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オリジナル作品を生み出せなくなった世襲政治時代 〜 未来/シンギュラリティは存在するのか?(2) N117

 最近は便利で海外にいてもYouTubeとかで日本のテレビアニメを観ることができる。驚いたのはドラえもんがまだ生きていることだった。今の子どもがまだドラえもんを観ていることに驚き、ドラえもんの声と歌が変わっていたことに2度目の驚きがあった。どうやら仮面ライダーとかもまだ復活しているらしいのだ。  

 このドラえもんや仮面ライダーが世襲しているのも大きく2つの理由がある。1つはビジネスとしての成功率を上げるため。この流れはハリウッド映画から始まったが大ヒットした映画をシリーズ化して2、3、4・・・とやるだけで確実にホームランが打てるのだ。もう1つはネタが出尽くしている。人間の想像は限界があるのか、妄想にパターンがあるのかは知らないが、おおむね誰かが何かをやっている。これは政治家が世襲してしまうことの要因でもある。ある意味YouTubeを観て笑うことさえできればいいように政治家も水道から水が出て、電車が時刻通り走れば誰でもいいのだ(コロナとかが来ると急に政治家では対応できない政治問題になるから厄介なんだけど)。 

 このオリジナル作品を生み出す行きづまり感はどの分野でも起きている現象だ。音楽では古いけどB’zは洋楽のパクリだと少し音楽に詳しい人から批判されたし、私もそう思う。しかし小沢健二さんはサンプリングのはしりとして捉えることができ、別の観点で音楽を組み立て直したという点で評価して良いと思う。  

 そして話がさらに飛躍してしまうけど、芥川賞候補となった北条裕子さんの「美しい顔(1*)」はパクりが発覚して講談社もろともボロクソに言われたが、私は小説の完成度としてはかなり高く仕上がっており、芥川賞にふさわしいクオリティと評価している。これも小説のサンプリングみたいなものとしても評価して良いと思う。面白いんだから。しかし素行の悪さで評価されることすらも外されたようだ。まぁ、引用しましたと一声言うべきなんだろうが。  

 何れにせよ小沢健二さんも北条裕子さんもオリジナティの限界を理解した上でのアプローチなんだろうが、この行き詰まりこそポストモダンが抱えている課題なんだと私はずっと考えてきた。ある批評家(いやほとんどの批評家)は、「作家はもう要らない」と言ったが、まさにその通りなんだが、それを超えるオリジナル作品を捻出しないとこの臨界点は打破できないはずだ。  

 これがシンギュラリティであり、今の哲学の抱えている限界点と課題なんだろう。そして世襲は続く。


1*) 北条裕子、『美しい顔』 

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