(連載71)自分勝手なリメイク哲学とアパレルのような事:ロサンゼルス在住アーティストの回顧録:2012年
photo : Theo Rasmussen
古着のリメイク業というのを、2000年の初め頃からやりはじめ、自分が店番してたハリウッドの古着屋に置いてもらってるうちに、営業らしいことは自分ではやってないのに、周りの人が盛り立ててくれ、だんだんと売れるようになった。(ブランド名は5569、Couture Salvage, Boy ninus One などなど)
そのおかげで、このリサイクル de お直し業が仕事として、成り立つようになり、初めは一人でやっていましたが、だんだん忙しくなって、手伝ってくれる人も現れ、チームは常時、三人体制、イベントなどやる時は六人くらいになる時もありました。
しかし、フリーランスの地下のソロ活動が長かった私は、「いつ仕事がなくなるのかわからない」という将来への懐疑もあり、人は増えても、仕事場は、相変わらず、自分の家。 部屋にミシンが4台、裁断用テーブルをふたつ置き、それでも場所が足りない時は、床にはいつくばっての作業。
いわゆるファッションデザイナーが使うような、カッコいいロフトを借りる勇気がなかった。(こういうところは、小心者のルンナ)
リビングの床での作業中。
でも、そんな狭いところに、いつも人がわいわい出入りしているのは、賑やかで、活気に満ちていた。
みんなで、ファッションショーを企画したり、バンド活動をやったり(自分のアシスタントがバンドのメンバーでもあった。笑)
前にもお話ししましたが、映画がテーマの服のシネマブティックや、その場で作ってお持ち帰りの、即興ソーイング、お店のウィンドウで縫い物パフォーマンスなど、いろいろと奇想天外なアイデアを思いついては、このアシスタント兼バンドメンバー達といろいろやっておりました。
他人から見たら、なんとお気楽な仕事に見えたでありましょうが、すみません、自分も、最高に楽しかったス。苦笑
リメイクの仕事は、作るのに時間がかかりましたが、作業も楽しかったし、そして、作ったものは、ほとんど売れてましたからね。
なんで、売れてたか?
実は、、、、、その理由は
売れるまで、作り直し続けてたから。 笑
メンズのパンツのシルエットが太過ぎたら、細くした。で、売れなかったら、裾を短く切った。それでも売れなかったら、レディスのカットオフ(昔のホットパンツみたいな)にした。
長袖のブラウスが売れなかったら、袖を切って半袖にした。それでも売れなかったら、ノースリーブにした、それでも、また売れなかったら、また違う生地を足して七分袖に。
ジャケットの丈が長すぎる時は、上下逆さまにしてみて、裾を襟にした。それでも売れなかったら、裏返しにしてみた、それでも売れなかったら、前後逆にしてみた、それでも売れなかったら、。。。。半分にぶった斬って、スカートをくっつけてみた。などなど。
(( 永遠のリメイク作業 ))
お直しするたびに、そこにギザギザの縫い目がはいって、それが不思議なレイヤードになってゆき、その表面は何とも言えない、変な表情になっていった。
これは、いわゆる完成された手芸というよりも、
失敗の痕跡から生まれた
ダイナミックな男気縫製!
これが、私のリメイク・ブランドのキャラになった。
完成度の高いものは、誰か技術のある人がやればいい。
大量生産の工場でやればいい。
自分の技術というものは、
機械でできる技術はいらない。
と思った。
私が唯一卒業できた(苦笑)東京の文化服装学校では、縫製技術の面では、美しく縫える人が成績がよかった。たとえば、等間隔で縫い目がそろっている方が、完成度が高いといわれ、先生から褒められる。
私は下手くそだったので、先生からは、「もっときれいに縫いなさい」と、再三、注意された。
しかし、これは、つまり絵で言えば、
いかに本物に近い写真みたいに描けるか? で、競っているようなもので、、、、
そういうのは
19世紀末で、とっくに終わってます!
縫製技術だって、絵画と同じですよ。
機械的な完成度、針目が同じ間隔とか三つ折りが綺麗に折れてるとか、そういうものは、もうどうでもよくて。これからはそういう工場ではできない、機械ができないことをやるのが、
手芸の王道というもの!
なので、この修正のレイヤード=間違いの痕跡も自分なりに気に入っていて、これこそが〜〜リメイクの醍醐味とさえ思いました。
あくまで、自分に都合のいい解釈ですが、苦笑
そんな自分のリメイク哲学が、わかってくれる人には伝わるんだ!という自負も出てきました。
* 我思うゆえにわれあり。。。。デカルト
* 自分がリメイクと思うから、リメイクが存在する。。。瑪瑙ルンナ
そんな使い方、やめて。
* 神は死んだ。。。。。ニーチェ
* 今までの縫製の概念は死にました。。。瑪瑙ルンナ
おのれ、いっしょにすんナ〜!
* 語るのではなく示せ。。。。。ヴィトケンシュタイン
私の場合、示し過ぎって感じもするけど、言語化作業が苦手なんで、、、
* 語るのではなく、ただ縫え!。。。。。瑪瑙ルンナ
ごちゃごちゃ、言わんで、沈黙してろ!!!
