町居 柊

読んだ本や好きなアート、ちょっとした出来事など。

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  • なんでもない日常がとびきりマガジン

    • 2,389本

    なんでもない日常が、実は、とんでもなくとびきりだとわかった今日。 あなたの今日の「とびっきり」を教えてください♪ もしくは素敵な記事に出逢ったら、その記事をこちらのマガジンに追加いただいて、一緒に、ここだけの”とびきりマガジン”を創っていきましょう! もちろん読むだけのご参加も大歓迎です! <運営メンバーのできること> *ご自分の記事の追加 *他のクリエイターさんの記事の追加 <ご参加方法> *ピン留め記事のコメント欄に「マガジン参加希望」と「note ID」をご記入ください! →「運営メンバー招待のお知らせ」がnote公式よりメールされます → URLのクリックで参加完了です <退会方法> *ピン留め記事のコメント欄に「マガジン退会希望」とご記入ください! →オーナーがメンバー削除を行います ※トップの画像とタイトルは消したり変えたりしないようお願いします(*^-^*)

最近の記事

西表島の熱帯雨林を取り寄せる

仕事中に流すサウンドをずっと探していました。 文章が書けなくなるので音楽はダメ。 わたしだけかもしれないけれど、特にクラシックがダメで、途端に日本語が書けなくなる。 日本語のリズムとクラシックの間には何か、決定的に相容れないものがあるような気がします。 音楽がダメなら効果音のようなもの。 そう思って探したけれど、なかなかしっくりくるものが見つからない。 雨音だけを集めたCDを見つけて、これだ!と思ったのに、どうも不自然で気が散ってしまう。 わたしの集中力の問題かと半ば諦めて

    • 究極のホタテは脈動する

      このところ、処理水関連のニュースを目にしない日はない。 漁業に携わる方々のご苦労を思うと、本当に胸が痛む。 おいしい魚介をずっと食べて育っているので、少しでも何かと思い、以前書いた記事をもう一度ご紹介することにした。 ホタテ。 大好きな魚介の一つ。 東北の海で獲れたホタテは大きくて、とてもおいしい。 絶対に、殻付きで買ってほしい。 柱になったものを買うのとでは、味が全く違う。 通販でも、氷漬けにしたものをクール便で届けてもらえると思う。 記事にあるような、とんでもなく生命力

      • わたしを離さない帯が見たい

        帯愛があるので絶対に捨てない。 もちろん着物ではなく、本の話。 電子書籍に何が足りないかと聞かれたら、迷わず「帯!」と答える。 あそこに書かれたズバッと短い文言が好きで、平積みをぶらぶら見ているときは、ほぼ帯しか見ていない。 腕をつかまれるような力強い帯に出会うと、それだけで買いたくなってしまう。 だから、帯の文言は短いほうが断然いい。 立ったままでもバンと、目に飛び込んで来なければいけない。 それなのに、この頃の帯はどうもゴチャゴチャとし過ぎている。 あれこれ書き過ぎてい

        • 無限ループな全自動洗濯機

          全自動洗濯機なのに、たまに終わらないことがある。 ずいぶん時間がかかっているなと、気づくときはまだいい。 バタバタしていると気づかずに、一時間も経ってしまっていたりする。 最後の脱水で引っかかって、すすぎまで戻っているのだ。 こうなると、残り時間10分から、残り時間30分まで増えてしまう。 ひどいときはこの工程を、二度、三度と繰り返す。 終わらない。 無限ループだ。 何故こんなことが起こるかというと、脱水が始まる時点で、洗濯槽内に偏りがあるからだ。 重心が偏っていると上手く

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          「モダン」という憧憬 版画家・斎藤清

           斎藤清(1907-1997)の木版画の魅力は何と言っても、他の誰にも真似の出来ない構図だろう。 「もっとも作品の売れた版画家」とも言われるが、二十四歳で画家を志し上京した後も、美術学校に通ったことはなく、油絵にしても木版画にしてもずっと独学だった。  京都、竜安寺の石庭。  あまりにもシンプルな、究極の単純化ともいうべき構図にピシャっと叩かれたような感じがして……と、そのときの印象を斎藤は書いている。  屋内から見た光景なのだろうけれど、画面の下三分の二が影という、一瞬目

          「モダン」という憧憬 版画家・斎藤清

          真夏に美しいキョウチクトウの真実、ご存知ですか?

           見上げるほどの大木に夏になると、白、赤、ピンクといった美しい花を咲かせるキョウチクトウ。  一つ一つの花はツツジほどの大きさですが、一度に咲く花数が多いのでとても見栄えがします。暑さ寒さにも乾燥にも強く、生育が旺盛で丈夫なため、街路樹として植えられている姿もよく見かけます。大気汚染にも強いので、高速道路脇に植えられている姿を目にした方も多いのではないでしょうか。  以前住んでいた町の高台に真っ白な花を大量に咲かせる大木があって、満開のキョウチクトウ見たさに、真夏に息を切らし

          真夏に美しいキョウチクトウの真実、ご存知ですか?

