むう

昨日のこと、今日のこと、明日のことも残していけたら。

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奇奇怪怪明解事典 と わたし

何から書いていけば良いのか…個人的な心情をnoteに残しておきたいとずっと思いながら、もうすぐ2年が経つ。 今年2月に書籍化され、「鈍器本」と称された全544ページも10日と掛からず読み終わった。 それくらい夢中なのだ。 まず、奇奇怪怪明解事典との出会いの前にMONO NO AWAREの話をしたい。 初めてバンドを知ったのは、2017年頃。 たまたまスペシャで流れてきた「イワンコッチャナイ」のMVを見たことがきっかけだった。 5年も経ってしまうと、記憶は曖昧になるもの

    • ガードレールを見るとよみがえる苦い記憶

      小学生の頃、いつも登下校を一緒にする2人の友人がいた。 一人一人といるときは、そんなことにはならないのに2人が揃うと私はいじめの対象というほど大袈裟なものではないけれど、おふさげの延長にしては度を超えている対象にされていた。 具体的には帰り道、帽子を被っているとその帽子を取られ、もう片方と投げ合って返してくれなかったり、後ろからいきなり背中をドンと押され私が転びそうになると笑われたり、持っていたカバンを突然奪われ道路に投げられることもあった。 と、十数年前の記憶を改めて

      • インスタントフィクション『青い空ぐるり』

        教室の窓から見える空は四角。 明日から夏休みだと伝える先生の声は三角。 やったーと喜びを露わにするクラスメイト達の歓声は丸。 初めての夏休み。学校から解放される40日に対する私の気持ちは、正六万五千五百三十七角形。 「なにそれ?」 と、聞き返されても私にその言葉は届かない。 あー、また始まった。 いつまで経っても、クラスに馴染めないのは私に図形がないからなのか。 日焼けした肌、茶色。 運動会の練習、赤色。 遠足の準備、水色。 明日から冬休みだと伝える先生の声は緑色

        • 応援すること、ファンとか

          すきな芸人さんが、番組内で起こした展開をファンが良く思っていない。 番組のハッシュタグを見て、否定的な意見は軒並み「ファン」のツイートであると感じる。 それか、たまたま見た興味のない人の戯言。 応援していることを何か勘違いしてるんじゃない?って、感じることが多い。 特にその芸人さんを取り囲む環境において、その違和感を感じることが多い。過去も現在も、流動的にファンは変わっているにも関わらず、そこへの「執着」が一向に変化しない。 別に応援している歴が長いことを是としてる訳

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        奇奇怪怪明解事典 と わたし

          容姿の話とか。

          自分の容姿を「気持ち悪い」と思うようになったのは、いつの頃からだったか。 恐らく周囲の人間にそのような言葉でなじられた経験はなかったと記憶しているが、物心ついた頃から自分自身を形容する言葉として「気持ち悪い」というのが相応しいと思っていた。 「何かが違う」ことは臆病な自分を更に臆病にさせ、自分を「異物」として捉えることでしか、世界との共存の仕方を知らなかったのは幼さとも表現できるのだろう。 自分の容姿によって誰かを不快にさせているのではないか?と俯きがちに歩くようになっ

          容姿の話とか。

          情けない

          あまり自覚はなかったが、身体が弱い。 物心ついたときから病院に行くのは日常だったし、長い待ち時間に驚くことも不満を抱くこともなく大人になった。 大人になってからも年に一度は必ず高熱を出していて、コロナ禍になって体調不良が減ったという周りの声にもいまいち共感できなかった。何回か発熱していて、その度にPCR検査を受けている。いずれも陰性だった。 小さい頃は特に肌が弱く、皮膚科に通うことが多かった。けれど、皮膚科は他の病院に比べて圧倒的に怖いことや痛いことの少ない病院であるか

          情けない

          創作短編『送ることのない手紙』

          ———そもそも手紙を送り合う間柄ですらない。だから、これから先もこの手紙を送ることはないし、読まれることもない。  そんな書き出しで始まる手紙を祖母の古い箪笥から見つけたのは、先週のことだった。明らかに祖母のではないその筆跡に会ったこともない祖父の顔を思い浮かべた。人の手紙を読むのは気が引けたが、もうどちらも故人であるから許してくれるだろうと自分に都合よく解釈して、手紙の続きを読むことにした。  そういえば、文学館には作家自身が家族や知人へ送った手紙、はたまた恋文などが展

          創作短編『送ることのない手紙』

          まともがわからない

          それが「自意識」と呼ばれるものであることを知るのは、ずっと後のことだったけど私はずっと自意識過剰な子どもだった。 年少の運動会。玉入れで先生がカゴに入った玉を数を言いながら取り出している時だった。いよいよ白色の玉がなくなり、「34〜〜」と赤組の先生が言うと白組の先生がカゴを裏返しにして、もう何も入っていないことを示した。 そのタイミングでカゴの周りを輪になって座っていた赤組の子たちが立ち上がり、ドッと湧いた。そして、皆一様にわーわー言いながら両手を上にあげてピョンピョン跳

