情けない

あまり自覚はなかったが、身体が弱い。

物心ついたときから病院に行くのは日常だったし、長い待ち時間に驚くことも不満を抱くこともなく大人になった。

大人になってからも年に一度は必ず高熱を出していて、コロナ禍になって体調不良が減ったという周りの声にもいまいち共感できなかった。何回か発熱していて、その度にPCR検査を受けている。いずれも陰性だった。

小さい頃は特に肌が弱く、皮膚科に通うことが多かった。けれど、皮膚科は他の病院に比べて圧倒的に怖いことや痛いことの少ない病院であるから、苦痛に感じることはなかった。

小2から小5にかけてが肘の裏の発疹と痒みの症状が最もひどい時期で、日中も薬を塗った部分にガーゼを当て、そこに包帯を巻いて学校に通っていた。

当時、「ただ、君を愛してる」という映画が流行っていて、主人公が塗り薬の匂いを気にして人付き合いに臆病になっているという描写に深く共感したことを覚えている。

映画の中で主人公のそれは思い込みであったことがわかるけど、私が当時塗っていた薬は本当に独特な匂いがあった。「ピーナッツバターの薬」と呼んでいて、実際に匂いも見た目もよく似ていた。

包帯をしていても自分の腕から独特な匂いを放っていることが、当時の自分を臆病にさせるには十分すぎた。友達に「どうしたの?」と聞かれて、「痒くて薬塗ってるんだ」とは答えられるけど、その匂いがどれくらい鼻につくものなのかを確認することはできなかった。

包帯をしていることも恥ずかしかったし、その痒みの原因がわかっていないことも後ろめたさを助長させた。アトピーではないと、どこの皮膚科に行っても言われていて、気づいたら治っていた。

そんなことを急に思い出したのは、アルコール消毒の頻度が増して手荒れがひどくなり皮膚科に通う日々を送っているからだ。

先生のアドバイスから就寝時に綿の手袋をつけるようになった。最初のうちは装着したまま朝を迎えられたのにだんだん寝ている間に無意識に外してしまうことが増え、手袋を抑えるために手首に包帯を巻くことを勧められた。

ドラッグストアで包帯を探すのは初めてで、実家の救急箱には包帯が当たり前のように2、3個常備されていたことを思い出した。けれど、実家に取りに帰るのは面倒だから、その店に1種類しかなかった包帯を購入した。


話は変わり、数年ぶりに献血に行った。事前採血の時点でなかなか血管が見つからず、腕を温めたり色々と手間取った。

それでも血管が見つからないことは日常だったから、申し訳ないと謝る看護師さんに採血を手首や手の甲で採られることもあったという雑談で場を持たせようとした。なんとか採血が無事に終わって、いざ献血と可動式の椅子に腰掛け太い針が入っても、なかなか看護師さんはその場から離れない。

「あちゃ」と漏らした看護師さんの方に顔を向けると針を刺した部分が皮下出血を起こして、今日は献血ができないと伝えられた。
軟膏を塗られ、患部に包帯を巻かれた。数日以内に青あざのように色が変化することや予後に関して心配なことがあったら連絡するように説明を受けた。

それと一緒に経過観察の電話を入れるからと連絡先と都合のよい時間帯を確認され、採血室を後にした。

何度も謝る看護師さんたちに申し訳なくなりながら、自分以外の献血が終わって清々しい顔でお菓子を食べたり、ジュースを飲んでいる人たちを羨ましく眺めながら待合室で時間が過ぎるのを待った。

受付でさっき塗られた軟膏を渡され、再び受付の人にも謝られポケットティッシュを受け取って帰った。

献血が出来なかったエピソードとして、ヘモグロビン不足や体重不足は聞いたことがあったけど、皮下出血中止があることを初めて知った。軟膏が用意されていることから、そこまで珍しいことはないのかもしれないけど献血サイトのFAQを見ても献血後の皮下出血の記載はあっても、それが原因で中止になることがあるとは書いていなかった。


丈夫な身体がほしい。それが無理なら、せめて採血のしやすい太い血管がほしい。


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