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愛を数学で考える

この世界を数学で考えると、
プラスとマイナスに分かれます。

男と女、月と太陽、夜と昼のように
この世界は二つに分かれていることに気付きます。

つまりプラスとマイナスというものが数学であるように
二面性があるのです。

愛というと人によって色々ありますし、解釈も違います。
母性愛とか父性愛とか、単純に恋人を愛する、家族を愛するなど人によって愛の解釈とカタチはさまざまです。
たとえば「真実の愛」というものを信じてる人もいるでしょう。

ここで、愛を数学的に考えると、この世界では、プラスとマイナスのように二つに分かれる、という考えかたをすると、
愛も二つに大別できるのではないか?という考えに行き着きます。

愛にも二面性があると考えます。

ここでは便宜上、愛を「男性的な愛」と「女性的な愛」に分けます。
例えば、イメージでいうと、父性愛と母性愛というものに分けるのです。

つまり、愛は数学で考えると、「大別すると二つに分けられる」のです。

ところが男性なのに母性愛を持っていたり、
女性なのに父性愛を持っている人がいることに気付きます。

そこで考えると、例えば性同一性障害の男性がいたとします。
彼らは、心は女性ですが、体は男性です。

ここで愛というものについて考えていくと、
例えば、心が体と不一致という人は、必然的に周りの社会や人々などを「愛さざる」おえなくなってきます。

社会には男性は男性的、女性は女性的といった「概念」が、一般的にはあることが多いためです。

性同一性障害の方は心と体の不一致がありますが、
心と体が不一致なのはそう言う性同一性障害の人ばかりではないと考えます。

例えば、そういう性同一性障害じゃない人でも、
男性だけど女性的な人や、女性だけど性格は男性的な人がいるのではないでしょうか?

体は男性だけど心も同じように男性的・・・という人よりも、
男性だけど女性的な心を持っている人も結構いるという印象です。

そういう人は性同一性障害ではないにもかかわらず、
肉体と心の不一致に苦しんでいるのです。

しかし肉体と心は不一致なので愛を生むという考え方です。
愛さざるをえない状況と言えるでしょう。

心と体が不一致だとその人の愛は強まると、数学的には考えられるのではないか?と考えます。

例えば漫画といったものを描いている人で萌え系のものがありますが、
それを描いてる人が男性だったとしても
女性的な部分が散見されます。

彼らは性同一性障害ではないですが、
男性性と女性性の間で揺れ動いているのです。

そして、そういう人は必然的に社会などの間で精神的苦悩があると考えます。
そうすると、彼らの描く創造物も影響を受けます。

そういう漫画を描いている漫画家に会ったことがあるのですが、
彼らの親は厳しく、厳格に育てられて、「男性的になれ」とされてた人もいました。
しかし、彼らは心は女性的な部分がありました。
だから、厳しく育てられた反動で、萌え漫画家になったのかもしれませんね。

あまりに女性的な心を持っている男性は、男性的にする教育を受ける中で、それに耐えられない人も中にはいるという印象です。

おさらいすると、数学的に愛を考えると、愛は二つに大別でき、心と体の不一致で、愛は強まる、という考えです。

愛とは肉体と心の不一致があると必然的に周りを愛さざるおえなくなり、強まるのです。

一つの考え方として、ここでは愛について数学的に考えてみました。
ですが、愛の考え方は様々です。
人によって愛の考え方が違うことも、考慮していただければ良いと思います。

ここでは数学的に考えてみましたが、文学的に考える人もいるでしょうし、
愛とは色々なものがあっていいと思ってます。

これは単に一つの考え方です。

何かの一助になれば幸いです。

ここまで読んでいただきありがとうございました。

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