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転職活動4ヶ月を経て大手外資系ITの内定を獲得できた話【前編】

この度、約4ヶ月の長い長い転職活動を経て、無事、希望する大手外資系IT企業からの内定をいただくことができました。
前職を働きながらではなく、離職してからスタートしたこともあり、精神的にも収入的にもだいぶキツく、とても長く感じた4ヶ月間でした・・・・。

ただ、これまでの転職活動の中で最も頭を使い、努力をし、また様々な方に励まされ、助けていただくことで、最終的に納得のいく結果を残すことができた転職だったと思っています。
そのため、自分自身の振り返りとして記録することで自分の反省や学びにもできるかもしれないという点と、単純に備忘録としての記事に残しておこうと思い、note更新に至りました。

ちなみに、以前にも転職日記は書いたことがあるのですが、今回のお話は、その時に入った会社をわずか一年で辞めてしまい、さらに新たな別の会社へ転職するまでのストーリーのため、全く 別の話です。↓↓↓↓


なぜ転職活動を始めたのか

主な理由は、所属企業の風土や体質、環境に我慢限界となり、見切りを付けざるを得なかったことがことがメインの理由になります。

私は前回の記事での記載の通り、職業訓練校経由で入社した、SES主体の某システム会社の受託開発チームに配属され、主にサイボウズ社のkintoneを使ったシステム開発に携わりました。

以前、Web制作会社でWebディレクターや営業経験が10年近くあったこともあり、4〜5人の小規模チームのPM(※ナンチャッテ)やPMO、開発補助、営業補助など、様々な業務に携わらせていただきました。
一緒に働く現場の方々は、BPさんも含めてとても温厚で優しいタイプの方が多く、入社後すぐに打ち解けることができ、とても楽しく仕事をしていました。



が、しかし・・・・・・。



疑問に思うことが日々発生するため、次第に転職を考えるようになりました。下記は一部です。。

例)
①給与水準が低くほとんどの従業員は1~2年で退職
②某F社など大手SIerを定年退職した方が定期的に役職者として突然入社(想定:高給)

③上長のミスは部下が尻拭いし、なぜか上長は咎められない風土
④炎上案件は当たり前(なぜかPMではなく末端の責任)
⑤課長以上はほとんど入社して2~3年以内の方ばかり
⑥定期的に突然従業員が飛ぶ
⑦BPさんも突然飛ぶ
⑧待機社員がいるのに毎月未経験を雇用(助成金目当て)
⑨8割以上未経験入社なのに研修も無く現場へすぐに入場(それによる退場もしばしば)
⑩サービス残業、休日無償労働の常態化
⑪三六協定は遵守してる体だが、打刻せずに残業を強いられている社員がいる(残業体質)
⑫待機社員の学習用PCは自前(PCを持ってないと「IT業界で働いているのになぜPCくらい持ってない?」と叱られる)
⑬受託なのに予算もリリース日も仕様も未定で開発がスタート


個人的には特に③④がひどい。
元来、良くも悪くも責任感が異常に強いため、プロジェクトの進め方一つ取ってみても不可解なことが多々あり、それゆえにストレスが半端なかったのですが、資格取得で報奨金を荒稼ぎしたり、ドットインストールなどでプログラミングの勉強をすることで何とかストレス解消して、モヤモヤを誤魔化していました。(新しいことを学んでいると嫌なことが忘れられるので…)

そんなある日、お世話になっていたプログラマさんと関わったプロジェクトで、PMの指示通りに作ったシステムが、客先での一回目レビューで仕様の根底からひっくり返り、現場スタッフの方々から総バッシングを受けるという事件が発生しました。

しかし蓋を開けると、PM(仮名:KK)が客先社長と口頭だけでざっくりと要件を決め、なお且つその要件定義はPMの脳内のみで行われており、お客様からのコミットは一切取っていないことが発覚。

現場の方から指摘を受けている間、もちろんプログラマさんは目が点。
レビュー中に話が進めば進むほど辛そうな表情となり、いつも隣で楽しく作られていた姿を知っていた私も、泣けてきました。
帰り道、プログラマさんと2人で帰社する中で、「KKさん、どうして言ってくれなかったんだろう…言ってくれればそうしたのに…」彼はずっとうつろな目をしてそう呟いていました。

