講師エッセイvol.34 ユキ先生/国際化とアイデンティティ・クライシス
こんにちは。2度目の投稿のユキ先生です。今回はタイトルにもあるようにアイデンティティ・クライシスについてお話ししたいと思います。
自分は何者か?
いきなりですが、皆さんは「自分は何者なのか」や「自分はどこに属すのか」など疑問に思ったことはありますか?私はこの疑問を感じたことがあります。(哲学や社会学の学術的知識はありません笑)
私は以前の投稿でお話ししたように、日本人ではありますが米豪文化圏の価値観でも育てられたので、日本人としてのルーツを誇りに思いつつも、「一体どこに馴染めるのだろう、どこの人が私を『私』として受け入れてくれて、私もそこの人間として納得できるのだろう」と幼いときは思っていました。
以前ユキ先生に書いていただいた記事はこちらからご覧いただけます↓↓↓
私の「アイデンティティ・クライシス」
混血の方がよく経験するアイデンティティ・クライシスはルーツのある国の人たちに外国人扱いされるというものが多いそうです。一方、私の経験したアイデンティティ・クライシスは少し違います。日本以外のアイデンティティをないものにされるというものです。日本では、私が英語を話さない限りは日本以外の文化圏の価値観があることはなかなか理解してもらえません。(日本では出る杭は打たれるため、自分から異なろうとする必要はないので、そういう面では日本語は便利です笑)
同様に、現在在学中の米国ペンシルベニア州にある大学では「あなたは日本人なのだから私たちと同じような意見ではなく、もっと日本の意見、観点でものを言った方が良い」と言われたこともあります。このアドバイスをしてくれた学生さんにこの発言の意図を詳しく聞くと、全く悪気があったわけではないことがわかり、また、確かにさまざまな観点からの意見が出た方が議論も活発になると理解はできました。
一方で、アドバイスの意図を聞く前は、「また日本以外のアイデンティティとか価値観とかを否定されたな〜」「自分の育った文化圏の価値観で自分が良いと思ったものを取り入れているだけなのに、なんで『日本人』という一面しか見てもらえないのかな」などと思っておりました。再度書きますが、日本のバックグラウンドもルーツもとても誇りに思っております。ただ、それ以外の文化圏での価値観、それに基づくアイデンティティの全てが揃って今の私がいるわけなので、一面だけ切り取られると本当の自分ではない気がするのです。
これからの国際化社会を生きていくために
このようなアイデンティティ・クライシスについて長年言語化ができませんでした。というのも、前述のようにどこに行っても外国人扱いされるというアイデンティティ・クライシスではなく、日本人という自分の一部のみに焦点が当たり、それ以外の部分が切り取られる、そのため自分の属すると思っているコミュニティとそこの人たちとの間に認識の齟齬があり、自分の居場所がどこかわからない、そのようなアイデンティティ・クライシスだったためです。
この種類のアイデンティティ・クライシスに関する研究論文などもそれほど多くないように思われます。しかし近年、人種差別や自分の居場所をテーマにしたとある映画を断片的にでも観たことで、自分の中でアイデンティティ・クライシスを以前よりも落とし込めるようになった気がします。特定の環境に馴染むために奮闘するもよし、自分とは全く関係のないと思っていたコミュニティに敢えて身を置くもよし、と。
皆さんの身近な人、あるいは皆さん自身も悪気なく人の一面のみで判断したり、判断されたりという経験はあるのではないでしょうか。国際化と関係があろうとなかろうとです。良くも悪くも国際化の重要性が以前よりも叫ばれている中、留学生や移民、混血、帰国子女などと日本で交流する機会が増えるかもしれません。その際に少しでも私の経験してきたアイデンティティ・クライシスに苦悩する人が減るように、この場で多少の啓発をさせていただきましたこと、大変ありがたく思います。
最後に
前回と同様、ほとんど私の体験記のようになってしまっているのですが、この投稿が少しでも複数のアイデンティティがある方の支えになっておりましたら幸いです。最後までお読みいただきありがとうございました。
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