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あと数日で

25歳が終わる。

自分にとって『25歳』は特別な年齢だった。

というのも、中学卒業時のクラス文集のテーマが「10年後の自分」だったからだ。B5サイズの無地の用紙が一人一枚配布され形式などはすべて自由、その用紙を受け取ったのは2月の終わり。

中学3年も残り1か月弱、とうとう3年の教室には足を踏み入れることはなかった。もうその頃は、学校に対しての執着はなかったし自分の席が教室内に存在していたかさえ知らない。

一応、仲良くしていた友人はいたが、クラス文集をどのように仕上げたかは聞かなかった。というより、聞けなかった。休日に2人で会ってくれるその子には当然クラス内にも友人がいて、その中のグループに属していればそこでのポジションだってある訳で、それらの邪魔だけはしたくないと思った。

フリースクールには通っていたものの、学校ほどの規律の厳しさや時間的な拘束とも無縁だった私はそのクラス文集に費やす時間が多くあった。なるべくわかりやすく『今』の自分を表現する術を考えていて思い浮かんだのが、当時好きだった芸人のイラストステッカーをスキャナで読み取り、用紙に収めるという案だった。

自分なりに配置を考え、その他の項目も考えてようやく完成し、提出した。


そして、卒業式の日完成したクラス文集を受け取り中を見た。出席番号順に並ぶ各々のページをめくり、自分のページを開いたとき思わず笑ってしまった。

明らかに自分のページだけ浮いていた。クラスメイトたちは休み時間や受験勉強の合間の時間に書いていたようで、そのページの使い方を見るだけでクラス内のグループが分かるような統一性があった。


話が長くなったが、私は10年後の自分について『お笑いに関わっていたい』と書いていた。

そして、25歳の一年間は「タイタンの学校」に通っていたので、その姿は達成できていた。10年前の自分がこの姿を望んでいたかは別にしても、もう一つ書いていた「充実した日々を送っていてほしい」というのは確実に達成できたと思う。

好きな芸人の項目に書いていた「爆笑問題/タカトシ/ノブコブ/ピース/グランジ」は今も全く同じである。その変わらなさに10年後の自分は少し笑った。


次の10年後の自分はどのように過ごしているだろうか。

最近の私は、「大人」の定義について考えている。年齢ではなく、もっと広い意味で大人を捉えることができる何かがあるのではないか、と。

大人の定義について考えている25歳の私が35歳の自分の目にはどのように映るのだろう。現時点で理想とする「大人」に少しでも近付けているだろうか。

あと数日の25歳を噛み締めつつ、『未来はいつも面白い!!』と言える未来に生きていたい。

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