりをする子ではありません。でも休み時間になってわたしの筆箱にはきちんと削った鉛筆が一本も入っていないと気が付くと、人の鉛筆をかってに取り出し、クラスの鉛筆削りで削ったりするのです。

 おせっかいな性格なのでしょうか。それとも誰にでも世話を焼かずにはおれないのでしょうか。何かに気が付いたら放っておけないのです。削った鉛筆はわたしの筆箱にきちんとしまいます。そして澄ましています。きっと家でも、同じように弟や妹の世話を焼いているのでしょう。わたしより精神年齢がずっと上なのかもしれません。それとも、わたしの方が年相応よりもずっと幼かったのでしょうか。

 ある時、先生が宿題を集め始めたことがありました。わたしはうっかりしていて、そんな宿題が出ていたことも忘れていました。焦ってしまいます。かばんの中を探します。ないことは最初からわかっているのですが、探す振りをしているのです。さと子さんには、わたしがしていることの意味が手に取るようにわかります。心のなかの動揺を見透かされていました。そして自分のしてきた宿題のプリントを取り出し、わたしの名前に書き直して、それを先生に見せるように言ったのです。

 わたしは言われるままに、さも自分が宿題をしてきたように先生に見せました。そしてさと子さんは、神妙な顔をして忘れましたと言ったのです。字を見れば誰がやった宿題かはすぐにわかります。わたしもさと子さんも嘘を吐いたのです。先生は困ったことでしょう。結局、先生は本当はさと子さんがやった宿題を、黙って二人に返してくれたのでした。

 さと子さんに謝るべきかもしれません。もやもやが募りました。しかし、わたしは謝る機会を逃してしまいました。当のさと子さんはというと、平気な顔をして、何事もなかったかのように振る舞っていたのでした。

    *

 このさと子さんとのエピソードは、心房細動と脳梗塞(のう・そくせん)のことを考えていて思い出してしまいました。もちろん「さと子さん」は実名ではありません。この原稿のために考えた仮の名前です。しかし、書いたことは、おおよそ事実です。忘れていることもあるのでしょうが、わたしが記憶しているかぎりは実話です。そして、このエピソードに恋愛感情はありません。同じ歳ですが、さと子さんの方が精神年齢がずっと高く、わたしは幼かったのです。

 「心原性脳塞栓症(しんげんせい・のう・そくせんしょう)」という病気があります。心臓でできた血の固まりが血流に乗って脳の血管に運ばれ、詰まってしまうという怖い症状です。この原因は心房細動であることが多いのです。心臓は心房がポンプのように規則的に動いて全身に血液を送り出すのですが、心房細動というのはこのポンプが小刻みに震えてうまく働かなくなることです。動悸やめまいを引き起こす不整脈の一種です。その心房細動が遺伝的にはどのように起こっているのか、また脳塞栓症の引き起こされる確率はどれくらいかを調べようとして、今、いろいろな調査がされています(例えば「心房細動の遺伝的基盤の解明と精密医療の実現」循環器専門医誌、伊藤 薫(2020))。

 その調査によると、心房細動はひとつの遺伝子が引き起こしたり、影響の強い少数の遺伝子が引き起こすのではなく、影響の弱い遺伝子が多数集まったときに心房細動という症状が表れるのだということがわかってきました。おまけにその人がどんな生活をしているかとか、血液検査の結果や、ガンなどで放射線を使うのならどの程度の被曝量であったかなどの数値も影響するのかもしれません。心房細動を引き起こす原因は遺伝子だけではなく、このような変化も見逃せないのだということです。

 いろいろな人がこのような研究をしているのでしょうが、心房細動が遺伝的にはどのように起こっているのか、また脳塞栓症が起こる確率はどれくらいかなどは、まだはっきりしないと思います。現在はやっと心房細動が起こる原因となる遺伝子がわかってきたというところだと思います。

 ところで、わたしの友人は脳塞栓症を起こした結果、失語と聴覚失認になったのですが、付き合っていて、一般にイメージする「失語で口がうまく回らなくて、おまけにおしゃべりが聞こえない」人に想像するような悲壮感をまったく感じないのです。医療人類学でインタビューをお願いしてわかったのですが、その場の雰囲気が好きだと言って、みんなでカラオケ店に行って歌い(歌っている自分の声は聞こえません)、知り合いが出演するからとコンサートに行く(もちろん音楽は聞こえません)ということです。人生を楽しんでいるのです。

 この友人のふるまいが、失語で聴覚失認になった人の一般的な性質だとは思っていません。その人なりの特異な何かがあって、「その場の雰囲気が好きだ」と笑っていられるのでしょう。おまけにその人の場合は「心原性脳塞栓症(しんげんせい・のう・そくせんしょう)」なのです。糖尿病や高血圧などの基礎疾患があるわけではありません。どんな生活をしているかが影響することもありますが、それとともに遺伝的な背景も大きいのです。再発が怖くはないのでしょうか。わたしに心房細動はありませんが、それでも再発は気になっています(わたしも半身にマヒのある脳塞栓症者・失語症者です)。ひと言付け加えると、別に普段から気に病んでいるいるわけではありませんよ。

    *

 さと子さんは父子家庭だったのではないでしょうか。その家の長女で、お母さんに変わって何やかやと家族の面倒をみている。弟や妹、それから仕事から帰ってきたお父さんの世話も焼くのでしょう。継ぎの当たった服は自分で縫ったのかもしれません。もちろん自分ひとりで、すべてのことができるわけはありませんから、弟や妹の手も借りてのことだと思います。

 さと子さんの人生は不幸でしょうか。

 もし本当に父子家庭だとしたら、お父さんとお母さんが揃った家庭で育ったわけではないのです。しかし、さと子さんが不幸だとは、けっして思いません。なぜなら、他の子ができないことを経験し、相手の身になってその子の気持ちがわかり、さと子さんなりの気遣いができたのです。その結果、精神的に早く大人になりました。

 もしも、さと子さんが「心原性脳塞栓症(しんげんせい・のう・そくせんしょう)」だったとしたら、その後の人生はどんなふうに転がっていたのでしょう。

 わたしは、わたしの友人にように笑って過ごしている姿を想像してしまいます。「障害者」になったからといって、それがどうしたと言っている気がします。わたし達にとって「障害者」と「非障害者」は、本質的に異質な存在ではありません。


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