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教科書をデジタル化するということは何を意味するか? N137

 それはめくるという行為から解放されることである。 

 教科書が紙である以上、コンテンツは複数枚の静的な絵/図と文字で表現するしかなかったが、デジタルになることで動的なコンテンツが可能になる。これに注目すべきである。今日のヤフーニュースおよびそのコメントを拝見する限り、その可能性について気がついていない人があまりにも多いのはビジネスチャンスと思っていいだろう。

 ここで教科書デジタル化のメリットをまとめよう。コンテンツが動的になることで動画が前提であり主役になる。文字では正確に伝えきれなかった情報が視覚的にも聴覚的にも伝えることが可能だ。特に社会や理科の授業でイメージのできなかった用語なんかは一発で理解できるだろう。  

 そしてリアルタイムで教科書が更新されるので常に最新の情報をもとに学ぶことができる。今の紙の教科書は数年単位で検定をして入れ替えているが、もはやそんなお役所仕事とはおさらばだ。菅内閣が誕生すれば、次の日の教科書にも菅内閣が出てくるし、たたき上げの政治家の例として田中角栄が紹介されるってことができる。つまり生徒に伝えるべき情報をガイドするのが教科書であれば、リアルタイムでその情報は更新されるのはありがたいはずだ。  

 さらにはインタラクティブ性とコネクテッド。青森からリンゴ園を実況中継しつつ、豊田の自動車工場を実況中継しつつ、みたいな学校間あるいはクラス間で授業をすることができる。もしかすると算数はクラスをレベル別にチームを分けて、それぞれに見合った学習をさせれば良いかもしれない。教科書を板書することが授業という発想は紙の教科書から来ているのだから。触れることこそ学習だ(めくらないのだ、もう)。  

 こうあるべきと思うに至った背景も小学校が始まった子供があっという間にデジタル慣れしたことが大きい。日本ではまだ年中だが、海外では1年早く学校が始まるため今年からオンライン授業で学校に通い始めた(少しだけ緩和されて通った時期もわずかにあったが)。iPadを与えた(貸したつもりだが返ってくる見込みがなくなった)もののあっという間に操作方法は覚えて自分で子供用YouTubeで動画を見つけて学習したり遊ぶようになった。

 BBCが製作した算数の動画コンテンツがあって数を数えたり四則演算を覚えていった(自分が同じ歳頃に九九を地獄のように覚えさせられたことと比べれば天国だ)。また気がつけば、スーパーマリオの動画を発見して、世の中にはこんな面白いものがあるらしいからアプリを入れるようにせがむようになった。さらには将棋を覚えはじめて、オンラインで習うことになった。生徒はオーストラリアとアメリカの東海岸のメンバーでそれぞれバラバラのところに住んでいる。  

 目が悪くなることや見るにはまだ早いノイズがあるのは大人が注意すべきことだ。また中毒性が高いので勉強とはいえ注意が必要だ。他にデメリットがあるかと言われれば、あとはガジェットが増えて紙の教科書以上に重たくなる可能性があることだろう。

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