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【中編】エンプティ―になりかけの私は大体飲み会で70点のウケをとる。

会社の上司から呼び出され、同期2人もいる指定された居酒屋に向かった。
私は取引先への挨拶に行って、2つ上の女性人事と(ガールズトークと商談の中間みたいな)ご挨拶を交わした後だった。

その後2時間くらい、リモートワークと称して、巨大な本屋の中にある寂しいベンチに座り、社用PCを見もせずに水筒の中にある緑茶割りを飲んでいた。

本屋では何も買わなかった。角川ホラー文庫の新刊を手元に持っていて、中間ぐらいまで読み進めていた。
横溝なんとか賞をとった作家が、4作目で明らかに茶の出涸らしみたいな有様になっていることを悟った。
これ以降、この作家の本は買わないだろうと思った。

ぼんやり、もう買わないなぁ、もう買わないなぁ、と思っていたら、いつの間にか時間は過ぎて、店の予約時間まで10分を切っていた。

駆け出したら、よく分からない所にいた。

ラーメン屋を見て、お腹がぐぅと鳴った。
これはマジで、漫画みたいにぐぅと鳴ったのだ。

ラーメン屋には数えるほどしか行ったことがない。
天下一品のこってり味はクソみたいに不味くて、二度と行かないと元彼に言った。

だけど、人生の中で最も多く行ったラーメン屋は、現状天下一品だ。元彼は天下一品の天津飯が大好きだった。伸びた前髪が天津飯につきそうになって、ヒヤヒヤすることが多かった。私はそれのせいで、天下一品以外のあらゆる飲食店で天津飯が食べられなくなった。髪の毛が入っている気がするからだ。

私はすっきりした味の料理が好きだった。友達と偶々入った鯛だしの塩ラーメンが美味しすぎて、一緒に行きたいと泣きながら(泣いてないけど)彼氏に懇願した。「四ツ谷じゃん。クソ遠いもん」と言われて断られた。

ひとりで行く勇気はなかった。

ラーメンの写真をInstagramにあげて、偶に自撮りもあげているインフルエンサーを見たことがある。
私には分かる。彼女は自撮りのプロだった。狙い過ぎず、日常感を捨てきらない状態で、自分が最も可愛く映る角度を、どの写真でも保っていた。

そのインフルエンサーは、先月グラビア写真集を出した。
グラビア写真集によって、彼女はラーメンを更に食うことができる。

私はあの時、数分元彼と喧嘩をして、飛びかかって、そしたらちょっとキスをされて、それでラーメンはどうでもよくなった。
いや、飛びかかった時点でラーメンはどうでもよくなっていた。
ちょっとキスされることも予測していて、その予測が当たって、私は笑った。そう記憶している。

今の私の脳裏に、鯛だしの塩ラーメンはよぎらない。
ラーメンだけではない。私の頭の内側で、あらゆる「ちょっと好きかも」が浮かんでは消えていく。
それをがっちり掴まないままで、重く捉えることも、大事にすることもしないままで、ふわふわと漂うクラゲのように、この街を彷徨う。

だから迷うんだ、緑ハイのせいか、くっ。
店は、どこだ。

なんだか、ピンク色のお店があった。高校の同窓会で、お調子者の男子が「ピンサロのコスパ最強なんだって」と騒いでいた。ピンサロとか分からないが、私はこのピンクの看板が好きだ。
進んだのか、戻ったのか。店に着きそうなのか。スマホが震えている。

その後、同期の美人な子が迎えに来てくれて、
「え、もう飲んでるの」と驚いていた。
「ごめん、黙っといて。まだ定時から1時間経ってないし」
「え、黙る黙る」
連れていかれた方向は分からず。
この街で、こんなに広い店をかまえるのは大変だっただろうなぁ、と想像しながらテーブルに案内される。
「すみません、遅くなりましたぁ」
「大丈夫っすか」
上司のおじさんは髭を整え、凶器みたいに鋭くした眉毛で、私の方を見た。
何度か謝罪と笑いを繰り返して席につくと、正面には同期の男子。
くるくるしたパーマが長く伸び、目を隠していた。
肩をすくめて、苦笑いをしている。
よく分からない表情だし、どんな表情?と聞いても、「こんな表情」と答えになってない無駄な言葉が返ってくるだろう。

料理を適当にみんなで頼む。
ポテサラが来たり、ウニが来たり、馬刺しが来たり、塩辛が来たり、注文係が定まっていないから滅茶苦茶なラインナップだ。

私は全く料理に手を付けず、酒豪の上司と全く同じペースで酒を飲み続けた。頭が適度にグラグラしてきた。
あぁ、私に話が振られているなぁと思っても、口角をあげて、喉と脊髄に出す言葉を任せている感覚で喋り、その後笑いが起こっていた。なぜ笑われているのか分からなかった。

