ターゲットから外れた

SNSを見ていると、自分のすきなものと引き換えに他のものを貶めるような表現が多くて息が詰まりそうになる。

自分の「すき」は、そのままで。
対比としては分かりやすいのかもしれないけど、苦手だ。


新春に放送された特別ドラマを楽しみにしていたが、中盤くらいからなんとも表現しづらいモヤモヤが募って苦しくなった。
「期待しすぎていた」の一言で済むような気もしたけど、つらつら書いてみることにした。


結論としては、自分がその作品の『ターゲットから外れた』ことが分かった。
思い返せば、そんな風に感じることは初めてではないし、いつの頃からか来期放送のドラマをチェックすることもなくなったし、若い俳優さんの顔と名前は一致しなくなっている。

リアルタイムで見ていた時、あんなにテレビに齧り付いていたのに再放送でがっかりしたことも幾度としてある。


それらは、当時の感情などとの関係性もあるが、大抵はその作品、及び世界や作り手側のターゲットから自分が外れたと考えるようになった。


「あの頃は良かった」と過去を極端に美化した物言いは苦手だし、自分の感度が下がった(かもしれない)と認めるのも悔しいが、『ターゲットから外れた』は気持ちの落とし所として心地よい。


そして、そこからは距離を保つことで他者のすきなものを否定する気も起きなくなる。

自分のすきなものがこれだけ凄いから、他のものは下らないと切り捨てられるほどに物事は単純なものでもないと思っている。

だからといって、八方美人のようになんでも褒め称えることが正義になってしまうと、それはそれで違った違和感が生まれるが、それはまた別の話として。

何を正義として動くかは個人の自由だし、ここらへんのことはまた違うnoteでだらだらと残せたらとも思う。


結局、何が書きたかったか忘れてしまったが、これからも自分の「すき」に関しては積極的に発信していこうと思う。
張り合わない平和なSNSを目指して…。

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