創作短編『送ることのない手紙』



———そもそも手紙を送り合う間柄ですらない。だから、これから先もこの手紙を送ることはないし、読まれることもない。



 そんな書き出しで始まる手紙を祖母の古い箪笥から見つけたのは、先週のことだった。明らかに祖母のではないその筆跡に会ったこともない祖父の顔を思い浮かべた。人の手紙を読むのは気が引けたが、もうどちらも故人であるから許してくれるだろうと自分に都合よく解釈して、手紙の続きを読むことにした。

 そういえば、文学館には作家自身が家族や知人へ送った手紙、はたまた恋文などが展示されていることがある。いくら書くことを生業としていても、死後そのように内情を綴ったものを世間に晒されることに多少の抵抗は感じるだろう。それでも死人に口なし。それが著名な作家ともなれば、見たい人も多い。私的なものであればあるほど、そこに価値を見出されるのだろう。

 私の祖父母は著名な作家でもなく、この手紙を読むのも孫の私くらいで、これをどこかに公開することもないし、そんなことは誰も望んでいない。


———私があなたに出会ったのは、ある晴れた日曜日の朝だった。きっとこの日のことは一生忘れないだろうと思ったが、そういう勘はよく当たるものだ。そんなふうに思える日は生きていて、そう何日もない。
 自分で書いていて恥ずかしくなってきたが、誰に読まれるわけでもない。ましてや、あなたが読んでくれるわけでもない。


 手紙の送り主の臆病さに少し笑ってしまったが、誠実に手紙と向き合っていることは十分すぎるほど伝わってきた。



———どこから書いていけばいいのだろうか。初めて出会ったその日から、私は一瞬であなたの虜になったが、そのことをあなたは知る由もない。
 話したわけでもないのにたまたま耳に入ってきたその声は私の身体中を巡って、昨日までの自分とは全く別だと妙なことを思った。
 そこから、あなたを見かけるたびに心躍り(実際にスキップくらいはしていたかもしれない……)、私はどんどんあなたにのめり込んでいった。
 あなたから差し出された言葉たちは、すべて私にとっては宝物のようなもので、出会ってから今の今まで私を支えている。繊細なのに大胆で臆病でも優しさに溢れている。あなたは自分のことを優しくないとすぐに否定するけど、私の目にうつるあなたは、いつだって優しかった。そして、輝いていた。それはあなたが放つ言葉も同じだった。そんなあなたが眩しくて仕方なかったが、あなたと向き合う時に私が卑屈になることはなかった。そんなことを考える暇がないほど、あなたとの時間はかけがえのないものだったから。



 誰かをこんなにも深く強く想ったことはあっただろうか。そんなふうに想われてる「あなた」を心底羨ましく、それが祖父母の関係性だとしたら自分にもその血は受け継がれているだろうと嬉しくなった。手紙の続きを開いた。3枚あった便箋も、もう最後の1枚だ。



———それなのに。あなたの時間は突然、止まった。それと同時に私の時間も止まってしまったような気になったが、全然そんなことはなく日常は過ぎていった。あなたがいなくなってからも普通に生活ができてしまう自分自身を憎んだ。あまりにも突然のことだったし、人がいなくなるとはそういうことなのだろう。
もしかしたら、何十年か経って、あなたのことを忘れてしまう日がくるかもしれない。絶対に忘れることはないなんて断言しても、そんなことは無駄なことだ。だから、せめてあなたが早めに生まれ変わって私の前に姿を現してはくれないだろうか?あなたの声も見た目も変わっていてもあなたを見つけ出すことができると根拠のない自信だけは、しっかりある。
 生きているあなたに私はなにも伝えることができなかった。それでも、あなたになにか伝えておきたくて、これを書くに至った。あなたには届かない、そんなことはわかっている。これは、送ることのない手紙だ。

2009年12月24日
樋口 樹



 最後まで読んでわかったが、これは祖父が祖母に宛てた手紙ではない。祖母が亡くなったのは、一昨年で、祖父はその30年前に他界している。名前はたしかに祖父の名前ではあるが、そもそも2009年に2人はまだ出会っていない。

 19歳の祖父は誰にこの手紙を書いたのだろう。そして、なぜそれを祖母が持っていたのか。
 2人に直接聞くことは叶わない。一番近くにいた母に聞くこともできるが、それは違うような気がした。

 2009年なんて、ずっと昔のことだと思っていたけど、祖父はたしかにそこに生きていた。
 ある晴れた日曜の朝に「あなた」と出会った若い祖父を想像して、勝手に嬉しくなった。不器用な祖父は最期まで「あなた」に何も伝えることはできなかったと悔やんでいたようだけど、本当にそうだったのだろうか。

 どこかで「あなた」が読んでいないかと淡い期待を寄せて手紙を閉じた。

#創作大賞2022

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