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やっぱり日本は泥舟なのか?だからD2Cは日本では流行れない N158

 どうやら日本は日本全体が泥舟になっているかもしれないと今日感じた。  久しぶりに日本の人と会議をして日本と海外の小売業のデジタル化や業界動向について話をした。しっかり勉強している人だったので私も彼の話を聞くのはとても面白かった。  

 海外は特にコロナが加速をして消費財メーカーはダイレクトモデルに移行しつつある。その象徴がNikeでDTC(*1)モデルにシフトさせることで株価の維持と利益の確保に努めている。大量生産大量消費の時代の終焉なのか?代理店比率を減らして、直営旗艦店でプレミアムな商品を定価で極力売る。したがってバッサリ代理店を切る。  

 日本でもバーバリーが三陽商会をバッサリと切ったが、海外ではもっとドライに切っている。右肩上がりの時代は売上が大事だが、フラットあるいは下りの時代はやはり利益の方が重要な指標になってくる。  

 日本は人間関係を良くも悪くも重視するので利益度外視でメーカーも卸も小売も同じ釜の飯を食う仲間だからとして関係を打ち切らずにみんなで泥舟に乗ってしまう。ある意味メーカーが小売を買収して優秀な人だけ残して、残りの人材と卸を打ち切れば収益性は上がる。  

 つまり日本の生産性が低いと言っているのは主にこのようなみんなが泥舟に乗ってしまうことで、時にはドライにバッサリと切り落として生産性を上げることが必要ではないだろうか?それによって残った人の給与は1.5−2倍くらいにできるわけだし、切られた人も次の仕事はもっと未来がある仕事に就けるわけだから(ただしこれはジョブ型の社会でないと成立しないけど。政府が失業者に支援をして、中途採用にオープンな社会である必要がある)。生産性の低い業界は特にこの人間関係の商慣習が強く残っていることが多いかもしれない。  

 一方で新しく生まれるスタートアップはこのような泥舟コミュニティからしたら敵でしかなく、参入障壁をあげて撤退させるような仕組みに悲しいことになってしまう。日本のIT業界、SI文化なんかがよく例に上がるが、顧客を囲い込んで(ある意味顧客と一緒に泥舟に乗って)ゆっくりと沈んでいく(沈んで死んでしまえば楽になれるが死なないので楽になれない不運)。  だから日本のD2Cはいろいろ生まれるだろうだけど、この輪の中に入ることができず、結局筋がいい幾つかのものしか成功せず、後は藻屑になっていくのだろうと悲観的な思いになってしまうのだ。 

  日本のD2Cを応援したい。 


 1*)Direct-To-ConsumerはDTCとD2Cの表記に分かれており、英文ではアカデミックな論調でDTCが使われてきている。例えばHBRやRetail Dive。なので基本私はDTCを使うことにしています。しかし日本の文章ではD2Cが定着しているので(例えば日本経済新聞)、日本固有を示す時はあえてD2Cを使っています。 

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