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【凡人が自伝を書いたら 107.僕はこの家族の一員である】

迫る妹の結婚式のため、僕は急遽、母に一人旅を強制終了させられ、実家へと舞い戻ってきた。

さらば我がロマン。

結局何がしたかったか、正直よく分からないけれども、なんだかよかったぞ。また逢うその日まで。さようなら。


結婚式に出席するには、どうやら「礼服」なるアイテムが必要なようだ。

「礼服」とは何ぞや。


そもそも結婚式に呼ばれたことがないので(人間関係断捨離の弊害)、恥ずかしながら、今まで考えたことも無かった。

「まあ、あれだろ? 要はぴっしりとしたスーツを着てればいいんだろ? ネクタイは白だね? それくらい俺も知ってるさ。ははっ。」

母の「疑い眼差し」が痛かった。

そういうわけで、20年ぶりくらいに母と二人で、楽しくお買い物をすることになった。(なんだか可哀想)


スーツ屋には頻繁に来ていたが、「礼服コーナー」など視界に入ってはいなかった。おそらく僕一人で買い物に来ていたら、「なんだかいい感じのビジネススーツ」を買ってしまっていたに違いない。

「礼服」=「いい感じにぴっしりしたスーツ」

こういうところは、僕が「しっかりしているけど、たまに抜けている。」

そういう評判の所以だった。


初めての礼服に袖を通す。

「あら、お似合いですねぇ〜!」

綺麗な女性定員の目に円マーク(¥)が見える。

一瞬、ちんちくりんにも思えたが、そう言われると、なんだか似合っているような気もしてきた。(愚か)


その後もネクタイやら、シャツやら、靴やら、一式買い込み、約10万。

まぁ、妹のためと思えば安いものだろう。

そんなこんなで、冬も間近の11月の終わり、僕と両親、それから福岡に住んでいる叔父さん夫婦は、新幹線で結婚式の行われる「京都」へと向かった。


京都を訪れるのは、中学校の修学旅行以来だった。

その時は、ひたすら「ウェ〜〜〜イ!」と言って、大騒ぎすることに必死で、京都の風情やら、歴史なんかを感じる暇は1秒も無かった。(愚か)

結婚式が行われるのは、次の日。

その日は京都に住んでいる妹も合流して、家族で京都のお寺観光をすることになっていた。


約10年ぶりに会う妹。

仲が悪かったわけではない。

ソフトボールの国体選手だった1歳下の妹は、高校卒業後、すぐに実業団にスカウトされ、京都に行くことになった。僕は大学で山口県に行き、アルバイトを始めた。

普段の練習が忙しい妹は、実家に帰ってくるのは、年始の一日、二日のみ。

僕は飲食店なので、正月は忙しく、帰ってくるのは4日以降。

そんな感じで毎年すれ違い続けて、約10年の月日が流れていた。


僕が知っている妹は、17、8の時の妹だ。

それがもう28にもなるのだから、それはもう別人だろう。

京都駅で待っていた妹は、ソフトボールを引退し、体の線も細くなり、短かった髪も伸びていた。立派に化粧もして、どこにでもいそうな年頃の女性になっていた。

やっぱり10年もあれば変わるものだなぁ。

そんなふうにも思ったが、喋ってみれば、相も変わらずだった。

「おにぃ!」

と、よく分からない呼び方で、駆け寄ってきた。

女性の割には背もデカく、もう子供でも無かったので、可愛いなんて代物では無かったが、なんだか「あぁ、こんな感じだったなぁ。」と懐かしくもなった。

僕の方は結構変わったと言われた。

まず顔が変わったらしい。

「あれ、二重やったっけ?」(大学時代、ある日を境になぜか二重が開眼した)

「あれ、そんなに鼻高かったっけ?」(これは元々である。)

僕の顔は、先祖代々誰からの遺伝か分からない顔をしている、と家族に言われていた。

「実は拾ってきた説」「こっそり整形していた説」が流れたほどである。

沖縄にいる頃、定食屋に行くと、おばちゃんに「外国人?」と聞かれた。本当の外国人に「外国人?」と聞いても無意味説はあったが、なんだかそういう顔のようだ。

雰囲気も妹曰く、以前のようなとんがった感は消え、「一抹のウザさ」は残っているものの、とても穏やかな印象になったとのことだった。

自分ではそこまで変わった印象はなかったが、10年ぶりに会う人間からはそういうふうに見えたようで、少し意外だった。


観光タクシーで、京都の寺々を回った後、妹の相手方家族に挨拶しにいくことになった。

家に招かれる。

気まずい。

非常に、気まずい。

お金持ちのようで、3階建てのとても立派な家だった。

妹の結婚相手は、日に焼けてがっしりした体型をしているが、いわゆる土木業みたいな怖い雰囲気ではなく(偏見すいません)、どちらかと言えば「スポーツトレーナー」みたいな爽やかな印象だった。