そして次の日のミーティング。
反省会が開かれると思いきや、まさかのPMは、仕様がひっくり返ったことに対し、「アジャイルはそんなもんだよ!コロコロ変わるからね!^^」と言い、さらに「前進してよかったじゃん!あとはよろしくね、プログラマくん!」と笑顔で言うPM。

ーーーその瞬間、何かがプツンと切れました。

今でもあの時のプログラマさんの苦笑した顔の裏に潜む絶望感と、PMの満面の笑みは忘れられません・・・。

もちろん、アジャイルでの開発が前提であれば、仕様が変化していくことはあり得る話かとは思いますが、そもそもその約二ヶ月間、システムについてのお客様とのヒアリングやセッションも一切なかったし(正確にはPMと顧客の社長はあったかもしれないが少なくとも現場同士のコミュニケーションは皆無)、PMの伝えた「こう作って欲しい」に対してひたすらプログラマさんは作っていただけだし、アジャイルの「ア」の字もかすっていない進め方だったのです。

そしてその進め方に対して意見できる人も誰もいなかったため、文字通りPMはやりたい放題。それに振り回される現場。(他の方からも話を聞いてみましたが、どれもこれもそんな対応だったとのこと。)


心身共に疲れ果てさすがにここいるのは限界だと思い退職することを決意

そもそも自分はIT業界で色んなお客さんの業務課題を解決できるようなシステム開発に関わりたくてこの業界に来たのに、技術者を使い潰すような考え方をしている会社のことはどうしても許せなかったし、当時唯一信頼していた執行役員にも、報告書にて是正依頼を何度もしたのですが、全く改善されることはありませんでした。

むしろ、「君が努力して彼(KK)を変えてやってほしい」などと言われる始末。
そもそもその方は部長代理であったため、自分よりも明らかに職位も年収も高い方であるはず。それなのに、なぜ末端社員である自分がその人のために成長させてあげなくちゃいけないんだろう!?と次第にやってられない感に苛まれました。

ただ、良くも悪くも異常にポジティブで責任感が強いため、「まぁ自分の成長にも繋がるかもしれないし、勉強になるかもだし」と言い聞かせ、KKさんをサポートしたり、別の上層の人を巻き込み、彼に突っ込んでもらったりしたこともありますが、結局何一つ彼は変わることがありませんでした。
それにより、余計にストレスが溜まる結果に。


ついに脱出を図るが、次から次へと妨害の嵐

また、その後も細々としたイライラすることが続き、ストレスが溜まりすぎて毎日胃薬を飲むような日々が続いたため、さすがに異常な状態だと自分でも気づいて退職届を出し、脱出を図りました。

しかし、実際には簡単には辞めさせてもらえず、退職の意思を告げてからほぼ毎日における社長や役員によるマンツーマンでの引き留め面談や、LINEでの引き留めが続き、無理やり辞めるかたちとせざるを得なかったため、最後の最後までモヤモヤする結果の退職となりました。。。

引き継ぎ作業も妨害されて途中すごく困りましたが、幸いPMOとして小間使いをしていたことから、プロジェクト全体のことは把握していたこともあり、なんとか時間を捻出して引き継ぎ資料をかなり綿密に作りました。

会社に問題があるだけで、お客様や現場には罪はないというのと、お世話になった先輩方やお客様に迷惑をかけたくないと思ったためです。
ただ、仲良くしてくれた方やお世話になった方々に、きちんと最後の挨拶ができなかったのは心残りですが・・・もうそれは致し方ないですね。。。


どんな会社でどんな仕事をしたいか決める

晴れて(?)退職した私は、次にどのような会社に勤めてどのような仕事をしようかということを真剣に考えました。明確な目的と目標を決めないと、なかなかやる気が出ない人間なので…。
また、2社連続で中小SIerを一年以内に退職しているので、さすがに次はある程度長くは勤めたいと思いました。
色々な方に相談させていただき、悩みに悩んだ結果、下記に方向性を決めました。

【転職目的】
自分のマーケットバリューを上げ、年収アップすること
【勤めたい企業規模】
大手企業(上場or非上場)
【目指したい業界】
SIer or SaaS企業 or コンサルファームあたり…?
【目指したい職業】
PMOやディレクター、コンサルなどの上流工程