          まともがわからない

          ここ数ヶ月の雑感

          noteの更新タイミングを逃し続けていた数ヶ月…。 いつの話してるんだよのオンパレードですが、書くことに意義があるということで。 まず、6月にタイタンライブのお手伝いへ。 昨年度タイタンの学校に通っていて良かったと心から思えた出来事でした…! なにより、タイタンの皆さんの優しさとライブに対する熱意を間近で感じられた一日でした。 個人的ハイライトは、太田さんの発言に誰よりも笑う光代さんの後ろ姿です。細かく記すのは野暮なので省略します。 またの機会があることを…! そし

          ここ数ヶ月の雑感

          あと数日で

          25歳が終わる。 自分にとって『25歳』は特別な年齢だった。 というのも、中学卒業時のクラス文集のテーマが「10年後の自分」だったからだ。B5サイズの無地の用紙が一人一枚配布され形式などはすべて自由、その用紙を受け取ったのは2月の終わり。 中学3年も残り1か月弱、とうとう3年の教室には足を踏み入れることはなかった。もうその頃は、学校に対しての執着はなかったし自分の席が教室内に存在していたかさえ知らない。 一応、仲良くしていた友人はいたが、クラス文集をどのように仕上げた

          あと数日で

          最近どんどん声が小さくなってる…ただでさえ通らない声なのに

          最近どんどん声が小さくなってる…ただでさえ通らない声なのに

          ターゲットから外れた

          SNSを見ていると、自分のすきなものと引き換えに他のものを貶めるような表現が多くて息が詰まりそうになる。 自分の「すき」は、そのままで。 対比としては分かりやすいのかもしれないけど、苦手だ。 新春に放送された特別ドラマを楽しみにしていたが、中盤くらいからなんとも表現しづらいモヤモヤが募って苦しくなった。 「期待しすぎていた」の一言で済むような気もしたけど、つらつら書いてみることにした。 結論としては、自分がその作品の『ターゲットから外れた』ことが分かった。 思い返せば、

          ターゲットから外れた

          淡々と

          なんとなく、すきな歌詞を紹介していきます。 DUGHNUTS / MONO NO AWAREこの一節の良さを解説するのは野暮だと思う………! いや、もう本当に初めて聴いた時の衝撃が忘れられないです! 聴けば聴くほど、この歌詞を思いつく玉置さんの作詞家としての凄みを感じざるを得ないです。 大丈夫 / クリープハイプhttps://open.spotify.com/track/6bw7G5jYcuf7lGohIYR5Bi?si=w8FnioKUQUqz6xYkiDiRTg

          淡々と

          怒りと自分

          怒りの表現の仕方が分からない。 イライラは伝染することを家の中にいて散々思い知らされてきて、自分の怒りの表現の仕方が分からなくなっていることに気付いた。 自分に対して、何かが出来なくて悔しくなったり悲しくなることはあっても、それが怒りには繋がらない。 そもそも、他者に怒りが向かうことが無い。 例えば職場に仕事が出来ない人がいて、理解が遅かったとしても、それは効率が悪いことや自分がうまく教えられないことに対してのもどかしさであって、それらがその人に向かっているかというとそう

          怒りと自分

          花火がこわい

          小さい頃は本当に怖がりだった。 たぶん周りの誰よりも怖いものが多かった。 暗幕、着ぐるみ、花火、蛇口から出る水、低い声と音、犬(というか動物全般)、人の多い場所、鬼(それに類似するもの)…その他もろもろ。 これらを連想させるものに触れるたび、泣いていた。保育園に毎年来ていたサンタクロースでさえ怖かった。 暗幕と着ぐるみや鬼に関しては克服したが、 それ以外に関しては今も変わらず怖いままだ。 夏、家にいると花火の音が聞こえてくる。 それが毎年、本当に怖くて仕方がない。 高

          花火がこわい

          屋根裏部屋

          天井に小さな輪っかがあって、そこに専用の長い棒を引っ掛けて回すと、折り畳み式のはしごが出てくる。 屋根裏部屋がすきだ。 自分の部屋の中の更に「隠れた空間」だからだろうか。 天井が低くて圧迫感があるのに安心感がある。 なぜ好きなのか考えてみた時、一番の理由はたくさんの過去と触れ合えるからだと思った。 なんか、クサイ文章で嫌だな。笑 久しぶりのnoteで書き方の要領が思い出せない。 このまま続けてみよう。 「過去に触れ合える」ことに喜びを感じることは、別に現在や未来に絶

          屋根裏部屋