緊張からか寡黙だったが、とても誠実そうな好青年の印象だった。

歳は僕より一歳上だった。

この場合、義理の兄になるのか、弟になるのか、微妙なところだったが、どうやら弟になるようだ。

まぁ、そういうことには慣れている。

飲食店時代、歳が倍ほどもあるおじさんを部下に持ったことは何度かある。歳や社歴は上だが、店長の格は下。そういうことはザラにあった。

「まぁ、ああいう感じだろう。」ということで、特に変な気まずさは感じず、普通に自己紹介をし、打ち解けることができた。

相手方の両親は、なぜか僕に興味津々で、特にお母さんの方はなぜか非常に気に入ってくれたようだった。

僕が独り身であることを伝えると、親戚なのか分からないが、女の子を紹介してこようとしていたので、そこは、「関係がよく分からない感じに複雑になるので、やめておきましょう。」ということで、丁重にお断りした。(理由に無理がある。)


結婚式当日。

親族席に僕の知らない女性の名前が2名分あった。

「親族席に知らない名前とは、一体どういうことか。」

そう思って待っていると、本当に知らない女性がやってきた。

どうやら親子である。

一人は妹と同じくらいとの歳の女性。もう一人はそのお母さんといった感じだ。

そのお母さんの方が、僕の母に向かって、「わ〜、久しぶり〜!」といって仲良さそうにしている。

「一体どちら様ですか。」

僕は心の中で思っていたが、今度はその子供の方が、僕の隣の席に座り、「お兄さん、お久しぶりです!」

といって、にっこり笑っていた。

うん。

「とても美人」なことはよくわかる。

快か不快かで言えば、もちろん「快」である。

とりあえず「お、お〜、久しぶり。」と答えた。

同時に、頭が高速回転を始める。

彼女が「久しぶり」というからには、僕と彼女はどこかで会ったことがある。おそらくそれはかなり子供の時の話である。母が彼女の母を、苗字で読んでいることからして、おそらく「他人」である。

そして彼女が僕をお兄さんと呼ぶことや、その年齢からして、おそらく彼女は、妹の昔からの友達である。

「お兄さん、私のこと覚えてますか?」(記憶にございません!!)

「あぁ、もちろん!〇〇(妹)の友達でしょ?」

「そうです!!凄い!覚えてくれてたんですね!」(ピンポーン!)

「まあね笑」

我ながらよくやった推論である。

いや、後からこうして考えると、わりと当たり前のことだった。

話を聞いていると、存在は思い出した。

直接絡みがあった記憶は全くないが、妹の親友にゴルフをやっていて、今ではスポンサーのつくプロゴルファーになった子がいる。家も、僕の実家から見えるほど近く、妹とその子はとても仲が良かった。

そういうことは知っていた。まあ、事実だけ見れば「幼なじみ」といっても過言ではない感じだ。

ただ、僕の中では「幼なじんでいない」感じだった。


妹の職場の同僚、上司、ソフトボールの元メンバーらしき人たちも集まり、いよいよ結婚式が始まった。

式自体、披露宴自体は、どこにでもあるような一般的なものだったろう。

しかも僕はこの10年間の妹を全く知らない。

ここにいる誰より、最近の妹を知らない。

だから、正直、感動したかといえば、そうではなかった。


それでも、妹がこの10年、立派にやってきたことはわかった。

僕の知らない間に、立派な人間に成長したことはわかった。

顔を真っ赤にして、拍手をしている上司らしき人。

どれだけ泣くんだというくらいに泣いている、女性の参加者たち。

そういう人たちの姿を見て僕は、

「運動神経がいいだけで、性格も口も悪く、ろくでもないと思っていた妹が、今では立派な一人の女性になったのだな。」

「こんなに多くの人たちに愛される、そういう人間になったのだな。」

今の妹のことはほとんど知らないけれども、そういうことはよく分かった。


鬱になるまで、必死に働き、僕らを養ってくれた父。

普通に生活し、こういうところにも普通に参加できるようにもなった父。

そんな父の頑張りがなければ、僕は大学にも行けなかっただろうし、妹もスポーツに打ち込むことはできなかっただろう。

それがあったから、今この瞬間がある。


中学校でうまくいかず、腐りかけていた妹を、無理矢理ソフトボールが強い中学に転向させ、道を切り開く決断をした母。

母は、本当にそれで良かったのか、ずっと悩んでいたようだったが、妹の手紙でそのことについての感謝があり、救われたようで号泣していた。

その母の勇気ある決断がなければ、真剣にソフトボールに打ち込むことはなかっただろうし、それがなければ、実業団に入って、こんな出会いをすることも無かった。

今、この瞬間に、これまでの全てが繋がっていたようで、とても感慨深かった。

ハッキリとした性格で、一見気の強そうに見える妹だが、それは所詮ガラス製で、叩けばすぐに割れてしまう、デリケートな妹だ。

おそらく、ここにいるたくさんの人に救われてやってこれたのだろう。

辛いこともたくさんあったはずだ。そうだからこそ、こんなにもみんなは号泣し、妹の幸せを祈り、祝福しているのだ。

結婚することで、また新たに素晴らしい家族が増えることにもなる。


仕事を辞めたことで、全てを切り離し、全てを失ったように思っていたが、そんなことは全くない。

僕の今までが消えて無くなることはない。今までがあったから、今の僕がある。出会った人、起こった物事によって、作り上げられた僕がいる。

仮に、全てを失ったとしても、僕にはこんな家族がいる。

どんなになにかを失っても、僕は、この家族の一員である。

仮に周りから全ての人が消え去ったとしても、今まで作り上げられた僕は、「ある」。

そういうことが心からよく分かって、とても嬉しかったのだ。


つづく









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