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欧米のオリジナリティ創出アプローチと日本のアプローチの違い N54

 教科書を見ないことが日本のオリジナリティへのアプローチであり、教科書を調べ尽くした上で理論の上に新たな理論を積み上げることが欧米のオリジナリティへのアプローチだ。両者の異なるオリジナリティに対するアプローチはこの一言に尽きる。

 日本人的な見方でものを言えば、欧米人は長い物に巻かれるのが大好きだ。彼らは王道が大好きで道を外れる選択を好まない。ベストイズベストであるかのように物事を判断する。日本人からすると面白みがない人たちに思える。外国人はとても個性的だと聞いていたのにむしろ標準を好むではないか?これが彼らと付き合いが増えた20代前半から半ばの頃の私の印象だった。

 その後、私はヨーロッパの経営大学院へ留学をした。海外の経営大学院はケースディスカッションにほとんどの時間を費やし、日本のようなレクチャーの時間は少ない。しかしその少ないレクチャーで教わったのは教科書通りのことだった。教科書通りというのは教科書に書いてある原理原則をひたすら徹底して教え込むことだった。日本のような変化球で調理してみたり、脱線して突飛な例外ケースを教えたりすることはなかった。ひたすらストレートを投げ続ける。私はとても退屈に感じたことがあった。

 しかしそのアプローチの理由は先人の理論を使わない手はないとのことだった。優秀な先人が苦労して生み出したり発見した理論に積み上げたり、応用したり、少し修正をしたりすることがオリジナリティなのだと。思い切って全否定をして今まで積み上がってきた理論を全部ひっくり返すこともまたオリジナリティだ(それほど機会はないが)。つまりアカデミックアプローチと同じだが、ギリシア哲学以来の対話やヘーゲルに代表される弁証法的な概念が社会的な習慣に埋まっているということだった。

 別の言い方をすれば欧米のオリジナリティは非常に客観的とも言える。言ってみれば、他者のアイデアの上に被さって新しいアイデアが生まれ、そのアイデアが正しいかどうか議論されるわけだから。そしてアイデアとして最先端である、あるいは優れているというのが、過去のアイデアの上で成り立つ以上、とてもわかりやすい。

 具体的な経験で言うと、在庫削減をするためのサプライチェーンの改革の提案をクライアントにすると、欧米企業は教科書に掲載されている概念(あるいは公式)を使って在庫削減のコントロールをしている。企業によって優劣がつくのはその理論を使ってどこまで現実をコントロールできているかと言うことと(理論はあくまで理想論なので生き物である現場に適応をすると周辺で足を引っ張る事象がその適応の邪魔をする)。そしてその理論をさらに昇華させて進化させているかということだ。  

 一方、日本は各企業で全く違うことをやっている。ボトムアップアプローチだからなのだろうか、理論は使わず、自分なりに考えた技を使うことを好む。日本人の意見では皆が同じ理論を使ったら差別化できないではないか?とのことだった。私はこの一言が日本人を象徴していると思った。

 まとめると欧米人は理論に則った教科書的なアプローチの延長線上にオリジナリティを見出し、日本人は金山発掘的なアプローチを取っている。  

 これこそ日本はオリジナリティを生み出せないと言われた原因だと私は考える。理論の延長線上で戦えばヒット率は高まるが、金山発掘のヒット率ではなかなかホームランは打てないだろう。むしろ既に生み出された理論や商品であれば、スタートラインは同じなので(つまり金山のエリアが決まっているので)金山発掘でヒットを打つことはできるだろう。  少し抽象的になってしまったが、教科書を見ないことでオリジナリティを損なうことは海外ではない。むしろ教科書を読み尽くすことからイノベーションは始まるのだと言うことを共有したい。 

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