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【凡人が自伝を書いたら 106.凡人一人旅(後編)】

大学生の時に、夏目漱石の「坊っちゃん」を読んで以来、「道後温泉」には一度行ってみたいと思っていた。

へー、「坊っちゃん」というか、「千と千尋」っぽーい。

残念ながら、僕の道後温泉に対する「興味関心度」は所詮、その程度だった。

凡人は、興味関心が浅く、感動も薄い。

だから旅に行っても基本的に、そこまで記憶に残らない。

いかにも凡人らしい感覚で、道後温泉の小さな街並みを歩いていた。


何か名物は無いかと、探していたら、どうやら「いよかんアイス」なるものを推し気味だった。

「どれどれ。」と食べてみる。

うまい。

でも、

寒い。(冬も近い)

自販機のカフェオレで体を温め、当てもなく商店街的なところをぶらぶら歩き、旅館へと向かった。


その後、三重⇨愛知⇨石川の順に旅をした。

三重では、ちらりと以前住んでいた漁村の雰囲気を堪能した。

あいも変わらず、風景は灰色一色である。

以前住んでいたアパートの前の「刃物屋」も、客はおらず、じいさんがポツンと座っていただけだったが、なんとか潰れずやっているようだった。(逆にどうして潰れないのだろうか問題。)

伊勢神宮にも相変わらずの威厳があって、なんだかよくわからないが、「ものすごくありがたい感じ」になった。

以前来た時にもいた、黒塗りの「何らかの政治思想を広めたい感じ」のトラックが、2、3台止まっていた。

伊勢神宮に文句言っても仕方ないんじゃ無いかなぁ。なんてことも思ったが、もちろん、「ご苦労様です。」と心の中で念じて、全力スルーである。

宿は「松坂市」にとり、A4ランクの「松坂牛(松坂うし)」(以前、松坂ぎゅうと言って、なぜか怒られた。)と、伊勢海老に舌鼓を打った。

舌も凡人なので、A5より、A4の方がなんだかちょうどよく感じた。


愛知には、知り合いが結構残っていた。

県内に2店舗、僕がオープンチームとして、立ち上げに携わった店があった。

僕がいた当初は、外観もピカピカで、街の風景の中ではなんだか浮いた印象もあったが、あれから3、4年が経ち、すっかり街の風景にも溶け込んでいるような感じがした。

完全にノーアポイントだったので、久しぶりに会った主婦さんは、とんでもないテンション爆上げで、僕の方に駆け寄ってきた。

主婦さんの声があまりにデカかったので、周りの客からジロジロと見られて恥ずかしかった。(アポを取らなかった僕のせい)

僕が普通に食事すると言うと、「なんだか新人の時に戻ったようで、緊張します〜。笑」なんて言っていた。

ただ、もう数年やっているので、なんのツッコミどころもない、素晴らしいサービスを提供してくれた。

食事の後、調理のスタッフたちとも話をした。

「私、〇〇さんから教えてもらったこと、しっかり守ってますからね!」

「〇〇さん以降来た社員、なんだか全員ポンコツに見えちゃって〜笑」

「最初に〇〇さんに教えてもらって、本当によかったです〜!」

ここがアメリカなら、一人一枚「諭吉」を渡しているレベルに、持ち上げてくれた。

一緒に名古屋の店をオープンさせた、同期の店長が、可哀想なことに、名古屋の半島に4年近くも封印されていたため、慰める意味も込めて、酒を飲んだ。

僕が店から抜けた後、こんなことがあった。これは大変だった。そんなエピソードを聞きながら飲む酒は旨かった。


石川県の金沢には、単純に行ってみたかったのである。

風情ある小京都。

京都に比べ、外国人の観光客も少なく、落ち着いた雰囲気。

これもまた、ロマンをくすぐるのである。


兼六園。

普通にいい感じの日本庭園である。

お茶屋さん街。

いい感じだが、いい感じすぎて、敷居が高く入れない。(どんまい)

うぉー。いいなぁ、この雰囲気。

全力でそんなことは思っていたが、事実だけで言うと、ほとんど全て見るだけで終わった。(凡)


東京、千葉には、知り合いも多かったし、行きたい気持ちもあったが、コロナが一番ヤバい感じの危険地帯というイメージに敗北し、足が向かなかった。(偏見すいません)


ここは思い切って、沖縄に飛んでしまおうか。

いや、おそらく人生で絶対に行くことがないであろう、と目を付けていた「福井県」に向かうのも、逆に面白かろう。(福井の扱いすいません)

そんなことを考えていると、母から連絡が入る。

「あんた、そろそろ〇〇(妹)の結婚式ですけど? いつ帰ってくると? まさか忘れとらんめーね(てないよね)!」

「あ、あぁ、もちろん覚えとりますよ? 京都だろ? 今石川県にいるから、直で行こうかと思ってね。ははっ。(まずい)」

「は? あんた礼服持っとらんやろ? もう作らんと間に合わんよ?」

むむ。

「ほんまや。」


と言うわけで、僕の憧れの「放浪の旅(もどき)」は、ここで強制終了となってしまった。


〜特急からの新幹線〜

Q、「旅をして、何か変わったことはありましたか?」

A、「一切ございません。」

Q、「本当の自分は見つかりましたか?」

A、「見つかりません。と言うより、そんなもの外に転がっているわけがありません。そもそも、探しに行ってはおりません。」

Q、「どういうことですか?」

A、「自分探しの旅は、だいたいが、自分でデコにずらしたメガネを必死で無い、無いと探しているようなものです。無いなあ、無いなあ、と探して、どうして見つからなくて、自分の行動を振り返って、あ!元々ここにあったわ!と気づくのです。」

Q、「おっしゃってる意味がわかりません。」

A、「はいすいません。」

どういうこと!?


この旅で得られたものがあるとすれば、たった一つ。

「俺の人生、大したことはないだろうけども、そこまで捨てたもんでもなかったんだなぁ。」

昔、自分がいた土地に実際に立ち、過去の思い出が蘇ってくるとともに、自分の過去を知る人間たちと、昔話をする。

そうする中で、少なからず自分が他人に、影響を与えることができたということを知る。一緒にやれてよかった。会えてよかった。楽しかった。そういうことを言ってもらえる。

凡人の僕には、そういうものがたった一つ得られただけで、わりと十分だったのだ。

つづく




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