          街を抜けて、物語は起ち上がる・村上春樹

          村上春樹さんの『街とその不確かな壁』を読んだので、考えたことなどを少し。 細かな内容に触れるので、未読の方はご注意ください。 ◆街の概観  わずかな隙間さえない堅牢な煉瓦の壁に囲まれた街は、主人公が十七歳だったとき、心を通わせていた一つ年下の少女とともに作り上げたものだ。  街を横切るように川が流れていて、美しい三本の橋がかかり、中洲には川柳が繁る。広場にある時計台には針がなく、街に一か所だけある門では門衛が目を光らせ、日々出入りが許されているのは一角獣たちだけ……。  

          街を抜けて、物語は起ち上がる・村上春樹

          新美南吉の不思議な詩

          アメリカの上空で未確認飛行物体が・・・そんなニュースを聞いているうちに、新美南吉の詩を思い出した。 新美南吉と言えば童話作家というイメージがあるが、詩も結構書き残している。 童話『ごんぎつね』が「赤い鳥」に掲載されたのは19歳のときだが、この『月から』も同じ年に書かれ、童謡として掲載されている。 最近『窓』がCMで朗読されているので、気に留めた方もいらっしゃるかもしれない。『窓』もまた、『月から』と同じ年に書かれている。 小学校時代の教師は優秀な南吉のことを、将来は絶対に

          新美南吉の不思議な詩

          「雨があがるようにしずかに死んでゆこう」八木重吉

          八木重吉の詩はとてもシンプルだ。文字も少ないし、漢字も少ない。 聞こえてくる音も少なくて、読んでいると、シンプルさの中にあるエアポケットに、すとんと落ちたような気持ちになるときがある。 地面からは見えない穴の中で、誰にも見つからないかもしれないと、怖いくらいに孤独だったりする。 小さい空は見えてもそれだけの空で、それだけの青色やそれだけの雲しか見えないのだ。 でもそういう場所は、一度は落ちなければならないのかもしれない。 「幸福な人間に物語はない」 そう言い切ったのは、彫刻

          「雨があがるようにしずかに死んでゆこう」八木重吉

          加賀乙彦さんの訃報

           先日、作家の加賀乙彦さんの訃報に接した。 『宣告』の書き出しにガツンとやられて、加賀さんのような文章が書けるようになりたいと、大それたことを思ったのはいつだったか。  精神科医でもある加賀さんは、東京拘置所の精神科医官を務めた際、ゼロ番囚と呼ばれる多くの重罪犯たちと面接し、その心理状況を細かく記録した。彼らの多くが拘禁反応(拘禁された状況に反応して起こる、妄想や幻覚などの様々な精神症状)に苦しんでいる現状に触れ、死刑とは何かと、あらためて疑問を投げかけたのだ。  そこから

          加賀乙彦さんの訃報

          「虚空へ」 谷川俊太郎

          2020から2021年に書かれた最新詩集とあるから、谷川さんが89歳から90歳にかけて書いた作品ということになる。 一つ一つの作品の文字はとても少ない。 でも文字が少なくなればなるほど、文の意味は広がるから不思議だ。 意味が広がるというよりは、情景が広がるということなのだろう。 こちらの頭の中の理解にゆだねられているものの、少しだけ、谷川さんが方向を指し示しているという感じか。いや、輪郭線かな。 心地良さと心許なさが同時に進行していくから、道に迷ってはいけないという緊張感もあ

          「虚空へ」 谷川俊太郎

          卓の上のコップにななめに陽が射し そこに朝があった 幸せよりたしかに希望よりまぶしく 私は朝のかたちを見た 谷川俊太郎「朝のかたち」

          卓の上のコップにななめに陽が射し そこに朝があった 幸せよりたしかに希望よりまぶしく 私は朝のかたちを見た 谷川俊太郎「朝のかたち」

          無敵らしい

          実はかなりの方向音痴で、どこに行くにも必ず迷ってしまう。 先日ある美術館に行ったとき、駅からの道がとてもわかりやすかったので、これならわたしでも迷わないとすっかり安心していた。 でも帰り道、完全に駅を見失った。 道をどこかで一本間違えて、それが運悪く高架になっていて、知らないうちに線路を跨いでいたらしい。跨ぐ時点で気づけよという話なのだが、全く気づかなかった。 方向音痴の最大の特徴は、前しか見ていないということなのだろう。 別の美術館に行ったときは、目的地がさっぱり見つから

          無敵らしい

          串田孫一さんの著者検印

          著者検印についてわたしは少し前まで、著者が本の部数を確認するために押したハンコ、というくらいの認識しかなかった。 でもこの、あいたくて書房さんがまとめてくださった串田孫一さんの著者検印を見て驚いた。 なんと二十二種類もある上に、苗字のハンコなどとはかけ離れた、細密画のようなものまである。 文章も詩も書かれて、絵本まで出されていた串田さんの著書は数えきれない。今現在も入手できる本はたくさんあるけれど、この著者検印を見ると、古い本を集めてみたいなという気持ちになる。 篆刻もされて

          串田孫一さんの著者検印

          図書館の裏側にはもう一つ図書館がある

          女子高校生だった頃「三国志」にすっかりはまり込んで、当時出版されていた小説を次々に読み、陳舜臣本まで読み上げてもまだ熱が冷めなかった。 読みたい気持ちは募るのばかりなのに、もう読める本がない。 あとは「演義」しかないと思いつめて、意を決して町の図書館へと向かった。 中国古典全集のようなものがあって、その中に上下巻に別れた「演義」があることはわかっていたのだ。二分冊と言ってもそれぞれが辞書のように分厚くて、ページの上段が書き下し文、下段が原文(漢文)という難物だ。 でもわたしは

          図書館の裏側にはもう一つ図書館がある

          自動改札が通れない定期券だった

          ずっと以前東京で仕事をしていた頃、ご実家が東急の大株主様という上司がいて、「生涯どこでもフリーパス」的な、ドラえもんの道具のようなものを使って通勤していたことを憶えている。 東横線沿線にお住まいで、わたしもすぐ隣の駅に住んでいたので、出勤時はよく一緒の電車になった。わたしはごくごく普通の定期券で、自動改札をするりと抜ける。でもその方は、自動改札を通ることが出来ない。 彼が使っているのは、「東急職員が最敬礼するパス」と社内で噂されていた通り、職員が立っている出口で、職員に見せな

          自動改札が通れない定期券だった