いつの間にか上司は2人に増えていた。
マジで知らない人だった。超絶男前だった。
上司ということしか分からない。
そのマジで知らない人がいちばん爆笑していた。

同期の男の子に手をひかれ2軒目に入り、既に上司は帰っていて、同期会となって、そこからは呆れるほど滅茶苦茶に飲んだ。
それでも結局、同期の男の子は私と2人で飲みたいと言い出したし、そんなに爆弾発言はしなかったのだと思う。
綺麗な同期の女子は彼氏に会いに行った。

同期の彼と、無意識に恋人つなぎをした。多分向こうからしてきた。
手ぇ冷たすぎない?とだけリアクションした。拒否しなかったし、ときめいてます感も出さなかった。
そんな男女は、私の視界の中に無数にいた。だから安心した。

少しだけ自分が嫌いになった。

「まるはんって映画館?」「じゃあ入ってみる?」
「え、これ戻ってない?」「戻ってるね」「なんでよ」「街に聞けよ」

同期の男の子と、小さな部屋の中で過ごす午前2時は、大学生の飲み会を思い出させた。
いやらしくもなく、青春感もなく、ひたすら楽しいじゃれあいが続いた。
私は、こういう関係が一番グロテスクで醜いと思った。

私は大学生の頃の自分が嫌いだった。
資本主義社会の中で、何のポジションも技術も持たずに、ただ立って考えているフリをする大学生が嫌いだった。

飲食店のホールで、そんな奴はすぐ怒られる。使えない人間扱いされる。
この社会は大きな店舗であり、その中で忙しなく動かなければ未来はない。
そう思っているのはどうやら私だけのようだった。

だから諦めて、宅飲みや安いチェーン居酒屋でのサークル飲みを受け入れてきた。次々と運ばれてくるチューハイを飲み下しては、必死に自分をその場に溶け込ませた。
結果、酔っていても爆弾発言をしない、というスキルを身に着けた。社会人生活の中で、大いに役に立っているスキルだった。

今の私は使えない。会社でも、社会でも、世界でも、こんな男の横にいる私の価値はゼロだ。
それは虚しいことのはずなのに、「虚しい」という状態に慣れきっている自分がいると気付いて、それは「悲しい」になった。

同期の彼は私の膝の上でスヤスヤ寝始めた。
机上のスマホが揺れる。彼氏からLINEがきた。
『明日マジで会社イヤなんやけど』
私は既読をつけずに、スマホを床の上に伏せた。

「ねぇ」
膝の上のクソ男に声をかける。
「んぅん」
「明日、出勤イヤだよね」
すぐに「イヤだねぇ」とかの返事がくるかと思ったら、彼は態勢を変えようとぐにゅぐにゃ体を捻り、何も答えずに呻く。

「ねぇ、ここで寝ないでよ。ベッドで寝よ」
「明日の、出勤」
「うん、そうイヤだなぁって」
「俺はイヤじゃないね」
急に、やけにはっきり喋る、こいつ。
「そうなん?」
「当たり前じゃん、世界変えに行くんだぜ、明日も」
私はそれを聞いて笑いだしてしまった。頭痛がひどくなるので、笑いたくも大声を出したくもなかったのに。
それでも、笑った。

私は楽しくなってしまって、彼を無理矢理起こして、コンビニに連れて行き、更に酒を買おうと言った。彼はにやりと笑って、酒の棚に行ったけど、スミノフを2瓶手に取っただけだったから、何してんだ!と笑いながら背中を殴ってやった。彼は本気で痛そうな顔をした。それでも私は笑った。濃いハイボールを4缶買った。彼がお金を出してくれた。

その後、私は帰りの道すがら、彼を殴りながら京都旅行に近々行きたいんだとか、CBDを試してみたいんだとか一方的に言って、「友達の友達が行っていたハプニングバーがやばかった件について」とスレタイみたいな文言を叫んで、彼を笑わせた。

私はこの帰路が永遠に続けばいいと思った。
ベッドに入って、寝ることなく、頭が痛みで割れるまでくっちゃべりたくもあった。
そして、その時間は、彼が笑ってるかどうかなんて、どうでもいいに違いない。
ひさしぶりに、どうでもいいと思いながら気持ちが明るかった。

こいつが何のために生み出された獣なのか知らないし知る気もない。
(2030.02.21)


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