最も目指したい企業の規模として、「大企業」がマストになりました。

理由としては、これまでに中小零細企業でしか就業経験がなかったこと、数百万円クラスの小さなプロジェクトでしか経験がなかったこと、また、優秀な方々に揉まれて、質の高い仕事や手法、考え方などを習得したいという思いがあったことからです。

もちろんこれらは中小企業でも叶わないわけではないのですが、確率論的に物理的に人数が多い大手企業の方が可能性が高めであること、また転職の最大の目的である「自分のマーケットバリューを上げること」ということから鑑みると、大手企業での経験は今後の人生に必ずプラスになると思ったことが理由でした。


ちなみに「自分のマーケットバリューを上げる」というのは、「転職の思考法」という素晴らしい本から教えてもらいました。少しでもキャリアに迷いがある方は是非読むことをオススメします!!
自分の場合オーディオブックで買い、さらに良すぎて本も後から買ったくらいの愛読書です(笑)

この本と出会い、前職を退職することを決意し(自分を殺してでも居座ることはダメという考え方)、且つどういった方向性で会社を決めようかということがざっくり決まりました。素晴らしい本です!

また、安斎響一さんのブログからも沢山学ばさせていただきました。こちらは内定を勝ち取るための具体的な手法が書かれているのですが、全話むさぼり読み、大いに参考にさせていただきました。


第一期:ようやく開始!棚卸し&レジュメ作成

まず、棚卸しをかなりしっかりしました。
自分の場合、これまで棚卸しをざっくりとしかしたことがなかったので、結果的に約10年間分行った感じになりました。自分自身と向き合い、自己分析することはとても骨折れ作業となりました。。。

また自分の場合は経歴がだいぶ変わっており、
Webマーケの会社→鬱でクビ→フリーランスのデザイナー→廃業→ユニット活動→Web制作会社として法人化→取締役→退職→SESの会社に入社→パワハラで退職→現職
という感じの職歴。

また、職業についても、
Webデザイナー・DTPデザイナー・Webディレクター・セールス・イラストレーター・画家・プログラマ・PMO
というように、他人からすると、とっ散らかり過ぎて何がしたいのかよく分からない経歴になっていたので、きちんとそれぞれを整理しました。

また、それぞれの局面で何を考え何を目的に職業や会社を選択し、どんな目標を持ちどう感じどう努力したのかということや、その当時は何が強みで何を弱みであったと感じていたのかなども、思い出しながら一生懸命書き記していました。。。

また、お世話になっているエンジニアの方にレジュメを添削してもらったりもしました。どうしても自分の文章は主観的な視点となってしまうので、客観的な意見をもらうことは本当に助かりました。


・リファラルからお誘いいただいた会社の対策を開始

大変ありがたいことに、退職前からも含めて知人数人から、リファラルで外資系の企業へのお誘いの声がけをいただきました。
それぞれ、違う会社でコンサルタント・UI/UXデザイナー・Webディレクター・セールスとしてのオファーでした。

UI/UXデザイナーについては、Web制作時代に長年の経験はあったのですが、デザインのポートフォリオ自体を作ったことがなかったので、過去の実績を思い出すのにめちゃくちゃ苦戦しました・・・。様々な書籍やブログを参考にし、作るのに10日程かかりました。
ここでも、お世話になっている友人や会社役員として採用活動に携わっている方に見ていただき、アドバイスをいただいたりもしました。本当にありがとうございました。

・並行してエージェント経由でSESエンジニアに応募し続々と書類選考突破

リファラルをいただいたお話とは別に、情報収集や自分自身の市場価値を客観的に確認するためにも、ビズリーチ経由でいくつかのエージェントに登録をし、数社のエージェントと面談をし、いくつかの企業に応募することになりました。
あるエージェントの一社が、PMを前提としたプログラマとしての選考を検討してくれそうだったので応募してみたところ、次々と書類選考突破。
昨年以前未経験で応募したときは、来る日も来る日も書類選考不採用のメールで通知がいっぱいだったのに、この差は歴然でした。。
エージェントからも、しっかりと面接対策をしてもらいました。

・エージェント経由のSESエンジニアで続々と内定

その後、SES主体のシステム会社3社から内定をいただくことができました!!転職活動を始めてまだ1ヵ月程度でしたので、ものすごくうれしかったことを覚えています。
ただ、色々と考えに考えた結果、SESや派遣はどうしても避けたいという気持ちがありました。理由は、愛社精神が強すぎて派遣が中心の会社は寂しいという理由です(笑)。
(注意※※努力不足でSESとか、昨今のSES完全否定みたいなことを言うつもりはありません笑)