でへへ〜〜〜〜。
こんなことはどうでもいいんだったぁ〜〜。
えっと、私が作ってたリメイクの服が当時、奇跡的に(哲学的にではなく)売れてたっていう話の続きでありました。
それで、そんなお気楽な楽しい日々が続いていたある日、私を応援してくれてた女性から、オファーがあったんですよ。
その頃はウェブショップというのを誰もが、オープンし始めてた時代で、彼女曰く、自分が出資するので、私の服を、本格的にウェブで売ってみたら? ということでした。
そして、そのマーケティングの延長で、ラスベガスのトレード・ショーにまず、出してみよう!という事になった。
トレードショーというのは、わかりやすく言えば、全世界から、ものを売りたい人を集めて、でっかい屋根のあるスタジアムみたいなところで、ブースを借りて、ものを売るというものです。
これに参加するという事は、
私のリメイクの服作りがファッション・ビジネスに本格的に参入してゆく、 つまり、、、、アパレルのようなこと。を始めることを意味します。
こういうトレードショーというのは、厳しい審査もあり、誰でも出せるわけではありません。なので、かなりの覚悟が必要でした。
ビジネス的にはひとつ上のランクを目指す事になります。
ひえ〜〜!
こんな気が小さくて、アングラ体質の自分にできるかな?
量産??? 大丈夫かな?
しかし、よく考えたら、量産といっても基本は一点もの。ひとつずつ作るリメイクが、流れ作業になってしまう怖さもあったけど、しょせん我々は三人だ!
そうだ。ビジネスはビジネスとして、割り切って、シンプルにやってみるのも、いいのかも。ここは、この流れに沿って、アパレルってものに挑戦してみよう、と。
そして、決断!
いわゆる展示会の準備みたいなこと、が始まった。
課題が山のようにあり、その、ひとつひとつの問題をクリアする必要があった。
リサイクルの古着で作っているので、材料は、同じものがふたつない。そのあたりをどうするか、システム自体を構築しなければならなかった。
材料がいつでも安定して手にはいるアイテムに絞って、同じようなものを複数そろえたり、同じパターンで、何点できるのか?一点作るのにどのくらいの時間がかかるのか? また、シーズンごとのシルエットの変化のサイズも細かくメモしてみた。
そして、作り方のマニュアル制作、どうすれば、作業がスムーズにいくか? 効率を考えて、チームメンバーのルーティーンを考え直して、それら全て、後で誰が見ても、わかるように記録した。
そして、いわゆるスタイル・ブックも必要になった。
友達のいつものボランティアじゃない、本物のモデルさんで。(苦笑)
ともかく、今までやった事がなかったミッションだらけで、大変ではあったが、一ヶ月後、とりあえず、いろいろなものが揃って、こちらサイドの準備は完了した。
しかし、当日、私はラスベガスには、怖くていかなかった。
信じてもらえないのですが、私、、、、、ほんと、小心者なんです。
なので、ウェブのショップのオーナーとアシスタントの女子、ふたりが行ってくれ、私は家でジッ〜〜と、結果を待った。
結果は、、、
大
失
敗
!!!
売れたのは、たったの3点!
しかもっ!
値段が高いとクレームもきた。
マスなマーケットでは、二次使用の素材は、安いのが当然と思われ、私がやってるような、もう完成された服を解体して、バラバラにして、切り取って、また縫い直すのは、ただ既成の生地を裁断して作るよりも時間がかかるんで、値段も高くなる。。。。そういうのが理解してもらえませんでした。
今ではSDGsで、その辺りを理解してくれる消費者もいると思いますが、この当時は、ほとんど、いなかった。
早過ぎた?
いえいえ、そういうとカッコいいけど、この業界、早いと遅いは同義語なんです。どちらも、時期がずれてる=失敗です。
この為の準備に費やした我々のエナジー、そして、莫大な金銭的な損失、、、、。
ビジネスは数字で結果がでるから、どうにもなりません。。。
さすがの能天気な私も、、、がっかりでした。。。。涙
ラスベカスからもどったウェブショップのオーナーは、自分が出費していたのにも関わらず、私に
「ごめんねー、これ、お土産!」
と、ラスベガス・プリンセスと書いたピンクの豚ちゃんの貯金箱をくれました。
空っぽの貯金箱。。。。
なんか、私は申し訳なくって、涙が出てきた。
やっぱり、、、、アパレル的な事は自分にはむいてなかった、のだとも思った。
これで、はっきりわかった。 結論が出たのだ。
もう、同じようなものを買わなくてもいいし、自分がリメイクしたいものだけに集中すればいいのだ。
今まで通り、自分のペースで、作りたいものを作っていけばいいんだ。
そう思ったら、なんか、肩の荷がす〜っと降りたような気もした。
そしてまた、以前と同じ生活にもどった。
1年に一回くらい、ウェブにあるものが売れてリクエストがくるから、それに合わせて、作れるものは、作った。
それから、あの豚の貯金箱には、少しずつ、お財布の底にある邪魔な小銭を入れていった。
いつのまにか月日が経って、それが、パンパンになってた。
それでも、多分、10ドルくらい?だろうか。
久しぶりに見た、豚ちゃん。
笑ってみえた、、、、。
L*
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