帰属意識を持ち、社員一丸となり会社を発展させたいと言う思いが異常に強いこと、また上司や同僚とも仲良くなり、連携し合いながら自社のことを良くしていくために頑張りたいということ、さらに部下ができたら全力で可愛がり成長を促し自分の成長にも繋げて、結果的に会社に貢献したい・・・という暑苦しい考えが強く、割り切れない性格だったのです(苦笑)。
以前SESで勤めた時は、すごく寂しかったのですw
そのため、こちらは全て辞退することにしました。

ただ、「考え直してください」とか「ここを逃すともったいないですよ」とか、担当者やその上司から、何度も何度もメールや電話で引き留めの連絡・・・。
終いには、「獲得した内定が増えれば増えるほどあなたの市場価値が上がります」と。
いやいや、、、この方は何を言ってる!?
内定が出ると他社への給料交渉がしやすくなる可能性があるだけで、別に自分の市場価値は上がるはずがないので、もはやツッコミどころが満載。

当然エージェントの売上が上がらないので、手放したくない気持ちはわかるのですが、自分の利益を前面に出すやり方にも元営業としてはとても疑問でしたし、とても嫌な気分になりました。このあたりから、エージェントとの付き合い方を一切変えました。


・リファラルで受けたUI/UXデザイナーが書類突破

正直、Web業界からIT業界へキャリアチェンジをした時には、デザイナーとして働くことは視野に入れていなかったのですが、ありがたいことにポートフォリオを高く評価いただくことができ、書類を突破することができました。しかも、決して難易度が低くない外資系企業であったため、大いに自信に繋がりました。
このときから、「デザイナーとして働くこともありかなぁ」などと思うようになりました(笑)。←優柔不断

また、自分自身を深く振り返ることで、デザイナーであったからこそ、前職の業務管理システムの画面設計では、顧客から使い勝手について高い評価をいただいたことを思い出し、デザイナーであったことはシステム開発にも大いに役立てる可能性があると思い、意識的に自信を持つようにしました。

・リファラルで受けた外資系企業が全滅

その後、リファラルで受けていた外資が全滅しました・・・。。
中には、書類選考以前の人事の方から足切りを受けてしまい、選考にかけてもらうことすらできない会社もあり、自分の実力不足を思い知らされました。
特に、書類選考を突破した会社に対しては特に辛く、かなり落ち込みました。。悔しくて仕方がありませんでした。。

ただし、今思うと、面接対策も不十分でしたし、最終的に内定が取れた企業に出した職務経歴書とは内容の濃さが雲泥の差で、ポジティブに考えると、この頃があったからこそ次の内定に繋がったのだとは思っています。
ただし、落ち込みようもすごく、さすがに大泣きしました・・・。

・SES以外の国内企業も全滅

そしてその後、ビズリーチ経由で相談した中小エージェント経由で、SESではない受託開発やSaaSなどのエンジニアやPM、PMOなども積極的に受けていったのですが、ことごとく落ちまくりました・・・。
そもそも書類選考自体が「一社も」受かりませんでした・・・。(´;ω;`)ブワッ

そもそも偉そうに「大手が良い!」とか「上場企業が良い!」とか言うのは理想が高すぎなのか。自分のこだわりなんて諦めるべきなのか。自分じゃそもそも無理なのか。
やはり、自分に市場価値はないのか・・・・・。
ハゲそうに悩みました・・・・。


・ギックリ腰になり心身共に崩壊

転職活動とはまったく関係ないのですが、このタイミングでまさかの人生初となるギックリ腰になりました(笑)
「魔女の一撃」とは良く言ったもので、死ぬほどきつかったです・・・(笑)
痛くて痛くて起き上がることさえままならず、本当に何もできなかったので、精神的にも相当落ち込みましたw


以上、前編でした。
あまりにも記事が長くなってしまいましたので、ここで一旦区切るかたちにしたいと思います。

後編からは、新しく大手エージェントに登録し、応募職種や企業の幅も広げて多くの企業にどんどん応募するも全滅。その後手を変え品を変え、試行錯誤すしていくうちに、結果的に好循環に繋がり、複数社の内定獲得に至ったまでの話をお伝えしています。
もしご興味があればお読みいただけたら幸いです。


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